空母飛龍
●48 空母飛龍
「おそらく敵の雷撃機はアヴェンジャーってやつなんだ。あれは防弾もいいし武装も優秀でうまく使いこなせれば戦果をあげるが、速度が遅くて狙いやすい。最高速は四百ほどだが巡行速度は二百キロ代。おまけにこの時代のアメリカの魚雷は時速二百キロそこそこで投下しないと爆発してしまったりするんだ」
「……」
もはや、おれの知識に疑問を呈する大石ではない。
「だから雷撃態勢に入ったアヴェンジャーはそれほど怖くない。連中はおそらく、こちらの電探連動高角砲を恐れてロングレンジでの雷撃を企図しているんだろうが、それなら初弾さえ躱せばあとはなんとかなる。空母飛龍とその艦隊に照灯させ、全速力で南下させろ」
「わかりました」
大石はうなずき、すぐさま空母飛龍に命令が伝えられる。
空母飛龍とその艦隊の司令官兼艦長は、加来止男だった。
明治二十六年(1893年)生まれの四十八歳。砲術、水雷など、さまざまな経験をつんだのち戦艦霧島の艦長を経て海軍大学校甲種第二十五期卒、連合艦隊航空参謀などを歴任し、昨年から空母飛龍の艦長となった傑物である。
四角い貌は西郷隆盛を生んだ九州男子の本領か、鼻の下には頑固そうな黒いヒゲをたくわえ、無骨だがキリっと引き締まった容貌をしていた。
性格はと言えば質実剛健。策は好むが嘘は嫌う。正々堂々を旨とする昔ながらの武人気質であった。そして、どんな時でも慌てることがなかった。
加来は空母飛龍の艦橋で、第一航空艦隊指令部からの報を受け取った。
「ほう……この飛龍に囮になれとか。それは誰の案じゃ?」
「それは……わかりかねます。無電は大石参謀長からでしたが」
傍らにいて、加来を補佐するのは航海長の長益少佐である。
長益は、角田と山口が草鹿艦隊に合流したのを機に、この春から飛龍艦隊の司令官に昇格した加来を支えてきた。以来、頭脳明晰ながら人情に篤いこの加来に全幅の信頼をよせている。
長益は尊敬の念を抱きつつ、艦長の引き締まった顔を見つめる。
ふっと加来が口元だけで笑う。
「大石風情じゃあこの案は出せんよ」
「では……」
「南雲長官からですか……」
加来はおもむろにうなづいた。
「おそらくな。あの南雲さんがやりそうな作戦だ。この飛龍艦隊に敵の攻撃を集中させ、クエゼリン基地と他の艦隊を護り、直掩機を集中させて敵の殲滅を図る。……望むところだの」
加来は目じりに皺を寄せて遠くを見る目つきになった。すでに作戦の意図を悟り、艦隊のとるべき行動を考えているように思えた。
「よし、南正面を重巡高雄に先行させ、その後方にこの空母飛龍を置く。掩護は右舷を第六駆逐隊、左舷を第二十一駆逐隊とせよ」
「はッ!」
「投光器照らせ~~っ」
バッバッ!
空母飛龍の甲板が明るく照らし出され、何本もの白いラインが輝いた。ほぼ同時に艦隊に所属するすべての艦も明かりが灯される。
この飛龍艦隊は航空母艦一と重巡洋艦一、そして駆逐艦八という陣容だった。これらすべてが投光器を点灯し、全速で南下しだしたのは、すでに十八時をまわろうとしていたころだった。太平洋の一隅が明るく輝き、その光は二十キロ先からも見えた。
ゴオオオオオオオ!
この艦隊の直掩機が、向かい来る敵機を迎撃せんと、暮れた空を飛んでいく。その間隙を埋めるように、空母赤城をのぞく三十機ほどの各艦隊直掩機が飛来して、飛龍の上空を舞った。
「敵襲にそなえよ!」
「弾薬運べ~~ッ」
飛龍の甲板を兵士が走る。給仕の兵も大量のにぎり飯をつめこんだ桶を手に、糧食を配給してまわる。
「おい食え! 今を逃したらいつ食えるかわからんぞ」
兵士たちはそれを受けとり、緊張の面持ちで頬張った。
その間も、船はたえずローリングし、暗くなった海と潮の匂いに包まれている。そして数分もたったころ、艦橋上部にとりつけられた拡声器から、最後の仕上げともいえる命令が聞こえてきた。
『電探連動砲、用意!』
担当の兵士が数人がかりで巨大な弾倉を装填し、ラッチを外す。
キュイ――――――ン!
砲身が動いて、迎角と方位角を順に合わせる。
「電探連動砲用意よし!」
投光器が海面と空を明々と照らし、あたりはつかの間の静寂に包まれた。
その様子を、加来は悠然と見下ろしていた。
煌々と照らされている空母の前方には重巡がおり、左右にも駆逐艦がそれぞれ数百メートルの距離でそれぞれ明るく輝いている。
(囮艦隊か……)
それがなにを意味するのか、自分も兵士たちも十分悟っている。だが、加来は、けして絶望はしていなかった。いや、むしろ自分の戦場はここと、山口多聞の薫陶よろしく、必勝の決意を固めていた。
それに勝利を信じる理由はもう一つある。
常に最善策をとって幾多の戦いに完全勝利してきたあの南雲長官が、よもやこの飛龍艦隊にだけ犠牲を強いるようなやりかたをするはずがない、そんな気がしていた。
そしてついに、通信兵が叫んだ。
「電探反応あり!」
「約十分で会敵します!」
「来たか!」
くもりどめの布を垂らした双眼鏡を、加来は手にした。
空はすっかり暮れているが、月あかりが白い雲をぼんやりと輝かせ、思いのほか見通しはよさそうだ。
「よし、反応空域に迎撃隊向かえ! ……一機も通すな」
「はッ」
空母飛龍の直掩隊は、高度三千の空を疾風のエンジンを全開にして南へと向かっていた。
十機あまりの先頭は、疾風に機乗する飛行隊長の楠美正少佐である。
楠美は星も見えない空を、計器を頼りに、完璧な誘導で後続を誘導していた。邂逅するのは時間の問題のはずだが、敵がまだ見えない。
「おい、おかしいぞ。いくらなんでも……」
そう後席の兵士に言いかけた時、遠い海面の近くに小さな影が見えた。よく見れば曳光弾のきらめきも見える。先頭集団だけでも三十機以上はいそうだ。
『敵発見せり!方位角零度 高度五十』
すぐさま無線が入る。目のいい若い戦闘機乗りの兵士が見つけたようだ。
楠美は無線のレシーバーを口に当てた。海兵五十七期のベテランとしては、いまだに喋る無線が慣れない。息を吸い、自分に気合を入れる。ここが、正念場だ。
「全機、突撃!各機、奮闘せよッ!」
いつもご覧いただきありがとうございます。そろそろ大詰めになってまいりました。ここにきての空母飛龍ですが、少しでもお楽しみいただければ幸いです。ご感想、ご指摘にはいつも励まされております。ブックマークをよろしくお願いいたします。