その十九
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或る人は株への投資で永年致命的な失敗をしなかった、今までそれで生活費を得て来る事が出来た、その実績をもって自分の事を社会的に『適応』出来ていると判断します。詰まり自分はこの社会で生きる能力をもっていると看做すのです。その通りかと私も思います。その人は現代の社会を生きる『能力をもっている』のです。だって現にそれで生きているのですし、おまけに何らの不安も感じていないのですから。
ところが私に言わせると、私は現代の社会を生きる『能力』などにはこれぽっちも魅力を感じていないのです。そんなものは私には必要がありません。私の欲しいものはその能力でもそういう不安を感じていない『状態』でもなく、生きている事に喜びを感じる事、それなのです。天竺を目指す三蔵法師一行が苦しい日々の中にも失わないあの希望を目指す喜びが無いと駄目なのです。それ無しに、世の中に適応して当座の不安一切見当たらず、且つ衣食住その他人付き合いで施す面目に困らずと雖も、それでは何の道虚しいという事が初めから知れ切っているからです。生きられる事ではありません。生きる事を自覚的に選択出来る動機が欲しいのです。既に私はそれをもっています。しかし、更に欲しい。それは多ければ多い程良い。私はいつもそんな風に思っています。
暢気に如何にも気楽そうに世を渡っている人も居るでしょう。生活に困っている風にはどうやっても見えない。でも、そういう人にも生きる苦悩が、それも結構深刻な苦悩が必ず在ります。そういう人を羨む愚を棄てて下さい。そして自分には何が必要で何を欠く事が出来ないのかを弁えるべきです。
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一つの慰めある事で多くの苦しみを乗り越える事が出来る。そういう事の実践を果たしている人を私は本当に大人であると思います。若しも私に現在与えられている数々の慰めを私が全くもっていないとしたら、そのうちの一つあれば私は多くの苦しみに堪えられると本気で思うでしょう。しかし既にもっている慰めをいつしか当然の事の様に思い、その有難味を忘れているのです。感じなくなっているのです。これは私が最も警戒する油断の最たるものです。実に、よく、自分で分かっています。しかし体感出来ていないのです。
多分私は何度も何度も繰り返し体験しないとその事の真価が分からないのでしょう。真実に善いものも、本当に下らないものも。下根という言葉が思い浮かびます。運命はいつまでも甘えている事を許しません。明示されてはいませんが運命の忍耐には期限があるのです。私はその事を想い、もっと震え上がらなければいけないのでしょうね。
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私は町中でも職場でも、一体何を思い浮かべて歩いているのかと疑いたくなる様な不機嫌な顔をして歩いている人間を信頼しません。悲しそうな顔なら勿論別にそんな嫌悪を感じる訳ではありません、寧ろそれだけで私は同情するでしょう。けれども不機嫌、特に不満らしいものを満面に顔に表している人間を見ると、この人は年中斯んな風なのだなと思います。実際、そうなのでしょう。そうでなければそんな顔でそこらへんを歩き回ったりしていないでしょうから。
本当に善良な人ならば人前で悲しそうな顔をする事は多々あっても、不満顔を曝す事はそう多くある筈がありません。不満な顔はそれだけでもう自分の魂の氏素性を物語って仕舞います。既にそれはその人の内面の心術を明確に書き記した名刺に近い。一瞥、馬脚を現して仕舞います。そんなものにどうして近付きたいと人が感じますか。いつも人間らしさを表して外を歩いて下さい。大事な事ですよ。
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私は何に目を向けなければならないのか。私の生活の内容として如何なる新たなものがやって来ようと、何を見詰めていなければならないのか。事ある毎に私はそれを試され、訓練されます。ですが毎度毎度心の平静を保つ事に苦しみます。平静で居られないのです。それではいけません。それではいつの日か私は致命的な判断の誤りを犯して仕舞うでしょうから。
今までに何度も言っている事ですが、生きる事は戦いです。他人ともそして自分とも。そういう事で私が苦しんでいるのは、まだまだ私が一人前の大人ではない事実を示しているのだと思います。その時が来るまでしか私の猶予はありません。しっかりしなければ。私は何度もその事を思います。
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