その二十
6745
若しも或る種の人々の事を容赦なく直視する事を続けていれば、それは嘔吐を催す程に気持ちが悪いものだと思います。虚心に冷静に観察すればする程に。それで正しいと思います。嘔吐を催す感覚も、それで正常であると思います。でも一つ確認してみなければならない事があります。
それはその或る種の人々の事を『容赦なく直視する事を続けて』いて可いのかという一点です。これをしている事はあなたにとって正しいのですか。あなたは今それをすべきなのですか。そこです。最初、必ず最初を間違えるのです。心が澄んでいないと。
6746
何一つ他人に対して誇る事が出来るものが無い、それが活き活きとした暮らしが出来ない理由などではないと思います。そうではなく自分で自分の事を信頼出来ない事が鬱々(うつうつ)として心愉しまない本当の理由なのではないでしょうか。他人に誇るべきものをもっていなくても自分で自分を信頼出来ているならば、生きる事にそんなに倦む心持ちになる事はない筈です。
『上手くやってきた』事ではありません。それは何等の誇りになりませんし、自己に対する信頼の獲得に資する事がありません。自身を信頼出来るという事なのです。それは自分の信念を裏切らない言動を重ねてきた、そうやって生きて来た、その事実その歴史が生むものです。毎日を大切に過ごして下さい。
6747
何もしないと虚しいです。自分が何もしない事に起因して感じているその虚しさを、自分が適切に評価されないからとか自分は惰弱であって生まれてこの方ずっと何をしても駄目、自分はそういう人間なんだとかいう途轍もない論理の飛躍に決着させるべきではありません。
何かしたら良いのです。何かを始めるべきです。実に小さな事で可いのです。生まれてこの方不幸の連続であった筈の、そんな運命的な根拠に基いた不幸である筈のあなたの虚しさ、刹那に霧消すると思いますよ。
6748
善い事をすると良い事があるでしょうか。私はこれを信じない者です。自分が善い事をすると、誰かが自分にその善い事をした褒賞として良い事を返してくれるというその発想自体を幼く幼稚なものであると思うからです。そんな取引的な善意は最初から既に功利的でどこか奇異です。
善い事は自分がその善い事をせずには居れないからするのが本当であり、またその褒賞は自分がその善い事をした事そのものに拠って直ちに立ち所にその場で自分に降る、そういうものでなければなりません。それが自分が善い事をした褒賞、そう思えるのでなければ抑々(そもそも)『善い事』をすべきではないと私は思っています。
ブログは毎日更新しています。
https://gaho.hatenadiary.com/




