三分間
三分間
一分を数えて、俺は蓋を開ける。蒸気と化学調味料の匂いが顔を襲う。嫌いにはなれないこの瞬間だが、同時にロクでもない回想を蘇らせる瞬間でもある。あの日、三分という時間に拘ってしまった馬鹿は、もうこの世にいない。毎度毎度、俺が一分で開けるたびに文句をつけていた彼は、もういない。最期にこの安っぽい温もりを味わうこともできずに。
俺は今でも時々に思うことがある。もし、俺が昔からちゃんと三分間待って食べるスタイルを貫いて、彼が一分で食べ始めてしまうタイプの人間だったとしたら、死んだのは彼じゃなくて俺だったんじゃないかと。もちろん何の根拠もない。高々カップ麺に、人間の生涯を左右する力があるはずないと言われてしまえばその通りだ。ただ、俺が都合よく信仰している神様、もしくはその手で織り成される運命とやらは非常に非情な偶然を得てして孕みやすい。
そう、俺は確かに勘ぐっているのだ。運命は彼に最期のカップ麺を味合わせないことだけを考えて、俺ではなくて彼を殺したのではないかと。後悔ではない。俺だけがカップ麺を食べたことを後悔している訳ではない。結果的に俺は生き残ったが、それは本当にただの結果論に過ぎない。いつの間にか、そう割り切れるようになっていた。
しかし、カップ麺の安っぽい味ではなく、濃厚な死の味を否応なしに刻み付けられた彼のことはいつになっても心のどこかにこびりついている。忘れたつもりになっていても、食べるときに、CMを見るたびに、あの瞬間は残酷なほど明瞭に浮かび上がる。吐き続けたこともあるし、いっそ死んでしまおうかと迷った時もある。ただ、それは逃避だ。
結局、俺はまだのうのうと生きている。それなりの金、それなりの生活、それなりの人生。時に安っぽいカップ麺で夜を過ごすこともあれば、味も分からないフルコースを楽しむこともある。普通の男になっていた。それはいつからだろうか? 誰も答えてはくれない。彼の幻影を見ることもなくなった。過去になってしまった。過去にした、と言った方が正しいのだろうか。
近頃妙に濃いと感じるようになったスープを飲み干し、シンクに空っぽの容器を置く。粗野な茶色を透明な水で洗い流し、ガラスのコップで一杯水をあおる。油っぽかった口中が爽やかに洗い流され、また記憶の蓋は閉じ始める。それでいい、と思う。あの化学調味料の味、あの三分間、すべて洗い流せるならそんな清浄さも有りじゃないか。




