001 与論島旅行 1
まず最初はこの話「与論島旅行」です。
これは話すと大抵の人が笑う、私の持ちネタでもあります。
それはまだ日本もギリギリ20世紀だった頃、私は友人のK君と一緒にある船旅の計画を立てました。
K君は大学時代からの親友の一人で、これ以前にも私とはよく旅に行く仲でした。
特に私とK君は船旅が好きなので、それまでも何回か船旅をしていました。
そんな時、ある新聞の広告が私の目を引きました。
それは
「与論島まで五泊六日の素敵な船旅!特価9800円!」
という広告でした。
まずは五泊六日で9800円という信じがたい価格に驚きました。
20世紀の末とはいえ、ちょっとしたホテルなら一泊食事つきで1万円はする御時勢です。
それが六日で1万円しないとは、はっきり言ってメチャクチャ怪しい話です。
しかし一応名の通ったまともな旅行会社が企画しているツアーなので、さすがに詐欺と言う事はないでしょう。
それに私はこの旅行のからくりを多少理解していました。
与論島までは船で2日半かかります。
それなのにこの旅行は全工程が6日間という事は与論島には実際には1日もいないのでしょう。
つまり旅のほとんどが船の中という訳です。
そしてその間の食事は付きません。
船の中では食事も勝手にしろという事です。
要は船にだけは乗せるので、後は自力で何とかせいというツアーなにでしょう。
それで激安だったのでしょう。
実際、その旅行の話を職場でしたら「そりゃ自分で漕いで行くんだ」「知らない島に連れて行かれて売られてしまう」だの散々な事を言われました。
それでもその話をK君にすると、結構乗り気だったので、私はそのツアーを二人分申し込んだのでした。
実は私とK君は海好きな上に、船好きだったので、船に6日間いても全く問題がなかったからです。
それまでにも丸1日二日船に乗って一緒に旅をする事も何回かありました。
但し、私はこの時、K君に条件を付けました。
それは船の部屋の等級を行きは申し込んだままで良いが、帰りは一番上の等級に変えるという事でした。
船に乗った方は御存知だと思いますが、船の部屋の等級と言うのは一段階違っただけでかなり違う場合があります。
電車や飛行機などでは自由席が指定席になったり、グリーン車になったとしても、せいぜい場所を確保出来たり、多少広い椅子に座れたりする程度です。
しかし船の場合は等級を一つ上げただけで雑魚寝から個室になったり、同じ四人部屋でも洗面所とシャワーがついたり、専用のベランダがついたりなどと、船内での生活面の向上は信じられないほどの格差がある場合があります。
この時の船がまさにそれで、その船の等級は4段階に分かれており、一等、二等A,二等B、2等の4段階に分かれていたのです。
このうち、二等Aは二段ベッドの4人部屋、二等Bは寝台車のような二段ベッド、そしてただの二等は大部屋で雑魚寝でした。
しかし一等は全く違っていたのです!
私が調べた所、その船の1等は他の船で言う所の「特等」の位置にあり、その扱いも明らかに他の部屋と別格だったのです!
それこそ我々が行きに乗る予定の大部屋の雑魚寝とは天と地ほど差なのは明らかです!
そこで私はK君に「今回に限っては、帰りの等級は一番上に上げて一等室にしよう」と提案したのです。
しかしK君は渋りました。
当然の事ながら1等ともなると3段階も等級が上がるので、差額の値段が倍以上になるのです。
せっかく1万円を切るような貧乏旅行をしながら、実際に支払う値段が2万円以上にもなってしまうのです。
確かにそれでは話が違います。
しかし私は一等室の金額で特等扱いの部屋が取れるなら損はないと考えました。
それに今まで私とK君は特等室などという贅沢な部屋で船旅をした事などは無かったのです。
そこで今回は日本で一番長い航路と言う事もあり、私は一番等級の高い部屋を取ってみようと考えたのです。
私とK君はそれまでにも何回か船旅をしており、その時は必ず行きと帰りで部屋の等級を変えるという事をしていたのですが、今回は一番下の等級から1番上の等級という、今までにはない極端な変更です。
私はK君が渋るのも、もっともだと思いながら説得をしました。
今回の旅は今までで一番長い航路で片道が三日近くもかかる事、その間、大部屋では一回は面白いだろうが、帰りもそれだと恐らくうんざりするだろう事、そしてこの船の一等は特等扱いの一等なので間違いなく、恐ろしく豪華であろう事などを並べ立てて、今回だけは何が何でも帰りは一番上の等級の部屋にしようと説得し、最終的にはどうしてもそれでも不満ならば、私が差額分を全部出すという事で了承させました。
そしていよいよ船旅です。
私とK君は東京有明のフェリー乗り場に行きましたが、そこでまずは驚きました!
なんと沖縄行きのその船の乗り場は掘っ立て小屋のような建物に古い木の板で「沖縄方面フェリー乗り場」とだけ書いてあって、本当にここに沖縄行きの船が来るのかと疑ったほどです。
中の待合室も質素で椅子などは昭和30年代頃から変えていないような椅子で、鉄のばねがビヨン!と飛び出ているような椅子で思わず二人で笑ってしまいました。
今まで何回も船に乗った事はありますが、ここまでぼろい船の待合室は初めてです。
しかも待てど暮らせど船がやってきません。
昼過ぎには来る予定だった船が到着したのがとっぷりと夜が更けてからです。
話によると5時間以上遅れての到着だそうです。
私はK君と到着がこれだけ遅れたのなら、出発も当然遅れるだろうし、これは実際には与論島には半日もいられないのではないのか?と予想し、実際にそれは当たりました。
それでも船に乗って出港準備です。
我々は当初の予定通り、一番下の等級の二等室ですが、まずここで驚きます。
何しろ船の大きさはそれなりに大きいのですが、本当に定員内に収まっているか疑わしいほどの客員数です!
どこもかしこも人だらけで、まるでゴールデンウイークの東京駅にいるかのようです!
しかもただでさえ、大部屋にギュウギュウに詰めるので、一人当たりの面積が恐ろしく狭く、最初から狭い幅60センチほどのマットが敷いてあって、一人の居住スペースはそれしかないのです!
ロッカーや衣装だなのような物はなく、荷物はどこに置くのかと思えば、部屋の外の廊下です!
コインロッカーは一応あるのですが、それはあっという間に埋まってしまい、ほとんどの人間が利用できません!
では貴重品はどうすれば良いのかというと、肌身離さず持っているか、船の中にある案内所に預けるしか方法はありません。
実際、私たちが部屋で身支度をしていると、私たちを案内した船の事務員のおっさんが次々に案内をしていますが、それがもう築地の競りのおっさんのようです。
「はい、264番はそこ、265番はそっち!荷物?そんな物部屋に置いちゃだめだよ!外!外!部屋の外の廊下において!」
確かに案内のおっさんが言う通り、部屋に荷物など置いたら人間のいる場所がありません。
案内された我々は少々放心しつつ、これはかつて味わった事のない、凄い船旅が始まりそうだと予感します。
そしてあまりの事に青ざめたK君は、あれほど等級を変えるのを嫌がっていたのに、「いや、流石にこれは・・・ちょっと等級を上げられるかどうか聞いてくる」と言って混乱する大部屋を出て行きました。
その後姿に「無駄だよ」と私は声をかけました。
何故ならすでに上の等級は全て埋まっていたのを知っていたからです。
難民船のように大騒ぎしている我らが大部屋へ戻ってきたK君は言いました。
「空いてなかった、それにあの程度の部屋に上げる位ならこのまま三日間、この部屋で我慢するわ」
「うん、それしかないと思うよ。
でも、やっぱり帰りは良い部屋にしておいて良かったでしょ?」
「ああ、全くだよ!よくそれを提案してくれたよ!
まさかこれほどだとは思わなかった!
六日の内、ほとんどが船の中なのに、帰りもこれじゃたまらなかった!
これじゃ丸っきり難民船だよ!
のんびり船旅も何もあったもんじゃない!
差額はもちろん払うよ!」
「な?そうだろう?」
そう言って私は笑いました。
我らの楽しい難民船の旅は始まったばかりです。
当作品を面白いと思った方は、ブックマーク、高評価、いいね、などをお願いします!
ブックマーク、高評価、いいねをしていただくと、作者もやる気が出てきますので是非お願いします!