その十
6705
幾ら文章が上手でも人に伝えるべき中身が無かったら何の意味もありません。それこそ文章のお手本にしかなりません。テクニックは中身があって初めて意味をもってくるものです。明らかにテクニックだけで何かに到達しようと意図しているものを目にすると私は滑稽さよりも醜悪さを感じます。勘違いと謂うよりは性質が悪いです。
何が価値の本体で何がその装飾に過ぎないのか。そういう事が自分の中で整理されていると、自分が楽なのです。混乱しない為です。そういう眼で物事を視る事を続けて、次第に自分なりの体系を構築していって下さい。体系と言いましたが、これはそういう表現が当て嵌まっていると思います。
6706
私は非道い貧しさを経験した事がありません。でも、人間らしく生きる事には必ず一定程度の貧しさが必要です。何ら生活の心配をしなくても可い、欲しいものは待たずとも買う事が出来る、そんな暮らしと人間らしい生活とは調和しません。そういう弛緩した暮らしぶりは屹度人間性を変質させ、最後には失わせるでしょう。
質素と謂える範囲の貧しさ、それを自分の宿命であると、否、却って恩恵であると看做す事を勧めます。それは決して悪いものではありません。苦労がある事は直ちに改善されるべき事とは限りません。そういう中でなければ育たない、人間として非常に大事なものがある事を私は信じずには居れないのです。
6707
勉強をしているから偉いのではありません。訓練しているから立派なのではありません。勉強し訓練するのはそうする事で達成したい何かがあるからするのでしょう。その成果を活用して果たしたい有益な事があるからやるのでしょう。偉いのも立派なのも、勉強訓練の成果を見事当初の目標に適用応用して自分の納得出来る形にする事が出来た、善いと看做せるものを生み出せたからこそです。未だその結果を得ずして自分が何らかの意味で自己を鍛えているだけにして偉くも立派でもありません。まだ『手形』なのです。手形には不渡りというものもありますから。
この事は何度も、それも時間をあけて、思ってみて下さい。そして出来れば本心からそう思って何かに勤しんでいる人を実際に見て下さい。そういう人を見付けるのです。屹度、生涯に亘って自分に良いものを教え続けてくれるでしょう。
6708
伴侶や非常に親しくしかも長く付き合っている友人。それらを典型的な例として、何でも話せる存在が身近に居てくれる事は有り難く嬉しい事には違いありません。更には何でも話せるというのとは違いますが、可愛い子供など居てくれたら本当に嬉しいでしょう。しかしそれでもこれらに拠って直ちに人が『生きて行ける』訳ではありません。それらの存在は強く、とても強く、しかも毎日自分を支えてくれるでしょう。しかし支えてくれるのは使命を果たす為に生きる自分を支えてくれるのです。抑々(そもそも)自分が果たすべきその使命を丸々『くれる』のはその人達の存在ではありません。使命は自分で見付けなければなりません。そうやって自分で見付けた使命を果たさんとて生きる時に、それらの人達の存在の有難さは強く、深く、そして自分に対して『正当に』発揮されるのです。私はそう思っています。
全て重要な核心の部分はいつでも自分一個に懸かっているのだと思います。それに拠って自分を支えてくれる人の誠意が活きる事もありまたそれを無にする事もあるのです。自己一個を確立しましょう。人間として完成しろなどと言っているのではありません。そうではなくその完成を目指して歩く存在としての、迷わざる自分を見出すべきだと言っているのです。即ち自分の生涯をかけて目指す目標を立てるべきだという事です。
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