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私の10年を返していただきます

私の10年を返していただきます

作者: 蒲公えい

開いて下さりありがとうございます!

少し長いですが、モラハラを受けていた主人公が、モラハラ男をスッキリざまぁするお話です

(最高記録)

日間ランキング10位。

日間短編ランキング6位。

週間短編ランキング24位。

皆様ありがとうございます!

 なぜこんな状況になっているのか、カイン・アーマルド侯爵令息は思考が追いつかなかった。


 今まで自分よりも格下だと思っていた婚約者が華々しいステージで拍手喝采を浴び、格上であったはずの自分が床に這いつくばり絶望に暮れている。


(これじゃあまるで、俺が弱者じゃないか……)


 既にカインには抵抗できるだけの体力も思考も、この状況を覆せるカードもない。


 絶望に暮れるカインはステージで拍手喝采を浴びる婚約者を端の方から呆然と眺めていた。


 事の発端は1時間前に遡る―――


 貴族が通う学園は本日、卒業式を迎えた。卒業式では思い思いの言葉で在校生や卒業生に伝え、卒業式後に開かれる祝賀会では将来を誓った婚約者達や友人達、先輩の門出を祝う後輩、貪欲に特段仲の良くなかった級友と手を組む者達で溢れ返っていた。


 今年の祝賀会の目玉のひとつは、学園在学中に多大なる功績を国に貢献した者にのみ授与されるという《グロリオサ》の授与式だ。


 花であるグロリオサの花言葉〈栄光〉から由来するこの称号を手にする者は滅多に現れず、今年は20年ぶりの快挙なだけあり、どこの誰が呼ばれるのか、期待を募らせていた。


 募らせている一方で《グロリオサ》を授与される程の功績をもたらした人物は数が限られており、祝賀会に出席した子女達の誰もがある人物を思い浮かべていた。


「どうしたんだよカイン、今日はやけに機嫌がいいじゃないか」

「そりゃあ機嫌も良くなるだろう?これから俺の妻となる婚約者が《グロリオサ》の称号を得るんだ」


 そう言いながら、カイン・アーマルド侯爵令息は数多の令嬢からの物言いたげな愛らしい目配せ全てに手を振っては、その内なる想いに応えていた。


 時には躓きそうな令嬢に手を差し出したり、婚約者を探している令息や令嬢の助けまでも行っている。いつもは権力を持っている家柄の者にしか手を差し伸べないが、今日はいつになく機嫌がいい。


 爽やかで優しい好青年……皆の印象に残るほどに。


 しかし誰もが思い浮かべ期待し、敬慕する貴族の象徴が自分の婚約者ともなれば、カインのようにまるで自分の事のように喜ぶ事だろう。


「これから俺を支える相手が《グロリオサ》なんて、誇らしくて堪らないさ」


 カインはグラスに入っていた飲料を飲むと、爽やかな笑顔を浮かべた。婚約者が既に《グロリオサ》の称号を得たかのような口振りに友人であるサイラス・エバンズ伯爵令息は苦笑いをこぼす。


「まぁ誰が見ても、決まりだろうな。歴代最高成績で入学し、一旦成績が落ちたものの2学年からトップを譲らず首席卒業。決定打はスラム街廃止案計画、工場廃水と水道管設備案……もうその全てが陛下まで届き受理されたらしい」

「そりゃあそうだろ、俺の妻になる女だぞ?」


 自分の事のように……それが歪な形となりカインの中で渦巻く中、会場が揺れる程の歓声が響き渡った。


 歓喜の中心には、周りとは風格の違う令嬢が佇んでいた。会場のシャンデリアで光沢を見せる金色の髪、空色のドレスはこの辺の地域では見たことの無い波立つ生地だったが、海を思わせるその波は彼女の白く儚い容姿と相まって妖精のような美しさを醸し出している。


 ふぅ……と、緊張しているのか伏せた目元は女性らしい色気が漂い、男性だけでなく女性までもが彼女に釘付けになった。


 そんな、周りの憧憬の視線を一身に集めるリリーフィア・ドルファン伯爵令嬢を婚約者とするカインは興奮気味に頬を赤く染め、体が微かに震え出した。


 敬慕の視線を向ける誰もが見つめる女は自分のものなのだと、カインは冷静さを保ちながら


「リリーフィア!」


 彼女の名前を呼んだ。


 誇らしく思う反面、自分よりも格下だと認識しているリリーフィアが自分よりも注目を浴びている事が些か気になって仕方がない。

 こうして脚光を浴びているのも全て俺が指示したお陰だろうが、と。


 リリーフィアとカインの婚約は齢8歳から始まった。

 アーマルド家は侯爵であるものの、ドルファン伯爵家に比べれば国でのポジションや経済面において下であったが、リリーフィアは自分よりも格下だという確かな認識があった。


 出会った当時、リリーフィアは華やかさとは正反対な場所にいた。


 名門伯爵家の生まれであった為、当主始め兄や弟にも秀でた才能があったが、自信の無さがリリーフィアの全てにおいて足を引っ張っていた。


 いつも俯きがちでドルファン伯爵家の象徴である澄んだ青色の瞳も深海のように黒ずみ、無造作に伸ばしているだけの金髪は顔を隠すように重たく見え、なににおいても1歩後ろに下がる奥ゆかしい性格だった。陛下の側近である貴族達の前で堂々と意見を述べるなど、当時の彼女では考えもつかない。


 それに比べ、カインは幼少期から父譲りの社交性と爽やかな容姿で人の中心にいるような性をしている。


 そんなカインがリリーフィアが自分よりも格下であると認識するのに時間はかからなかった。


『お前はその仏頂面を止めた方がいい。愛嬌のない女などなんの価値もないぞ』

『お前は俺をささえる為に生きているんだ。それ相応の努力をしろ』


 カインは事ある毎にリリーフィアに助言をし、今の彼女がいるのは自分の成果に他ならないと自信を持っていた。


 数回に渡りリリーフィア以外の令嬢と関係を持った事もあったが、それはリリーフィアが未熟だから、バレなければ問題ないとカインは反省の素振りを見せず1学年が終了。


 2学年初期に生徒会へ入った事により、リリーフィアは生徒会長であるテオドール・ロア・ウィリアム王太子やアメリア・ヘルべード公爵令嬢、騎士名門一家セオドア・ルーズ男爵令息の影響を受けてか見違える程に綺麗になった。


 顔を隠すように伸ばしていた前髪を眉下で整え、無造作に伸ばしていただけの後髪は綺麗に結うか毛先を少し遊ばせ、学園内ではナチュラルメイクでいる変貌を遂げた。


 カインはなぜ婚約者である自分に話を通さなかったのか問い詰めたが、リリーフィアは「驚かせようと思って……カイン様の為に頑張ったんですよ?」と、愛らしい理由にカインは仕方ないと了承した。


 それから間もなくの事だ。

 リリーフィアは2人きりの時、いつも対面に座るがカインの隣へ態々回り込み近くにいることが増えた。

 肩が少し触れれば頬を染め、恥ずかしげに顔を俯かせ、俯いた刹那に香る甘い香りはカインの心をくすぐった。


 クラス内でも目が合うことが増え、視線が交えば嬉しそうにニコッと微笑む。


 些細な愚痴も聞いてくれるようになり、親身になって相談に応じてくれるようになった。


 リリーフィアがカインに好意を抱き、自分の為に容姿を可愛らしく変え、それによって自信がついたのかアピールまでしてくる……3年に上がる頃にはカインすらリリーフィアに焦がれるようになっていた。


 他の有象無象では満足できなくなっていたのだ。

 すると今までリリーフィアに見せつけるように行っていた浮気と呼べる行動が全て無くなり、リリーフィア一色になった。


 俺の為に見た目だけでなく成績も上げ、俺の一言でアクセサリーのひとつに至ってもそれ通りに変えていく。

 愚痴は聞いてくれ、学力がいいと偉ぶる素振りひとつせずに立ててくれる。


 これ以上の婚約者がいるのだろうか……と、カインの自尊心を高めるには最高の婚約者であった。


 そして、今では淑女の見本とまで言われているリリーフィアがこの祝賀会を終えれば妻となる事が約束されている。

 これ以上にカインが胸を高鳴らせることは無い。


 カインがリリーフィアの名前を呼ぶと、彼女は気品があり近寄りづらかった雰囲気を幼子のように柔らかく近寄りやすいものに変えた。


 カインの元へ着いたリリーフィアは淑女らしい頬笑みを浮かべ、綺麗すぎるカーテシーで頭を下げると


「お久しぶりです、アーマルド様」


 そう頭を上げ、カインと目を合わせた。


(アーマルド様……?)


 いつもリリーフィアは鈴の音のような声で、カイン様と呼ぶ。変に他人行儀だったものの、そんな事が気にならないくらいにリリーフィアはカインの心を掴んで離さなかった。


 リリーフィアは2ヶ月前から提案書を陛下へ献上する為、学園を休学しており、言葉通り久しぶりの会話だ。


 2ヶ月間、手紙すら送れない程に忙しいと伝わっていたカインは久々のリリーフィアとの会話に胸は張り裂けんばかりに膨らみ、愛おしさで今にも抱き寄せてしまいそうだ。


「エバンズ様もお久しぶりです。最後にお会いしたのは2ヶ月前でしょうか。お変わりないようで安心致しましたわ」

「ドルファン嬢も……とてもお綺麗に、なられて」

「ふふふ……ありがとう存じます」


 クラスメイトであり、友人の婚約者である令嬢なのにも関わらず、変に意識したどたどしくなるサイラス。


 そんな彼に微笑むリリーフィアも絵画のような美しさがあり、誇らしくなるが、微笑む相手が自分でないことに苛立ちを覚えたカインは無理やり二人の間に割り込むと


「綺麗だ」


 そう不器用に笑顔を見せた。好いた相手に感情を向けるのがこんなにも難しいのだと、カインは歯痒くなるが、そんなカインをリリーフィアは面白そうにクスッと微笑むと


「そうでしょうか……ありがとう存じます」


 目線を足元へずらした。


 サイラスは気を利かせ、2人きりの時間を用意した。リリーフィアが居なかった2ヶ月でどれ程、カインは努力したのか、語った。


 するとリリーフィアは2ヶ月前と変わらない笑みと口調で


「流石ですわ」

「知らなかったです。アーマルド様は相変わらずでございますね」

「素晴らしいお考えです」

「センスがよろしいのですね。そんなアイデア、(わたくし)なら思いつかなかったでしょう」


 と、真摯に聞き入れてくれた。


 それだけでなく、何かと「そうなんですね」と言っては相づちも、立てる事も忘れない。とても良く出来た婚約者であると、カインは惹き付けられる一方だ。


「壇上に上がることがあるだろうが、その時の言葉を用意しておいた。リリーフィアは昔から緊張すると馬鹿になるから、これを読み上げるといい」


 それは《グロリオサ》の授与終了後、授与者に与えられるスピーチの用紙であった。リリーフィアはそれを不思議そうに受け取り、内容を見た彼女は尚更困惑気味にカインと用紙を見比べた。


「これ、―――」

「では出席者全員揃いましたので《グロリオサ》の授与式に入ります」


 会話の途中、アナウンスはリリーフィアの声を遮った。


 授与される者にも伝えられていないが、会場中の視線は自然とリリーフィアへと集まる。その視線にも揺るがず、凛と壇上を眺めるリリーフィアは”美”そのもののように見えた。


「《グロリオサ》を授与されるのは……リリーフィア・ドルファン伯爵令嬢!」


 会場中が歓喜で揺れた。


 その名前を呼ばれると、完璧であったリリーフィアの顔に涙が浮かび、彼女は人差し指で涙を抑えた。


 今日、彼女はただの雑草から綺麗な花へと咲き誇ったのだ。


「リリーフィア・ドルファン伯爵令嬢とその婚約者カイン・アーマルド侯爵令息は壇上へ!」


 アナウンスは2人を呼んだ。《グロリオサ》の授与と共に、花束が婚約者の手によって渡されるのが決まりであった。


 しかし、カインが誇らしそうに手を差し出したその先、彼女は訝しげな顔つきで壇上を見ては、辺りを見渡し不思議そうに首を傾げている。


 そればかりかエスコートを無視し、ひとり、壇上へ歩いて行ってしまった。こればかりは周りの視線も歪んで2人を眺める。


 この2ヶ月でエスコートされる事を忘れてしまったのだろうか……カインは羞恥心と憤怒の心で顔を真っ赤に染め上げた。


 しかし今は皆が注目する場だ。会場を出た時、キツくリリーフィアへ言い聞かせる事にし、カインは後を付いていくように壇上へと向かった。


 壇上へ上がると、リリーフィアが行ってきた数々の栄光が読み上げられた。そしてそれは貴族の象徴である《グロリオサ》の称号に相応しい人物だと、グロリオサの花を模した王冠が授与された。


 王冠が乗った凛々しい佇まいは精霊王の様に美しく、絵画にも勝る迫力も備わっている。


 この時代の頂点となった婚約者が自分の妻になる……そんな優越感に浸りながら、カインは従者から貰った花束を持ち、リリーフィアの元へ向かった。


 そして目の前で立ち止まると、


「おめでとう。リリーフィア」


 そう言って花束を差し出した。リリーフィアへ向けられる憧憬の目がまるで自分の物のように感じる。


 リリーフィアは嬉しそうに涙を零すと、上擦る声を抑えながら「ありがとうございます」そう言って受け取る―――はずだった。


 リリーフィアはスピーチ用のマイクを学園長から貰うと、


「皆様がご存知ではないようなので、この場を借りて宣言致します。(わたくし)、ドルファン伯爵が娘、リリーフィア・ドルファンとここにいるカイン・アーマルド侯爵令息は、本日を以て婚約を破棄する事を宣言致します」


 一切の悔いなど感じない、清々しい声と華やかな笑顔でそう宣言した。


 会場中は歓喜では無い声で揺れ、後ろにいた学園長ですら目を丸くしてリリーフィアを見つめている。


「なのでその花束はアーマルド様からは頂くことが出来ません」


 カインは唖然とリリーフィアを見つめた。その視線に気が付いたリリーフィアが嬉しそうに微笑んだのを封切りに、カインは壇上の中央まで怒り狂いながら上がると


「婚約破棄など俺は聞いてないぞ!」


 怒りをそのまま声に込め、顔を真っ赤にしながらリリーフィアへ感情を剥き出しにした。


 学園長へマイクを返したリリーフィアは一呼吸開け、力強い眼差しでカインを見つめた。その眼差しをカインは知らない。別人がそこに立っているようだと、カインは思わず足を一歩引き下げる。


「アーマルド様は入学以前から、お前の考えている事なんて俺は全て予想できる。だから態々報告してくるな……そう仰っていたでありませんか?」


 感情を剥き出しにしているカインに怯える素振りひとつ見せないリリーフィアは片手を頬に当て、不思議そうに首を傾げた。


「予想……出来ておられたのですよね?」


 一友人に見せる平坦な笑顔だ。しかし、笑顔と言うには張り付いた感が抜けず、笑っているはずの瞳からは決して喜や楽の感情が見えない。


 ちょっとしたパーティーなどのエスコートをリリーフィアに頼まれる度、予定を知らないから教えてやろうとばかりに言われているように聞こえ、確かに話した事があった。


 いつものようにリリーフィアは歯向かうことなく「わかりました」と細い声で了承したのを覚えている。


 それからリリーフィアは何かをカインに頼む事は無くなったし、カインが忘れて出席しないパーティーでは惨めな思いをしていた。


 そんな彼女が自分に意見し、ましてや強気な眼差しを向けるなど、考えもつかない。


(リリーフィアはこんな奴だったか……いや、違う。もっとリリーフィアは……)


 リリーフィアはもっといつも何かに怯え、こちらの機嫌を伺うような瞳をしていた。青い瞳が俯いているせいで深海のように青黒く見え、自分の才に自信を持って生きているドルファン伯爵家の人物とは思えない、怯えた令嬢だった。


 カインはこんなに堂々と立ち振る舞う彼女を知らない。こんなにも見るからに明らかな強者の風格を放つ……リリーフィア・ドルファンを。


 しかし、それを認められるだけの器をカインは持ち合わせていない。今まで従ってきただけのリリーフィアがこうして自分に意見する事に苛立ちが抑えられず、カインは


「俺はそんな事言っていない!それにだ!お前がこうして振る舞えるのは俺のお陰だろう!?そんなお前が俺に意見?ふざけるんじゃない!」


 理性を捨て、本当の顔を曝け出した。


「あんなにも馬鹿で未熟だったお前を俺が導いたんだ!俺の奴隷のクセして歯向かうのはやめろ!」


 会場中に響き渡ったカインの怒りに満ちた声に、周囲はどよめき出した。好青年キャラが裏目に出ただけでなく、あの好青年があんな口の聞き方で、あんな態度を示すのか……と、軽蔑の視線はカインを指す。


 大半の子女はリリーフィアが垢抜ける前の頃を知っている。地味ではあったが、心優しい令嬢だった。


 未熟であった事は確かだったが、馬鹿で未熟、奴隷と罵るカインに軽蔑以外の感情は向けられず、カインに向けられる視線は冷ややかなものばかりだ。


 そんなカインを前に、リリーフィアは困ったように眉尻を下げ、微笑むと


「いつもそうでした。あなたは何か気に入らないことがあれば罵り、嘘をつき、私を従わせようと致しましたね」


 リリーフィアはおもむろにカインの方へ歩き、彼の前で立ち止まると、自信のなさなど微塵も感じさせない堂々した立ち振る舞いで丁寧に言葉を並べた。


「もう(わたくし)はあなたの意見に左右されたくありません」


 その凛々しくも力強い姿に、誰もが目を奪われた。これが《グロリオサ》を授与される者の風格なのだ、と。


「しかし……あなたの意見に従っていた過去は間違いではありません」

「なんだよ、認めるのか?なら俺のお陰だろ!」

「それは、あなたに捨てられると思っていたからです。どんなに矛盾していても、従わないただの私は捨てられ、だから浮気されるのだと」

「う、浮気……?浮気だと!?嘘をつくなよ、この阿婆擦れ!」


 白々しい嘘にリリーフィアは思わず、クスッと笑みを零した。言葉がないだけで、“全部知ってますよ?”とでも言いたげな笑みに、カインは苛立ちを覚える。


 リリーフィアはそんな事には気が付かないと高を括っていた。しかし、とカインは冷静になる。これは弱点を引き出す為のハッタリなのではないかと。


(どんなに綺麗になったとはいえ、相手はあのリリーフィアだ。気付くはずがない)


 カインは冷や汗をかきながら不器用に笑うと


「ハッタリもいい加減にしろ!寂しかった腹いせだとして、やりすぎじゃないか!?それに証拠はあるのか?ないだろう!?今謝れば許してやる。さぁ、頭を下げるんだ」


 リリーフィアの手首を力強く掴んだ。鈍い痛みがリリーフィアを襲い、刹那、数年前の怯えた瞳をした彼女だったが


「暴力で解決しようとする癖……相変わらずですのね」


 瞬きひとつで今の強い瞳に戻り、悲しそうに微笑んだ。最近はそういう姿を見せず、傲慢ながらも優しく扱ってくれる彼は心根を変えてくれたのだ、と期待していた。


 その期待が、リリーフィアの中で粉々に崩れ落ちる音がする。リリーフィアが彼に抱いていた期待の全てを諦めた、その時……大広間へすごい形相をした中年男性が現れた。


「ここにカイン・アーマルドはいるか!?うちの娘に手を出した挙句、捨てたそうだな!表に出ろ!」


 それはカインの浮気相手のひとりであるイーブル伯爵令嬢の父親だ。イーブル伯爵令嬢とは二年生の初期、関係に至った。


 しかし、リリーフィアが綺麗になり、好意を抱いているような行動を取ってからめっきり会う事を止めた令嬢だ。


 当主が妻の他に側室を置くこと自体は珍しく無いが、それはあくまで経済的に余裕がある当主であること。ただの令息が婚約者の他に相手を作るのとは訳が違うのだ。


 徐々に広がっていく嘲笑で、カインは我に返った。怒鳴り散らしたのも、浮気がバレたのも、全て公衆の前であったと、漸く理解が追いついたのだ。


 さっきまで溢れ返っていた歓喜の視線が、軽蔑の視線となって返ってくる。


(もう逃げ場がない……いや、たしかあいつは伯爵位だ。父さんならこんなの無かった事にし、イーブル伯爵に濡れ衣を着せるなど造作もない)


 しかし、カインには最後の手がある。いつもそうしてきたのだ。泣きつけば何とかなるだろう……と、その場を国家騎士達が退けるのを待っていたが。


「なんだってー!?アーマルド侯爵の脱税が見つかって逮捕状がでた!?」


 どこからともなく聞こえてきた声に、カインの最後の手はついえた。脱税など聞いてもいないが、そんな噂が出てしまえば助ける所の話ではなければ、強欲な父にとって自分は必ずお荷物になる。カインの最後の手は閉ざされた。


 ステージ近くにいたサイラスを始めとした友人達と目が合い、助けてくれと目で合図したが、直ぐ友人達もその場から去り、カインは愕然とした。


 もう、味方はいないのだ、と。


「ウィリアム様はお前は誰の為に生き、誰が何を成し遂げる為に私は生きているのか……初めて会った時、そう尋ねられました」


 呆然と、カインはリリーフィアの方へ顔を向けた。


「アメリア様も何の為に自分を磨き続けるのかと。ルーズ様には何を軸に生きるのかと」

「……だからなんだと言うんだ」

(わたくし)は理想とする淑女となる為、自分が誇りに思える自分に成る為。まだ飛べずにいるひな鳥へ、手を差し伸べる事のできる人間に成る為、私は生きたい」


 その力強い言葉に、拍手が鳴り響いた。


 壇下の方へ体の向きを変え、お辞儀をするリリーフィアを何度もカインは呼ぶも、まるで自分がそこに居ないかのように見向きもされない。


 カインは再び絶望の縁へ追いやられた。


 会場中の関心がリリーフィアへ行く中で、国家騎士の2人がカインを取り押さえに来た。拍手喝采を浴びる格下だと思っていた婚約者と、地に伏せ絶望にくれる格上だと思っていた自分。


「お前は……リリーフィアは」


 呆然と見るリリーフィアの横顔に、カインは一筋の光を導き出した。


 あの、自分に好意を抱いていた行動や眼差しは嘘ではないだろう、と。


「俺の事を好きだっただろう?今なら、今ならまだ許してやる……お前だけを愛してやろう」


 震える声を無理やり張り、盲目な眼差しは一身にリリーフィアを映し出していた。


 その言葉にリリーフィアの冷たい瞳はカインに向けられ、カインの胸は高揚した。遠い光を見る真っ直ぐな瞳が、自分の方へ向いている。綺麗で美しい婚約者、自分を愛してくれている唯一の光が見てくれている。


 カインは自分でも気が付かない内に、リリーフィアへ心酔していたのだと、彼女だけが確信した瞬間だった。


 リリーフィアは淑女の笑みでゆっくりカインの方へ近付いてきた。


(そうだ……まだ、リリーフィアは愛してくれている。俺はひとりじゃない。俺はまだ……!)


 カインを取り押さえていた国家騎士を後ろへ下げると、リリーフィアはカインの耳元へ顔を寄せた。カインの胸は激しく音を立て、体は自分のものでは無いように硬直して動こうとしない。


 今すぐに抱きしめて、愛を誓って、今までの事を全て謝罪したい一心だった。しかしリリーフィアはそれ全てを理解してくれている……カインがリリーフィアの方へ視線を逸らしたその時。


 リリーフィアは口元へ手を置き、カインの耳元で囁いた。


「まだそれ、信じていたの?」

「……は?」


 抜け殻のような声がカインから微かに聞こえてくる。


「あなたの事なんて、とうの昔から愛してなんてないわ。私はこの10年間、ずっとあなたの事が大嫌いだった」


 淑女の口振りでない。素のリリーフィアの話し方だ。それはより一層、リリーフィアの本音なのだとカインに伝えてこようとする。


「もう二度と、私の前に現れないでちょうだい?さようなら、カイン・アーマルド様。お元気で」


 最後の表情はリリーフィアの取り繕っていない笑みだった。


 カインは遂に膝から崩れ落ちた。


 絶望だけではない、不思議な高揚感が胸を襲う。あのリリーフィアが最後に微笑みかけてくれただけでなく、激励の言葉をかけてくれたのだ。


「婚約破棄をしたということは、ドルファン嬢は婚約者なしと言うことですよね?」


 高揚感を掻き消すような爽やかな声はリリーフィアを呼んだ。振り返った先、そこには花束を持った男性が壇上へゆっくり歩いて来ている。


「ウィリアム様?」


 テオドール・ロア・ウィリアム……一国の王位継承権第一位の王太子である。


 テオドールは優しげな笑顔を浮かべながらリリーフィアの方へと向かった。そしてリリーフィアの前で片膝を着け、花束を突き出すと


「リリーフィア・ドルファン伯爵令嬢。僕と婚約して頂けませんか?」


 真っ直ぐで綺麗な碧眼の瞳でリリーフィアを見上げた。どうか断ってくれと、カインは心から願った。


 しかし、リリーフィアは熱が籠った眼差しで彼を見ると、儚くも美しい笑みを浮かべ


「ありがとうございます」


 花束を受け取った。


 自分には一度も向けたことの無い、綺麗で美しく、儚い笑顔だ。これが恋する相手に向ける顔なのだとカインは瞬時に理解した。


 熱くなる心は涙を誘う。


 リリーフィアが感極まって涙をこぼすと、テオドールはそんな彼女を力強くも優しく抱き締めた。


「ずっとこうしたかった」

「私もです。お慕いしておりました」


 会場中が2人の門出を祝福するように拍手が鳴り響き、涙を流すものまで現れた。


 そんな幸せで溢れる会場で、カインひとりが絶望に暮れていた。

最後まで見て下さりありがとうございました。

後日談でリリーフィア目線の学生生活『気弱な令嬢、返り咲く』を連載中です。


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リリーフィアの保護者達は、アホボンのアレっぷりを把握していなかったのですか。 こっちはこっちで、毒親・毒家族だったのでは? あの晴れの場で存在感が無かったことも、穿って考えますと、既に絶縁済みだったと…
[一言] 適当な返答「さしすせそ」で笑います
[気になる点] 王太子に婚約者がいない理由
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