忘却
ノートを閉じ、僕は疲れた目を閉じた。知らないことだらけの日記は違和感しか与えてくれず、僕は落胆に暮れた。幼き日のビデオ、アルバム、家族から理不尽にかけられる言葉たち。どれもこれも、僕には遠い世界だ。どうしてだろうか、欠片も現実味を帯びないそれらは、ただのっぺらぼうな過去としてしか、僕の脳に刻まれない。僕は、そこにいたような気がまるでしないのだ。
何故僕が自らの過去を必死に探し求めているかと言えば、特に意味はない。ただ浮いているような、妙な恐怖に憑りつかれていると言えばわかりやすいだろうか。帰属本能、とでも言うべきそれが、僕に強烈な力をもって働きかけていた。僕は、自分がどこにいて、どこに帰ればいいのかがさっぱり分からない。それが異常なまでの力で、僕に過去を振り返らせていた。
幼き日の僕は、まぁ幸福そうだった。大体の写真では無邪気に笑い、その隣や後ろには大体の場合家族がいた。恐らく、家族であるはずの人々が。僕には残念ながら、彼らに対して微塵も親近感を持つことができない。ただの他人も等しい彼らは、僕を囲んで楽しそうに笑っていた。おかしな話だ。きっと濃密な一度きりの、大切な時間を過ごしていたはずの僕は、何もかもを忘れて無機質な瞳でそれをみている。
家族、と呼ばれる彼らは僕を見て泣いた。話して、僕がかつての僕から離れてしまったことを知り、悲しんでいた。それは嘘には見えなかった。彼らは心から悲しみ、僕が『元の僕』に戻るための幾つもの策を用意した。残念ながら、どれも効果は無かった。僕の大好物だったらしい食べ物も、ホームムービーも、幼き日の宝物たちも、全て僕には他人の何かにしか感じられなかった。残酷なものだ。僕は、悲嘆に暮れる『元』家族を尻目にこれからの身の振り方を考えていたのだから。
僕は、彼らが真実の家族なのかどうかすら怪しみ始めている。作られた写真、似せられた顔、捏造された思い出なのだとしたら、なんていう下らない妄想をするのが、暇な病院生活の楽しみだ。そう、彼らは僕にとって本当に何でもない人間なのかもしれない。何を目当てでそれを行うかはさておいて、そんなことを思いつくくらいには、僕は彼らを遠くに感じている。
だから、僕は一つ主張しておきたい。誰しも、本当の記憶がどれかなんて分かっちゃいない。もしかしたら、隣にいるその人は親殺しの犯人なのかもしれない。突き詰めてしまえば、誰も何も信じられたものじゃない。気の違った病人の世迷言と捉えてくれればいいのだが、僕はマジメにこんなことを考えている。