ジャップキラー
●39 ジャップキラー
樺太の夏は短く涼しい。
八月でも最高気温は二十度そこそこで、六月下旬ともなると、最低気温は十度を下回る。雨はすくないが、森林は豊かで、駆け足でやってくる秋を尻目に、北はエゾマツ、南にはトドマツの原生林が広っていた。
すでに四十万人もの日本人が居住する広大な島の南半分にある港の様子を、山本五十六・太平洋連合艦隊司令長官は、戦艦大和の巨大な砲台のある前部甲板に立ち、真剣な面持ちで見つめている。
「高柳、南雲の言うように、ソ連はやってくると思うか?」
隣に立つ戦艦大和艦長の高柳儀八に、つぶやくように言った。問う、というより、むしろ自分の胸に聞いているのかも知れなかった。
「はて、日ソは不可侵条約があると伺っております」
「そうだ。……しかし、戦局の変化でどうにでも動くのがソ連、いや、スターリンだそうだ。そういう認識を南雲は持っているみたいだよ」
「南雲中将が……」
「うん」
中将、という言葉に引っかかる。
そういや、あいつまだ中将だったな。
そろそろ大将になってもらわんといかんが、現場がいいとか、出世はいらんとか小賢しいことを言う……。
そう思いながら、山本には頬に笑みがうかんできた。
それがあいつの良いところでもある。あいつにはこの世での出世に興味がないというのは、この俺が見ていてもわかる。滅私奉公という言葉があるが、やつのはそれとも少し違う。なにかを超越した現実的な思考なのだ。
山本は考えるのをやめた。
とにかく南雲は頼りになる奴だし、今まで間違ったことはない。それに、彼の考えにはなぜか歴史の流れを感じる。簡単に言うと、腑に落ちる。だから、やつが日本のために動いている間は、大いに後押ししてやろう。
「ここから目的地までは、どのくらいだ?」
「北緯五十度の国境ぎりぎりまで参りますから、七時間ほどです」
あの、こんもりと盛り上がる緑の山々の向こうには、日本人の営みがある。
この極寒の地の平和を、俺たちが守らなければならない……。
その時、空から航空機のエンジン音が聞こえてきた。
ゴオオオオオオオオ!
爆音、それも尋常ではない数だ。
二人は本能的に甲板の手すりを持ち、振り向く。
「ん、海軍かな」
この時間に移送が行われることは聞いていた。
「はい、樺太にある、海軍敷香基地への移送でしょう。爆撃機と戦闘機を五十機送ると伺っております」
樺太には、七つの陸軍航空基地と二か所の海軍航空基地があった。
空を覆うほどの編隊が南の空にあらわれ、そのうちの何機かが低空を飛行してきた。わざわざ大和の周りを舞い、翼をバンクさせている。
黒いカウルにとんがった後尾、ゼロ戦部隊だ。
「あいさつですな」
「大和を見るのもめずらしかろう」
山本は帽をとって上空に振る。
「……ソ連とは戦争になりますか?」
なんでもないような口調で、山本と同じ質問を高柳が返した。
彼はこの地に残り、戦艦武蔵とともに樺太を北緯五十度で挟むように停泊し、原爆の投下実験を待たねばならない。そしてもしもソ連に動きがあれば、ただちに反応して各地への艦砲射撃を受けもつことになっている。
「ああ、そうなるだろう」
山本もなんでもないように答える。
「……楽しみ、ですな」
「国境まではお供する」
「め、めっそうも」
「だが、そこから先はたのむよ」
「……はっ!」
「そこから先は君に任せて……」
山本は右舷を見た。
そこには、山本自ら設計にも口を出し、手塩にかけて作り上げた全長百二十二メートル、どう見ても小型の戦艦にしか見えない巨大な潜水艦が四隻、並走していた。
「俺はあれで海中散歩を楽しむことにするよ」
「……お任せください」
高柳は帽を振る笑顔のまま、そう答えたのだった。
インドネシアの南部海域。
大日本帝国とオーストラリアが、今日も互いの航空機で前線のしのぎを削っている。
日本のゼロ戦は十七機、そして米軍から前線に移送された新鋭P―38ライトニングが二十機。先ほどから激しい戦闘を繰り広げている。
高空からの一撃離脱をP―38が狙う。
ガガガガガガガガ!
ドン!
ゼロ戦が爆炎をあげて破壊され、墜ちて行った……。
『よし、そろそろ戻るぞ』
P―38の隊長機が編隊に合図を送る。
味方は三機がやられたが、敵のゼロファイターは五機を落とした。
ここにいるやつらは、噂に聞くほどには強くない。
隊長は機体を傾けて海上を見る。いくつかの煙と油が見える。
この海域なら味方はすぐに水上機がやってきて、海上の乗組員を救助するだろう。もしも沈んでしまったら……そのときは神に祈るしかない。戦争は勝つことも負けることもある。
とにかくもう弾はないし、無理をすることはないのだ。
隊長は旋回し、オーストラリア、ダーウィン基地への空路をとる。
「?」
なんだあれは?
一機のP―38がなぜかこちらに向かってくる。
「ボングの野郎……」
エースパイロットのリチャード・ボングがまだ戦闘に飽き足らず、空戦に戻ろうと機体をひるがえしたのだ。
「おい、やめろ!」
たった一機でゼロファイターの中に入っていく。
隊長はあわてて旋回して、そのあとを追う。
ボング機は右に機体をふり、二機に後を追わせて大きく左に旋回する。見事なフェイントだ。
そのまま目に入ったゼロにライトニングP―38ライトニングの重武装を叩きこむ。
ドガガガガガガ!
バシバシ!
ゼロファイターのキャノピーが破壊されて、血しぶきをあげている。
ボングはまだやめない。
下降し、数機にあとを追わせてから、馬力にものを言わせてぐいぐいと引き離して上昇したかと思うと、ふらりと機首を落として銃撃する。
ガガガガガガガガガガガ!
ボボン!
尾翼がちぎれ、そのゼロファイターはきりきり舞いして落下していった。
ボングはようやく満足したらしく、ダーウィン方面へと全速で飛びはじめた。
隊長もあとを追うしかなかった。
『ボング、こら!命令にしたがえ』
『ジャップを殺すに許可がいるんですか?』
しゃあしゃあとした顔で親指を立てている。
隊長はただ苦笑して、前方を指さすしかなかった。
夕日に輝く南洋の海のむこうに、巨大なオーストラリア大陸が見えていた。
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