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1.卒業する転生者

「……ったく。よりにもよって、卒業式が終わった途端に雨かよ」


 朝は穏やかな陽気で、空を仰げば雲一つない青空が広がっていた。午後になると急激に気温が下がり、しかも雨になるなんて誰が予想できただろうか。この星の軌道上に気象衛星はなく、知る限りでは気象予報士もいない。農夫や漁師は雲の形や風の向き、湿り気などを感じ、高い確率でその日の天気を言い当てるというが、俺にはそういった勘というか、センスはない。


「はあ~」


 早春の空の下、愚痴と共に吐き出した息が白くなった。それは、眼前にそびえ立つ白亜の城――ロシアの宮殿を思わせる――の威容をわずかばかり滲ませ、すぐに消えた。


 入学から十二年。一日千秋の思いで待ちわびた卒業の日である。一日が千日に感じるのだから、十二かける三百六十五かける千……とにかく、耐え抜くだけでギリギリだった学校生活は終わった。この牢獄のような学校と、地獄のような訓練の日々とおさらばだ。しかし、心はすこしも晴れやかではない。


 右手の筒を握り締めた。中には卒業証書と、もう一枚の書類が入っている。こいつのせいで、せっかくのハレの日なのに、憂鬱な気分になるのだ。


 くそったれ。

 

 母校に中指を立ててから背を向けて歩き出すと、後方からバタバタと駆けてくる足音が近づいてきた。


「おーい。待てよ、クロ!」


 振り返らなくても、聞き慣れた声で相手がわかる。駆け寄ってくるのは寮のルームメイト、城崎道夫に違いなかった。日々が拷問だった学生生活の中で、こいつが同室だったことだけはラッキーだったと思えた。


 歩調を緩め、道夫が横に並ぶのを待つ。追いつくや否や、肩をバシッ、と叩かれた。


「まったく、お前のツキの無さには参るぜ。まさか、卒業式に雨を降らすなよ」


 前言撤回。道夫と同室だったことだけは、アンラッキーだった。こいつの口の悪さのおかげで、何度無用なトラブルに巻き込まれたことか。


 恨めし気に道夫の顔を睨んだ。振り返った拍子に垂れそうになった鼻水を強く吸った。冷気がツン、と鼻腔の奥に突き刺さる。道夫の物言いは半分正解だ。確かに俺はツイてないが、雨に関しては濡れ衣だ。


「雨まで俺のせいかよ」

「そうは言ってねえ」

「言っただろ!」


 ツッコミが決まったところで、お互い我慢できなくなって笑った。俺たちは寮に向かって歩みを再開した。道夫とも、今日でお別れだ。


「ううっ。さむっ!」


 道夫がブレザーの裾を寄せて身震いする。


「風邪なんてシャレにならない。早くいこうぜ」


 道夫を促し、俺たちは帰路を急いだ。




「名黒義明。王立高等魔法学校卒業証書、ならびに赴任命令書を授与する」


 首で支えるには重すぎるのでは、と心配になるほど、豪奢な装飾が施された祭礼用の帽子――通称、悪魔のトーテムポール――をかぶった校長から、厳かに告げられた言葉が頭の中にリフレインする。


「本日正午をもって、名黒義明を、転生者ギルド所属の三等捜査員に任ずる」


 三等捜査員。


 幾多の苦行荒行の日々に、辛酸というやつは舐め尽くしたと思っていた。そして迎えた卒業の日、与えられた職務はギルドの三等捜査員だ。


 魔法学校の卒業生は、適正と成績に応じて様々な職務に就かされる。これは、転生者によって築かれたイスキリス王国が定めた法であり、拒否することは許されない。際限なく魔物が発生する世界で、人間が築いた王国の秩序を維持し、文化の発展、継承を続けるには魔法の力が不可欠だという。

この世界に転生した人間は、ほぼ例外なく魔力を有する。転生者は六歳になると魔法学校に進学し、卒業後は国の仕事に従事することが義務付けられている。


 これに逆らえば、法の名のもとに“処分”される。これはけして脅しではない。子供が転生者であることを隠していた親、魔法学校入学通知を無視した転生者などなど、俺が異世界で生きてきた十八年の間に、公開処刑された連中は数知れない。


 あいつらの気持ちは痛いほどわかる。俺だって、前世では度重なる不幸と理不尽に耐えかね、なかば衝動的に命を絶ってしまったクチだ。せっかくもらった第二の命を、わざわざ危険に晒すなんて馬鹿げている――そう考えるのは当然だし、親が我が子を守りたいと思うのも自然なことだ。そうさ、親は子供がかわいいんだ。今ならそれが当たり前だとわかる。


 王国内で生まれた子は皆、三歳の誕生日に“転生者検査”を受ける。唾液に魔力に反応するリトマス試験紙みたいなものを浸すだけで、その子が魔力をもっているかどうか判別できる。いわずもがな俺の検査結果は陽性だった。当然自覚があったので驚きもしなかったが、両親はそうとうなショックを受けていた。

六歳の誕生日を迎える前日、俺は新しい家族と引き離されてしまった。新しい両親は俺を愛してくれていた。転生者であることがわかってもそれは変わらなかったし、以前の暮しぶりについてもよく話を聞いてくれ、深い同情を寄せてくれた。別れるのは辛かったが、法に背いて失うよりはずっといいと思えた。しっかり働いて仕送りし、休暇のときは会いに行けばいい。そう考えて、魔法学校に入学したのだ。


 しかし、この配属先ではそれも難しい。転生者ギルド所属の三等捜査員とは、転生者に与えられる身分の中ではいわゆる“底辺”に属する。給料は安く、仕事はきつい。転生者の数だって、大陸全土に十分行き渡るほど多くはない。末端のギルドでは新人の致死率も高く、人手不足のために休暇もほとんどないという。


 改めて、我が身に起きた不幸を呪う。あのとき、神の口車に乗らなければよかったのだろうか。


「そんな、潰れた豆腐みたいな顔すんなよ」


 俺の苦悩を悟ってか、道夫がベッドメイクをしながら明るい調子で言う。


「生きてりゃ、なんとかなるもんだ」

「…………そうだ、な」

 

 憂い顔を潰れた豆腐と形容されたことには納得がいかなかったが、頷きを返した。

生きてりゃ、なんとかなる。


 壁にぶち当たったときの、俺と道夫の合言葉だった。


 道夫だって、転生者だ。ということは、前世(まえ)に一回死んでいる。そんな俺たちだからこそ、生きてこそ、という言葉に感じる重さは違う。


「で、どこの支部だ」


 道夫が訊いてくる。できれば話題を変えてほしいところだが、仕方ない。


「ベル支部だよ。一応」

「……出張所か?」


 実際の赴任先は違う、という部分を含ませると、道夫がシーツの角を整える手を止め、声のトーンを落としたので、ため息まじりに応じる。


「そういうこと」


 転生者ギルドの本部は王都にあり、要所ごとに支部が設置されている。要所とは、人口一万人を超えるような大きな町のことだ。大陸の原住民の数は二億人くらいだから、人口五千人でもかなり大きな町だといえる。小さな村になると、三家族くらいしか住んでいないところもあるそうだ。


 そうした支部がない、小さな町や村には全部ではないが出張所が設置される。日本の警察でいうところの交番に当たり、俺の赴任先であるカスベ出張所もその一つだ。


「人口約五百人、捜査員二人のド田舎だぜ」


 まったく、やってられない。肩を竦めてそう言ったが、道夫は「要するにそれってよぉ」と言って目を輝かせた。


「南部の開拓村の保安官、て感じだろ? いいねえ。西部劇みたいじゃん!」

「はあ?」

「だってよ、お前って武装適正が短銃士(ガンナー)だろ? 荒野で夕日をバックに“Make my day” なんて、男の憧れだろ!」

「あのなあ……」


 勝手に俺の職場を荒野に設定した道夫は、右手を拳銃の形にし、「BANG!」と口で言ってから、銃口――人差指――に息を吹きかけている。こいつは開拓地の危険性をまったくわかっていないのか。戦闘関係の成績はピカイチだったけど、社会科はてんでダメだったからしかたがないのか。まあ、わざと明るくしてくれているのだろう。


 人の数は、そのまま生産量の向上につながるとして、政府は開拓事業を推進している。原住民が開墾した土地の中には自治を認められる場合もあるため、彼らも開拓事業には大きな期待を寄せ、積極的に参加しているそうだ。


 しかし、未開の地には様々な危険が潜んでいる。未知の魔物や病原体がその代表例で、これまでも多くの命が奪われてきた。


 俺の赴任先もそうした中の一つだ。特に南部は広大な森林地帯が広がっていて熱病なんかも多いと聞いているが、この星に医者はいない。なんの魔法がある、と言いたいところだが、魔法で損傷した体組織を治癒させることはできても、ウィルスを退治することはできないのだ。実際、転生者の死因は戦闘による負傷――大抵はその場で死亡――が第一位で、死亡者数第二位は感染症なのだ。


「いやー。うらやましいわ。マジで」


 道夫は、せっかく整えたシーツの上に、自ら身を投げ出す。


「そうかよ」


 まともに相手をする気になれず、俺は道夫に背を向けて荷造りを再開した。卒業式典終了後は、速やかに退寮し、赴任先へ向かう馬車に乗らなければならない。地方に向かう捜査員には、その馬車こそが餞別なのだそうだ。


「俺さあ」


 なめした牛皮で作ったボストンバッグ風の革袋に衣類を詰め込んでいると、道夫が大きな声で言った。


「騎士団に配属されたんだわ」

「知ってるよ」


 同じ式典に出ていたんだ。校長が読み上げた道夫の進路は、俺だって聞いていた。


 道夫の配属先は、魔法都市レザイアが誇る魔法騎士団だ。転生者の中でもエリートが集う、卒後の進路としては花形である。


 エリート故に任務も過酷になりがちだが、田舎で泥臭く魔物を狩る日々が待っている俺に比べれば、上下水道が完備された魔法都市での快適な暮らしが約束された道夫の方が、よほどうらやましい。嫌味の一つも言ってやろうと口を開きかけたが、先に言葉を発したのは道夫だった。


「田神白虎隊なんだよ」

「え!」


 仰向けのまま言った道夫の声は、わずかに上ずっていた。


 俺の荷造りの手も止まる。


「マジかよ……」


 槍に貫かれた虎を旗印にもつ、田神白虎隊。それは、レザイアの魔法騎士団の中でもっとも華麗で、もっとも苛烈な戦いを好むという。


 団長の田神という人物は冷徹な男で、団員に課す訓練の過激さは、毎日一人は必ず失神する魔法学校のそれを遥かに凌駕するらしい。新卒の転生者が非公式に選ぶ“もっとも配属されたくない職場”で、僻地の出張所を押さえて十年連続の一位を獲得したことでも有名だ。そして、百戦錬磨の能力の高さ故に、田神白虎隊に課せられる任務には大きな危険が伴う。田神白虎隊は、新人騎士の死亡率においても一位を独走中だ。


 本来、道夫の能力はそれに耐えられる、という魔法学校と騎士団の評価を誇るべきなのかもしれないが……


「死にたく……ねえな」


 道夫は天井を見つめたまま、絞り出すように言う。


 俺たちは、第二の人生を異世界で歩むことになった。今度こそ、実りある人生を謳歌し、限りある命をまっとうに生きる。それには、生き抜かねばならない。卒業前夜、俺たちはこの部屋で誓い合った。“どこに行っても、恥ずかしくない人生を送り、必ず生きて再会する”と。


「……」


 俺は黙って、異世界で出逢った友に右拳を突き出した。苦楽を共にした道夫に、中途半端な励ましや気休めの言葉はいらないように思えた。


 道夫がこっちを見た。身体を起こし、泣き顔のような、笑い顔のような表情を作った。


 二人の拳がぶつかった。


「いや、痛えよ!」

「るせぇ!」


 野郎。割と本気で殴ってきやがった。その後はしばらく、二人で取っ組み合いをした。寮長が怒鳴り込んできた時点で、最後の罰掃除が決まった。




 俺たちは、笑って別れた。




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