表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
4/66

幽翠の章 二 赤い月の光を浴びて、聖印が出た人が次王です

耿晨は女の子。

「美味しい!」


 果実は甘酸っぱい味がした。

 こんなに瑞々しいものを食べるのは、何年ぶりだろう。


「どうしよう、やみつきになりそうだわ」

「これを食べるために、また山に入るなんて言わないでくれよ」

「いくら私でも、そんな命知らずじゃないわよ」

「いや、十分無謀だろう……」


 耿晨が呆れたように、からかうように笑う。


「無謀で結構。なんとても墨節を生き抜いて、踊り子になるんだから。その為なら、山にだって入るわよ」

「踊り子?」


「そうよ。まだまだ半人前だけど。りょう州の博凌県はくりょうけんに舞踊を教えてくれる施設があるの。才のある踊り手だけを集めた学舎。私ね、そこに入るのが夢なの」


 踊り子を目指したのは確か五歳だった。遠くない夢だと信じていた。墨節が来るまでは……。

 気持ちが沈みそうになって、慌てて頭をふる。


「当面の目標は、墨節が明けるまで生き抜くこと。夢を叶えるのはその後よ」


 耿晨が眩しそうに目を細める。


「踊っているところを見てみたいな」

「後で見せてあげるわ。でも王様には早く登極して貰わなくっちゃ。せっかく生き抜いても、お婆ちゃんになってたら意味がないもの」


 果実に齧りつきながら顔を見合わせて笑いあう。

 一頻り笑った後、玉春は声を落とした。


「実際、切迫してるのよ。……胡馬では毎年誰かが餓えて死んでいくわ。去年は私の両親だった」


 目を見開く耿晨に、玉春は苦く笑って返した。


「だからずっと祈ってた。早く王様が見つかってくれるように」


 人々はその夢のような瞬間を、ただ祈り、待っている。


「四年も経つのに、どうして王は登祚しないのかしら」


 と玉春は鼻息を荒くし、本当だな、と耿晨も沈痛な声を零す。


「赤の月の光を浴びていないのかしら」

「それは、考え難いな……」


 この世界では王は血統ではなく、最も強い霊力れいりょくを持つ者が選ばれる。


 王が身罷ると天に赤い月が昇る。

 その光を浴びると、次王の身体に天通紋てんつうもんと呼ばれる聖紋が現れるという。

 聖紋を持った者が玉座を埋めて、初めて空に太陽が昇る。


 新王の誕生である。


 沈黙が続き、ふと耿晨の顔を見やる。

 玉春のよりも、少しだけ高い位置にある端正な横顔は、心持ち顎を上に向け、遠い目をしていた。


「私は父を、乖王かいおうに殺された」


 耿晨はやっと口を開いた。


「謀反の嫌疑をかけられ、その日の内に刑に処された。

 弁明の機会も、捌きを受ける間すらなかった。

 父の首は、白鄭はくてい城門じょうもんに晒された」


 淡々と語る耿晨に、そうなんだ、と洩らす。


 黄王朝末期は、そんな話は履いて捨てる程耳にした。

 こんな辺鄙な予州でさえ多くの者が斬首された。

 王の膝元、国都白鄭はくていともなれば、尚更だろう。


「王は民を殺す。だから私は、王は不要だと思っていた」

「でも、それは……」

「ああ。間違ってた。今の陶を見て短慮だったと考え直した」

「どんなに酷い王様でも、やっぱり必要よ。

 そりゃ、欲を言えば賢王だったらいいな、とは思うけど」


「そういうことだな。悔しいけれど。それで、さっきの話に戻るんだが」

「どの話?」

「赤い月」


 ああ、と頷き、先を促す。


「月に一度は赤の月が昇るのに、まだ聖紋が出てないなど考え難い。

 ――最近思うんだ。もしかしたら次王は、私のように王は不要だと思っている人間じゃないか、と」


「嫌よそんなの。だったら当分、墨節が続くじゃない。私本当にお婆ちゃんになっちゃう」


 ぷうっと、頬を膨らませると、耿晨が綺麗な歯を見せて笑った。


「どちらにせよ、次王の心情を私たちが考えても仕方ないわ。民はただ、―――祈るだけよ」


 確かにな、と苦笑した耿晨が、静かな声で尋ねた。


「食料だが、何とかなりそうなのか」

「厳しいけど、まあどうにかって感じかな」


 そうか、と耿晨は穏やかに微笑み、腰に括り付けていた巾着を外した。中を見ると、蚕豆そらまめ程の大きさのなつめに似た実が沢山入っていた。


「芋のような味がする。とても栄養があるんだ。可能なら、食べずに畑に蒔くんだな。あとこれも」


 耿晨は握りこぶし大の、緑がかった石を差し出した。

 さっきの幼獣が落とした霊石だった。


「一緒に畑に埋めるといい。作物の成長を助けてくれるから」

「貰っていいの」


 とんでもなく高級なものだ。


「ああ。その代わり、もう森に入ってはいけないよ」

「ありがとう。本当に」


 良いんだ、と言った翠眸は、この上なく優しかった。

 埃を落としながら、太い幹から身体を起こす。


「もう帰ったほうが良い。月が沈む」


お読みいただきありがとうございます。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ