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夜の栞  作者: 飴坊
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看板持ち

 梅雨の終わりごろ、蒸し暑さが止まらぬ汗を誘い、服の内側は不快感で埋まる。顔に出すことはない。この、何も考えず感じずの鉄面皮は身に着けたスキルだろうか。人の多すぎる社会で生きていくための。自分は何も考えていない、と無言にアピールすることで安全を勝ち取っていく、近頃はそんなことばかり考えていた。

 将来に何を見ることもなく、ただ日々を惰性に消化する日々。無価値のに文字が嫌らしいほどに似合う時間。誰に頼まれたのでもなければ、自分が願ってそうなったわけでもないのに。

 雑踏に紛れ、一人と一つが立っていた。するりするりと抜けていく人々の中で、立ち尽くす安っぽい色彩の立て看板。そしてそれを支える表情無き人。生きているはずのその人は、合成塗料の看板よりも生気を失って見えた。無遠慮に景観に水を差す看板の陰に隠れるようにして、しかし確かに支えていた。

 信号は青、歩き出す。どこかに向かっているようで、実はどこにも向かっていない足は横断歩道で空回りしかけた。行きたい場所も、行かなくてはいけないと思える場所も、いつの間にやら見失っていた。どこに進んでも、どう進んでも、どうせ結末は──考えたくもない。

 点滅する青信号を見上げて歩調を早める。急いでいく用事などない。それでも急いでいるように見せなくてはいけない。ここで生きていくために。別に、生きていたくも無いというのに。看板持ちの彼は、一体何を考えて立ち止まっているのだろうか。家族、友人、それとも今夜の食事か、はたまた終わらぬ借金か。知る機会は二度とないだろう。きっと自分は、後10分歩くうちにこの思考のことさえ綺麗に忘れている。

 何も産まれぬ擦れ違いの山を抱えて、大通りは賑わう。人がいる、それだけで孤独ではないような気がしても、心の奥底は寂しいままだった。クシャクシャになった広告ビラが埃混じりの風に舞う。誰かに見られるために作られて、無残に不要物として扱われるそれらに何故か、同情に近い何かを感じた。

 誰もが、何も考えないまま歩いているんじゃないか。そう思うと孤独は一層強まった。生きることが考えることなら、この世界に存在する人の大半が死んでいるようで。でも、きっと彼らにも家族や友人がいて、その小さな幸福の中でなら笑顔でいられる、のかもしれない。結局想像の域は出られなかった。


 何も分からない、その感想だけが繰り返される。理路不整然な思考回路の無意味な自問自答。空回りを続けるそれは、宛てなく歩く自分に重なった。気紛れに買った自販機の缶コーヒーは美味くはなく、くしゃりと潰してゴミ箱に入れた。何となく通りを歩き、元居た交差点に戻った時、看板持ちの彼はもういなかった。


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