第一話 初夜に前世を思い出しました。
初夜のベッドの中、私に覆いかぶさっているのはこの国で一番美しい青年です。
第二王子パイロン殿下──アザール侯爵家の跡取りである私エレノアの夫にして、未来の侯爵です。彼は我が家に婿入りしたのです。
パイロン様は私の初恋の方でした。
ベッドの脇のランプに照らされて、彼の金色の髪が淡く煌めきます。
ランプ以外の明かりがないので顔ははっきり見えませんが、青い瞳が私を映しているのはわかりました。
薄い唇が開き、熱を帯びた甘い声が囁きます。
「愛しているんだ……クリミネラ」
パイロン殿下、もといパイロン様は私の異母妹の名前を口走りました。
ランプの弱弱しい明かりだけでは、彼にもはっきりと私の顔がわからなかったのでしょう。そうでなくても父似の異母姉妹なのです。髪の色も瞳の色も同じでした。
もしかしたらパイロン様は心の中でだけ、真に愛する人の名前を呟いたつもりだったのかもしれません。
クリミネラは婿養子だった父がメイドに産ませた子どもです。
生まれる前に親子ともども我が家から放り出されていましたけれど、私の母が亡くなったのをいいことに父が彼女を家に引き入れたのです。
向こうの母親も亡くなっていたのは幸いでした。ふたりして押しかけられてたら、私は怒りで頭の血管が切れて死んでいたでしょう。
異母妹は父のゴリ押しで貴族の子女が通う学園に入学し、美しく儚げな彼女は私の婚約者であったパイロン様を始めとする多くの男性を虜にしました。同じ父似でも、私は儚げではありません。
彼女に嫉妬の感情を隠せなかった私はパイロン様に疎まれ、学園の卒業パーティで婚約破棄されました。
ほかの男性を選んだクリミネラに捨てられたパイロン様に再構築を懇願されたのは、学園の卒業パーティから半年ほど過ぎたころでした。胸の奥にこびり付いた初恋の残滓に浮かされて、私は周囲の反対を押し切ってそれを受け入れてしまったのです。そして今日、卒業からちょうど一年目に結婚いたしました。
なんて莫迦なことを!
パイロン様はご自分の失言に気づいていらっしゃらないようで、引き続き私の体をまさぐろうとなさっています。……ふざけないでよね!
異母妹の名前で呼ばれた瞬間に前世の記憶が蘇ったんだけど、今はそのことを深く考える余裕はなかった。
私はベッドの脇に手を伸ばし、火傷するのも気にせず掴んだランプで彼の頭をぶん殴った。ガラス製だったランプが割れて、破片が彼の頭に突き刺さる。
「クリミネラ……なぜ?」
「異母妹と思い込まなければ抱けないほど私がお嫌いならば、再構築などお申し出にならなければ良かったのですわ、殿下」
「あ!」
ようやく自分の発言に気がついたようだ。
「すまない、間違えたんだ」
「はあ?」
初夜の床で新妻の名前を元カノ、しかも新妻の異母妹、しかも新妻と婚約破棄をする原因となった略奪者の名前と間違えた?
脳に蛆でも湧いてんじゃないですかぁ?
私はもう一度彼を殴り、自分の上から避けさせた。
すっごーい! 好きでもない女相手でも臨戦態勢に入る節操なしの股間をお持ちなのですねー。
ま、実際は酒を飲んでほろ酔い気分になってるだけだろうけど。酒臭いし。
ベッドから飛び降りた私に、ランプの破片で出来た傷から滴る血を拭いながらパイロンが呼びかけてくる。
「どこへ行く、エレノア。今夜は私達の初夜なのだぞ」
「どうなさいました、お嬢様!」
控えの間から飛び出て来たメイド(主人を誘惑したりなどしない真っ当なメイドです)が、パイロンの血を浴びた私を見て顔色を変える。
まだ脱がされていなかった寝間着の上にガウンを羽織り、彼女に詫びた。
「ごめんなさい、あなた達の言う通りだったわ。一度裏切った男など信用するべきではないわね。危うくお母様の二の舞を演じるところよ」
「なにがあったのですか?」
「あの男、異母妹の名前を呼びながら私を抱こうとしたの」
メイドが憤怒の形相に変わる。
「なんですか、それ。最低じゃないですか! 婿様だってそこまでクズじゃなかったと思います!」
彼女は母親の代からこの家に仕えてくれている。
もちろん彼女の父親は、ちゃんと妻と婚姻関係を結んでいるまともな男だ。浮気もしてない。
ちなみに婿様というのはパイロンのことではなく私の父のことだ。結婚早々浮気して跡取り娘と同い年の庶子を作るような婿養子、旦那様と認められるはずがない。メイドに手を出したことがわかった時点で婿様も侯爵家から追い出しておけば良かった、というのが我が家の使用人達の総意です。
寝室の扉を開けて、メイドが廊下に向かって叫ぶ。
「お父さん! じゃなかった家令さん! パイロン様のせいでお嬢様が血塗れです! 助けに来てくださーい!」
念のため言っておくと、侯爵家なのだから廊下にはちゃんと護衛がいる。
でもメイドはたぶん家中にパイロンのクズさを触れ回りたかったのだ。
まあ婚約破棄の時点でみんな知ってると思うけどね。
祖父の代から仕えてくれている使用人達が集まって(そういえば異母妹の母親は父が実家の男爵家から連れて来たメイドだったっけ)、誤解だとか彼女のことは諦めたんだとか(ならなんで名前呼んだんだよ)叫んだ挙句逆ギレし始めたパイロンから私を守ってくれた。騒ぎを聞いて現れた父からも。
翌朝、夜が明けると同時に私は近くにある分家の屋敷に馬車で向かった。
反対を押し切ってパイロンと再構築の末結婚したことを謝罪してから、昨夜のことを打ち明けて離縁したいと告げる。
異母妹を王都の侯爵邸へ連れ込んだ時点で分家に見限られた父の代わりに、私が二十一歳になるまでの後見人になってくださっている分家当主のアントワーヌ小父様は、だから言ったでしょう、と苦笑しながらそれを受け入れて離縁に協力してくれると言ってくれた。