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しかし彼は立ち上がった
呪いに侵された腕を己で断ち
赤く輝く聖剣を支えにして
まさしく、我らが誇りしその背中
ヴァルヘインの剣は折れず
―廃墟に残る碑文
――――――――――――
「おきよ」
言葉とともに、バシリ、と。
頬への強烈な衝撃で覚醒する。
また少し、夢を見ていたようだ。
「痛い……おきました、起きましたから!」
再び衝撃の予兆を感じ、慌てて返事をしながら体を起こす。
「すいません、どの位……ん、暗いですね。宝物庫にはついていないんですか」
見回したあたり一帯は闇に包まれてその輪郭さえ定かではない。
いやおかしい、暗すぎる。
「ヤツを見た貴様の目は呪われた」
「……」
「何も見えぬであろう?奴の呪いはオドの流れと『意味』を蝕む……そうだ」
目を限界まで開き、見渡しても一切の闇。
なるほど、これがRGB 0,0,0の完全なる黒か。
「あやつの名は……」
「ええ、ニンバス……ですよね」
「む、知っておったか」
両目に激痛が走る直前に捕らえたあの姿。
紫の古びたローブに包まれた枯れ木のような長身。
肉のすべて失われ、皮が直接張り付いた骸骨のようなその容貌。
実物で見るのはもちろん初めてだが、間違えようがない。
あれは『深淵に座す ニンバス・バルバリア』だ。
──フェアトラークの『深淵に座す ニンバス・バルバリア』は、屈指の凶カードである──
バスカリの終生のライバルにして古代帝国エピソード最大の巨悪として描かれるニンバスは、大リッチと呼ばれる強力な不死者だ。
リッチとは生前強力な魔術師だったものが、儀式によって邪悪な生命を得た、魔術を操る不死者である。
不死者は本来、マナの澱みに当てられた死体が自然と動き出したり、あるいは他者からの魔術によって生み出されるなどするものであるらしい。
すでに"死んで"いるため脳や主要な内臓器官を破壊されてもその活動が停止することはなく、原形をとどめぬほど粉みじんにするか、肉体を動かすオドとマナの流れを完全に断ち切らなければ倒すことができないとされる。
そのタフネスや醜悪さから多くの探宮者から嫌われているが、反面、生前の思考力や技術などの大半が失われていることが多く、安価で手に入る聖別された水等の聖なる力にも非常に弱いため対処はそう難しいことではない。
だが、外的要因から発生する通常の不死者と違い、己の意思で不死者へと為ったリッチにその常識には当てはまらない。
生前の思考、知識、技術をほぼ完全なまま受け継ぎ、さらに聖なる力への抵抗力も有しているのだ。
切っても死なない賢く強力な魔導の使い手、それは熟練探宮者が最も恐れるモンスターの一つである。
そんなリッチの中でもとりわけ永く存在し、多くの力を蓄えた大リッチ。
それが『死の群れの頂、ニンバス・バルバリア』だ。
『希少度:伝説 深淵に座す、ニンバス・バルバリア[デモニスト]
マナ8 AT6 LP6
出撃:これ以外の全てのしもべはAT LP以外のテキストをすべて失う。
拒絶:デモニスト、プリースト
・このしもべが捨て山にある時、手札のデモニストカードを2枚選び捨て山に送ることで、このカードをコスト0にして手札に戻す。このしもべはこのターン召喚できない』
コスト比のスペックは多少低めではあるが、優れたアビリティを三つ持っている。
相手の作戦全てをご破算にする強力な出撃能力、多少重いが驚異的なメリットのついた捨て山からの復帰能力、おまけに相手のデモニストとプリーストのカードへの完全な耐性。
デモニストクラスはコストを踏み倒す手段もそれなりに充実していたため、マナ8という重いコストもさほど問題にはならなかったのだ。
「とまあ、フェアトラークのプレイヤーにはバスカリさんと並んで有名な一枚なんですよ。ニンバスは」
久しぶりに知識をひけらかせる喜びに、ついつい早口でしゃべり倒してしまった。
「ふむ。貴様の目が見えぬ要因…呪いは、この身で受けたワレがよく知っておるが」
真剣な声色に、あたりの空気が重みを増した。
そうして一拍置いたそれは、彼の逡巡だっただろうか。
「ヤツを見てしまったその両目は、そのオドの通り道に深く"呪い"を打ち込まれておる。今はまだ光を失っただけで済んでおるが、呪いの根源である奴が力を取り戻すと次第にその呪いは進行するゆえ」
覚悟はしておけということだろうか。
流石、我が師匠は容赦がない。
「『木は枯れ、水は腐り、そして大地は荒れ果てる。死を想え、死を思え、死を憶え。彼の王の前にあっては、何人たりとも生きる能わず』」
「……なんだ、それは」
「ニンバスのフレーバー、来歴とかについてうたった詩……みたいなもんでしょうか。幸い私はまだ生きてますけど、あれはまさしくその通りの化け物だったかなと」
「ふむ、概ねそうであるな。王という称号はあの下劣には相応しくはないが」
憎悪を隠そうともしない彼に、さもありなんと相槌を打つ。
そうして今は光を映さない、己のとじられたまぶたへと手をやり、さすってみた。
それは麻酔を打たれた皮膚のように、さわられた感じがまるでない。
「カードにある出撃能力、なんでしょうねこれは。だとしたら、アイツを倒しても」
「進行が止まる、程度であろう。失われたものは戻らぬ」
ついたため息は、とても重い。
ニンバスの出撃能力で失われたテキストはそのゲーム中は戻ることはない。
目だけで済んだのは幸運であったと考えるべきか。
「初めて会った時やつはまだ只人であったが、その時にな、腕を持っていかれた」
今はない、右腕をさするかのようなしぐさ。
「和平交渉の席で謀られたのだ。『環』のあった右腕に呪いを直接浴びせられた。そのままにしておけば命まで侵される故、やむを得ず切り捨てた」
「それは────」
自分のこの目も同様にしろという事かと。
「わかっておろう、このままでは貴様は死ぬ。この剣であれば、ワレの右腕の用に呪い事断ち切ることもできる。まあ少し痛むであろうが……」
ちゃり、と。
剣の柄に手をかけた音だろうか。
「貴様にはしもべたちもおる、即座に野垂れ死ぬということもあるまい。さあ、あまり時間はないぞ。覚悟せよ」
しもべ、しもべ。
そうか、じぶんにはしもべがいる。
カードがある。
何も心配することは、何も…なにかが……ああそうか。
「ちょっと待ってください。後釜を用意しますから」
「何を……?」
「失われた肉体の代替品でしたっけ、これは」
手元に現れた一枚のカードは、無数の触手をはやした大きな目玉の怪物が描かれていた。