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「えーまじ?はいはい、今引き今引き…あーまた昇格アウトやないですかー…」
一人暮らしが長く続くと、独り言は増えるという。
30代半ばで独身の自分もその例に違わなかったか、敗北という現実を突きつける液晶に向け悪態をついた。
「明日も早いのにやっちまいましたねえ!歯磨いて寝よ…あー、紙でやりてーなあ…デジタルでもバスカリ…は無理かねえ」
少し埃をかぶったディスプレイケースの中、大事に飾ったカードに目を見やる。
10年以上前の公式戦、地方大会で入賞者に配られたプロモーションカード、【虚ろ目の勇者バスカリ・アナザーイラスト】は、TCG「(トレーディングカードゲーム)フェアトラークのサポートが切れた後も、当時のブームとカードの人気と希少性から中古市場でいまだにそれなりの値が付く。
重厚な鎧を着こみ黒い剣携えたその隻腕の騎士の顔は何と骸骨で、思春期特有の病をわずらった少年たちが夢中になるのは仕方がなかったのかもしれない。
公式戦にエントリーするほど夢中になっていた自分は、言わずもがなである。
子供のころフェアトラークに出会い学生時代をカードと共に過ごし、社会人となり仕事が忙しくなってからも何とか暇を見つけ続けていたフェアトラークTCGだが、時代の流れには逆らえず次第にユーザーを減らしていき、3年ほど前に公式のサポートが完全に終了した。
今後拡張が発売されることはなく、発売元は大会を開くことはない。
カードゲームとしての終焉、その先にあるものは完全な死である。
サポート終了後もしばらくはフェアトラークを愛する有志達が非公式の大会を開いていたが、それも次第になくなりいよいよお別れかと覚悟を決めた今年頭、フェアトラークは流行りのデジタルTCGアプリとして突如新生を果たした。
少なくないファンが待ち望んだ新世代のその名は『魔符幻想フェアトラーク』
少し大げさに格好つけて自分たちの元に戻ってきたそれは、果たして、以前のそれとはすっかり姿を変えていた。
遊びやすくシンプルになったというルールはデッキ構築の妙味を失わせ(スマートフォン向けに開発されたので仕方ないという意見も多い)
既存のデジタルカードゲームとさほど変わらず工夫の少ないシステムに、大げさな名前ばかり持つようになったカードたち。
特にデジタル向けとの名目で雑に調整されたカードには、批判の声が多くあがる。
思春期少年たちの胸を躍らせた神話の怪物たちは、軒並み美少女のビジュアルへと生まれ変わった。
「なんでも美少女にすればいいってもんでもねえよなあ…いや美少女好きだけど…売れなきゃ続かないもんなあ…」
思い出を拝金主義者たちの手垢で汚された、そんな勝手な気持ちをディスプレイケースの埃と拭い、バスカリを見つめる。
『伝説:虚ろ目の勇者バスカリ[デモニスト]マナ7 AT4 LP9 連撃:2 不死:1 不壊 』
―『魔符幻想フェアトラーク』はデジタルカードゲームのパイオニアたちの出来の悪いコピーである―
それがじぶんたち昔からのプレイヤーたちの、ほぼ共通した認識であろう。
スーパーバイザーとして名を連ねた当時の開発陣の存在を、じぶんたちはもう信じてはいなかった。
「おつかれさまでーす」
休日出勤の上残業を続ける同僚たちに申し訳ないと声をかけ、急ぎ会社を出た。
社員証をトレンチコートの内ポケットへしまいつつ自動ドアをくぐる自分の顔に、びょう、と冷たい風が吹きつけた。年末に吹く寒風が身に染みる。
「寒い…遅くなってしまった…」
徒歩5分、最寄りの駅から電車に乗り込み、生家のあった都心にほど近いベッドタウンへと向かう。
時刻は午後7時を過ぎたところ、約束の時間はとうに過ぎていた。
何か心に引っ掛かりを覚えながら、信号待ちをしている間に先日届いたメールにもう一度目を通す。
『松田様 ご無沙汰しております、世界屋店主 堺です。
年の瀬も迫るこの頃、いかがお過ごしでしょうか。
突然ではありますが、この度店を閉じることになりました。
どうにか営業を続けておりましたが、流行と寄る年波には勝てませんでした。
つきまして、昔から当店をご愛顧いただいておりましたお客様方に感謝の気持ちを込めましてささやかな催しをと考えております。
急で申し訳ありませんが、明後日午後6時ごろ当店へお越しいただけませんでしょうか。
ご一考いただければ幸いです。 世界屋店主 堺』
急な呼び出しがなければ遅刻しなくても済んだのに…と上司に恨みの念を送りつつ、白いため息一つ。
常連だったみんなが来るならまだ騒ぎの最中ではないかと気楽に考え、それでも少し小走りに。
そうしてついたのは午後7時半、4集合住宅の1階のテナントを間借りした懐かしい店構え。
年季の入った看板を掲げた思い出の店世界屋は、静かに最後の夜を迎えていた。
「こんばんはー。遅くなって申し訳ないです」
ガタガタと、建付けの悪くなった引き戸を開き、店内を除き込み声をかける。
懐かしい紙のにおい。20年以上慣れ親しんだ、世界屋に染み付いたカードのにおいだ。
「ああ、いらっしゃい。お久しぶりですね、もう来られないものかと」
カウンターの奥から出てきたのは、白髪交じりの短髪に恰幅のいい男性。
我らがホームのカードショップ、世界屋店主である。
温和な表情をたたえるその顔には、ずいぶんしわが目立つようになった。
「いやあ、急に仕事入れられてしまって…すいません。みんなはもう帰りました?」
「ええ、久しぶりに会いたいって皆さんおっしゃってましたが」
「あらら…まあ、あいつら遠いですからねえ。明日は平日ですし」
商品の大部分はもう片付けたのだろうか。記憶にあったにぎやかさとはかけ離れ、がらんとした店内を見回す。
その中にポツンと、一組だけ残された机といすが目に留まる。ああ、あの辺りはデュエルスペースがあっただろうか。
ひとしきり感慨にふけり目を戻すと、にやりと店主が笑いかけてきた。
「最後に一戦、いかがです?」
デッキケースを掲げて。
カードゲーマが集まればカードを打ちたくなる。当然のことだ。
だからカードゲーマーはカードゲーマ―と会う時、必ずデッキを持ち歩いてる。
会わなくても、持ち歩いている。
自分たちはそういう生き物だ。
「いいですねえ」
カバンからデッキを取り出し、にやり、と笑い返す。
今日のデッキは特別だ。思い出深い「バスカリ」をメインに添えた、【バスカリデモニスト】。
バスカリは最強でかっこいい、そんな中学2年生の想いをこれでもかと詰め込んだファンデッキ。
デジタルでまだこのカードは実装されていない。いや、されない方がいいのかもしれない。
このカードはこのままがかっこいいのだ。歪な形にされたバスカリなど、自分は見たくない。
「だけどファンデッキですからねえ…久しぶりだし、どうかなあ…」
机へ向かうその足取りは軽く。
「いやいや、松田さん強かったじゃないですか。いやあ、楽しみだなあ」
山札を着るその手はリズミカルだ。
「「カットを」」
山札を差し出し、お互いワンタッチ。
「では手札を…7枚ですね。先攻後攻は…」
これが、じぶんたちの愛したカードゲームだった。