白髪頭で悪かったね
◆若いつもりが
視覚障害が進み、かろうじて見えるのは、パソコンの白黒反転したディスプレイくらいになった。鏡に写った顔は周囲と同じ真っ白。写真を見せられても識別不可能である。
もとより、人は自分の顔は見えない、と言われる。他人にどう見られているかは、実のところ、分かりようがない。自分のことはさておいて、他人のアラばかり探していると、返される恐れのある言葉だ。
「自分のことはまるで分かってないんだな」
筆者の場合、これら二つのハンディがあるので、現実認識が甘くなっているようだ。一度や二度ならまだしも、三度四度と重なると、否が応でも、厳しい現実を受け入れるしかない。
◆娘に連れられ?
過日、地元の「酒まつり」に行った。当地には往時、十指に余る酒蔵があった。伝統を継承しようとして始まったものらしい。
残念ながら、日本酒のウンチクを傾けられるインテリジェンスはない。熱心なだけの消費者であり、この種のイベントにはいそいそと出かける。
会場で声をかけてきた方がいた。
「いいですねえ。盲導犬を連れ、娘さんと一緒に来られるなんて」
一瞬、沈黙があった。
「ええっ!? 娘さんって、もしかして、私のこと?」
と、妻。親切のつもりの一言が、一人を傷つけ、一人を調子づかせてしまった。
◆ただの見物人です
どちらかと言えば、老けて見られがちだった。
孫娘の通う小学校で、敬老の日に催しがあった。体育館に高齢者が参集していた。
「小学生の練習の成果が見たい」
それだけの気持ちで覗いた。
発表が終わり、立ち見の筆者に、世話係があいさつに来た。
「いかがでしたか。ご連絡いただければ、次回から、あちらに席を準備しておきます」
世話係は、あちらとやらを指さした。
どういうわけか、その年齢に達しても、案内は来ないし、進んで出席する気も起きない。
◆高齢動物
孫娘は中学二年になり、昨秋、埼玉県に帰った。
ポカンと穴が開いたような毎日だった。
「関西方面へ修学旅行だよ」
と、最近、うれしそうに報せてきた。
転校先で楽しくやっているのか、毎日、心配していた。
が、奈良のホテルではカラオケまで披露したらしい。
いたずら心から
「ふふふ。奈良公園でシカの着ぐるみ被って、待ってたの気づかなかった?」
とLINEしたところ
「一頭だけ、白髪のシカがいたけど、あれ、ジイジだったんだ」
全く、余計なこと言わなければよかった。
◆手を加えない
我が家系は長生きのDNAを持っているらしく、祖父も父も九〇歳を超えて生きた。祖父は医者通いすることもなく、ぽっくり逝った。苦労の多い人生ではあったものの、理想の終わり方だと思う。
長く「人生五〇年」とされてきた。それが今では、倍の一〇〇年になっている。
そもそも「寿命」とは天から授かった命の長さである。人為的に引き伸ばせるものではない。ヘタをすると、個人にも社会にも、無理が生じるはずだ。
妻は筆者の髪を染めたがる。見えないこともあってか、筆者はその気になれない。やはり、自然が一番なのだ。