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「時間よ逆さなれ。昔日は、今ここにあれ!」
少年の掲げる蛇を模した指輪の周囲を、膨大な外魔が渦巻く。
「アリアが生き返るなら!お前らの手だって取ってやるさ……!」
傍らで黒く蠢く闇が、三日月のようにその口をゆがめた。
-『煉獄の悪魔たち』第7章より
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「ここが宝物庫ですか……扉、閉まってますけど」
扉の前で固まったバスカリにじれて、そう声をかける。
「まあまて、うむ」
彼が言った途端、その声に従うかのように扉が重い悲鳴を上げならが左右へと開きはじめる。
「ここが開かれるためには、玉座の間に守護者がいなくなってしばらくたつ必要があるのだ」
じりじりとその口を開けていく扉を満足そうに眺めながら、彼は言った。
「ボスを倒した後のお宝はお約束ですけど、いなくなればいいって条件なら守護者を誘導したりで部屋から出してしまえば」
「本来、守護者は玉座の間を離れぬものであるからな」
「え、じゃあ」
「そら開いたぞ、あれを見よ」
鉄の小手に包まれた骨の指の示す先にあったのは、古びた女の石像だった。
それ自体が光を発しているかのように、薄暗い宝物庫の中で距離があってもはっきりと見える。
それは、とても美しい女の像だった。
「戻ってくるがいい」
夢中で見つめていると、そんな声で引き戻される。
彼はすでに開かれた扉の先にいた。
「あ、すみません……ほんとに何もないですね」
慌てて後を追い、部屋に入る。
そうして辺りに目を向けると、宝物庫というにはあまりに何もない。
壁や柱に多少かざりが入ってはいるようだが、暗くてはっきりとは見えない。
「うむ。そこな像に触れてみよ」
先ほど夢中になっていた像に再び目をやる。
改めて見ていると、畏れ、敬意、そう表現するしかない感情が不思議とわいてきた。
なるほどこれは『神を模った像』なのだと、そう納得させる何かがそれにはあったのだ。
大きく息を吸って、吐く。
ゆっくりと失礼の無い様に近づき、恭しくその美しい脚に触れた。
じぶんは今、はじめて心から神に祈る。
そうして一拍、白くやわらかな光に包まれた。
不意に脳裏に浮かんだのはあの白髪交じりの申し訳なさそうな顔。
なんでやねんと突っ込みそうになったその時、光は晴れた。
「無事授かったようであるが……腕を見てみよ」
右、何もなし。左、いつも通りの腕時計が。
いつも通り……?
馬鹿な、控えめで腕に程よくフィットしていた焦げ茶色のレザーベルトが、ごてごてした金属に代わっているではないか。自分はレザー派なのに……。
「身に着けていたものがその器にふさわしければ、それが【環】になるのは珍しいことではない」
「……これ、外したりできませんか」
「腕を切り落とすか?」
「遠慮しておきます」
外れないものは仕方ないと気持ちを切り替え、変わり果てた腕時計を見る。
シルバーのケース本体と同じカラーなのがせめてもの救いかと眺めていると、本体とのつなぎ目辺りに刻印を見つけた。
どうしてここだけと目を凝らすと、それは見知ったアルファベットのようだった。
「小さくて読みづらいな。んー、URBOROS……ウロボロスっていうとあの蛇の……うわっ」
読み上げたその時刻印された文字が輝き、はらりと一枚のカードがどこからともなく表れた。
「あれ、カードが……」
『希少度:伝説 尾を食らう蛇の因子[デモニスト]マナ0 起動マナ1:このターン、自身が使用したカードは捨て山に送られず、代わりにコストが+1され山札に戻る。』
「初めて見るカードですね……分類が『しんぐ』?」
「【環】は神具とも呼ばれておる。迷宮神より賜いし、神の道具であるな」
「ああ、なるほど。魔具で神具ですか」
「【環】には迷宮の心臓に触れた回数だけ力ある言葉が刻まれる。これは探宮者たちの間で【真言】と呼ばれておった」
バスカリは続ける。
「今貴様が読み上げた、【環】に刻まれた言葉はそれ自体が強力な魔術を発動させる式である。力が強くなる、炎をまとう、傷を癒すなど授かる者によって様々であるが……やはり貴様はカード絡みであったか」
表記されている効果を見ていると、組み合わせて悪さできそうなカードがいろいろ思い浮かぶ。
うん、やはりカードはデッキ考えているときが一番楽しい。
勢いよく手のひらを返して妄想していると、ふと引っかかることがあった。
「【真言】は、心臓に触れた回数だけ刻まれるんですよね」
「うむ」
「同じ迷宮を何度も……とかは流石に」
「1つの心臓につき、1度かぎりだ」
「ではいろいろな迷宮を潜り続ければ、【真言】が大量に手に入るわけですよね」
「限度はあるが」
「限度?」
「貴様のその腕の時計、【環】に書き込める分が限界である」
「ははあ、そうでなんですか。この文字めっちゃ小さいので結構いけそうですけど……いや、スペルの長い短いがあるかな?」
お米に絵をかいたりする技術がふと思い浮かんだ。
そろそろ小さい文字が見づらくなってくる年齢には厳しいサイズだ。
「指輪など面の小さいものを授かったなら、自ずと刻印できる数は少なくなる。さらにであるが、強力な【真言】ほど文字も大きくなるのだ」
「うーんなるほど、この『しんぐ』カードを手に入れるにも上限があるわけですか」
じぶんの【環】にはあとどれだけ書き込めるかと考えながらカードを眺めていると、それは他のカード同様光の粒となり、時計の刻印へと吸い込まれるように消えていった。
「【環】に刻まれた【真言】が探宮者としての強さといっても過言ではない。故に、貴様がさらに力を求めるならば迷宮は避けて通れぬであろうな」
「魔術とかは……」
「【真言】に比べれば、児戯である。貴様のカードは……【真言】によるのものとしか思えぬが……。うむ、金も必要であろう。迷宮ほど稼げる場所は、他にはないはずであるぞ。少なくとも、ワレの時代にはなかった」
確かに、お金も捨てがたいよね。
「元の世界に戻る方法を探す途中であっさり死なない程度であればでいいかなと思ってたんですけど……正直、わくわくしてないと言ったら嘘になります。いい歳して、情けない話ですが」
わけもわからず飛ばされて戸惑っていたが、あれから落ち着いて考える時間もあった。
当面の目標は、生き延びること。そして、可能なら元の世界に帰ること。
だがこの世界は魅力的だ。
長らく親しんできたフェアトラークの世界なのだ。
故意ではないが引継ぎもせずバックレる形となった同僚たちや、友人たちに申し訳ないと思いつつも、こちらに永住することも悪くはないかな思う自分がいる。
「こういった創作物では月並みなんですが、いざ自分がその立場に立ってみるとなかなかいい表現が出てきませんね……。とりあえず、まだ死にたくはないです」
虚ろな双眸へまっすぐに、そう口にした。
これは宣言だ。
決意して、音にして、自分へと刻む。
「強くなろうと思います」
こくり、と彼は頷いた。
「うむ、しかと聞き届けた。さあ、もう寝るがいい。明日は一層厳しくするとしようか」
からからと、ご機嫌なテンションでとんでもないことをおっしゃった。
「え、ここはさすがにちょっと……寝づらいんですが」
像に目をやり躊躇うと、
「どこであろうと眠れるのは、探宮者に必要な技能である」
圧が返ってくる。
「え、いやあの……はい、明日からまたよろしくお願いします」
即座に屈し、やむなく硬い石畳の上で横になった。
すると間もなく、体が今日一日の疲労を思い出したかのように、猛烈な睡魔が押し寄せてきた。
「あま……れ……ない……だ」
もやがかかった意識の肩越しにバスカリの独り言が聞こえる。
しっかり聞き取ろうとしたが、すでに眠気は限界だ。
そうして、意識は、闇に溶けていった。
感想、誤字報告ありがとうございます。
表記ゆれ、誤字の修正等は1章完結時に行いたいと思います。