幽翠の章 二 不思議な少年は、少女でした。
不思議な少年と出会いました。
少年は耿晨と名乗った。
住んでいる所を訊かれ、胡馬と答えると、目を丸くした。
「随分と遠い。迷っていたのか」
首肯すると、それならばこっちだ、と耿晨は道を変えた。
穏やかな微笑みに強い意思を示す武人然とした佇まい。
ぶっきらぼうな口調も、何もかも。耿晨は何故か人を安心させる雰囲気を持っていた。
「耿晨はどこに住んでいるの」
「少し先にある小さな渓谷。浪民みたいな存在だから、私に会ったことは人に言わないでくれると嬉しい」
片目を瞑る耿晨に、玉春は首をひねった。
(そんな場所に邑はなかったと思うけど。訳アリなのね、きっと)
「誰にも言わないわ。でもどうして耿晨は森にいたの。森は妖獣の住処なのに」
「何かと理由をつけて森を徘徊するのは私の趣味みたいなものでね。今日は、そうだな、光核を拾いに来たんだ」
耿晨は提燈の光源を指差しながら言った。
(はぁあああ?趣味?)
普通、人は山森を避ける。
妖獣の領域に好き好んで入っていく人間などいない。
玉春にしても、今回山に入ると決めたのは命懸けだった。邑の者には内緒で出てきた。
それを趣味だと言い放つ少年を、玉春は驚きと羨望の眼差しで眺めた。
「……まあ、光核は必要よね。墨節が長引いちゃって、充分に太陽の気を吸った光核は、もう邑の周りは採りつくしちゃったもの。たまに見つけても、精々四、五日くらいしか光らないの。私も自宅の灯は、もう蝋燭を使ってるわ」
「じゃあ持っていくといい。三つしかないが、どれも二、三ヶ月は光ると思う」
なんのてらいもなく差し出された、こぶし大の光核を、玉春は慌てて両の手の平で押し返した。
「駄目よ。これは耿晨が見つけたものでしょう」
見た目は只の石だが、墨節においては貴重な光源だ。
だが耿晨は気負いのない笑顔を見せた。
「気にしなくて良い。また山に入る口実が増えて、私は嬉しい」
柔和な笑顔からは想像もつかない内容を、さらりと口にする耿晨に、玉春は呆気にとられ、ついには苦笑した。
(……もう、常識外の人だと諦めよう)
玉春は素直に礼を述べると、光核を受け取った。
耿晨は一つ頷くと、そう言えば、と訊いてきた。
「食料を採りに来たのか」
「うん。でも見知った植物がなくて、探している内に迷い込んでしまったみたい」
危険を冒してまで手に入れた食料を、みすみす失ってしまった失態を思い出し、玉春は項垂れた。
耿晨は、空を見上げて月の位置を確かめると、小さく頷いた。
「おいで」
手を引かれ、急な坂を上る。
「この先に食べれる実がある。持って帰るといい」
「本当? ありがとう。すごく助かるわ」
耿晨の鮮やかな翠の目が細く微笑む。
まるで森の精のような、誰しもが見惚れてしまう笑顔だった。
(本当に森の精だったりして)
「それにしても、すごく詳しいわ。本当によく山に入っているのね」
「だが人に遭ったのは初めてだな。随分と無茶をする。もう少しで死ぬとこだったんだぞ」
玉春は決まり悪く蟀谷を掻いた。
「耿晨が通りかかってくれて助かったわ。命の恩人ね」
「通りかかったんじゃない」
玉春の言葉を耿晨が苦笑気味に否定した。
「湖で見ていただろう」
「え?」
「気になって追いかけたんだ。女の子の一人歩きは危険だからね。無事山を抜けるまで付いて行くつもりだった」
玉春は足を止めた。まじまじと耿晨を観察する。
「……ねえ、もしかして、背中に墨がある?」
躊躇いがちに背中を指差すと、耿晨はあっさりと頷いた。
「昔彫られたんだ。背中だから自分では見れないんだけどね。花模様なんだろう?」
「ええ。紅い花だったわ。……蓮かしら」
玉春はまだ半分信じられない気持ちで続けた。
「じゃあ……じゃあ、耿晨。……あなた女なのね」
問いの形を取った確認に、耿晨が思いっきり顔を顰めた。
「自覚はあるが、正面きって言われると流石に不愉快だな」
少年ではなく少女だったようです。