八章 放ったメッセージ
―――ティトゥ。今日は私がおっぱいをあげる日ね。ふふ、上手くできるかな?
離婚調停が加熱するにつれ、恋人はますます私との現実逃避にのめり込むようになっていった。親戚からの圧力、夫や連れ子達との争いに日々精神を擦り減らすエミルにとって、私とシェリーは唯一守るべき家族だったから。
―――ねえエミル。焦る気持ちは分かるけれど、少し屋敷を離れて休んだ方が良いわ。顔色悪いもの。
幾ら地下室から外に出ない私でも、その難航具合は彼女のやつれ振りで充分窺い知る事が出来た。
―――ねえ。私の世話はチャヴァに任せて、偶には息抜きに何処かで休養してきたら?
―――?大丈夫よ。早くあんな連中とは縁を切って、皆を新しいお家に連れて行ってあげないと。
私が地下室で焼死したのはその数日後だった。犯人は、
「あの成金当主って訳か。その後は?何で男に?」
俺の長い長い昔話を、しかし義父は一度も茶化さず黙って聞いてくれた。
「これはベリドの身体だ。あいつは夢の障害で、生まれつき肉体を満足に使えなかった。言っとくが物語、魂を引き剥がしたのは幽王様だ。エミルは手を下してない」
そこを誤解されては困る。彼女は人殺しなど出来る人間ではない。
「だから屋敷ではお前に突っ掛かってきた訳か」
俺達を“黄の星”へ運ぶ小型宇宙船の船長、何と不死族の傭兵らしい。勿論操縦免許付き。パス同様偽造らしいが、一応試験もちゃんと受けたそう。その大男は今、俺達もいるラウンジでオリオールの格闘技ごっこに付き合っている。
「だあっ!」「わっ!」
ドスン!綺麗に投げられて背中から落ちた。が、すぐに復帰して太い腕を掴みプロレス技をかまそうとする。
「おい二人共。あんま無茶するなよ」観戦する義父さんが暢気に声を掛けた。
驚くべき事にこの船、離着陸以外殆ど自動航行とやらで勝手に動くそうだ。だから船長もこうして遊んでいられる訳。
「それで納得した。取り敢えず話の続きは政府館に戻ってからにしようぜ。エルが何か気にしている様子だったし」
「ああ。俺も喋り疲れた。到着するまで仮眠取ってていいか?」
欠伸。昨日は一応万年床で横になったが、エミルの事が気になって余り眠れなかった。
「構わんが兄ちゃん、後三十分もあれば着いちまうぞ?」
「きゃー!!」
片手で少年を逆さ吊りにしつつ大男が言った。
「本気で速えなこの船。もしかしてさっきのワープ、だっけ?あれのせい?」
エルから一応聞かされてはいたが、一体どんだけ高度技術持ってんだよ不死族は。
「ああ。リュネとはお前も屋敷で会っただろ。彼女が開発した魔術機械で空間転移するんだよ、この船。因みに俺達が何度か乗せてもらったのは、こいつより一回りデカい別の船だ」
「ありゃ開発者専用だからな。俺だって両手で数えるぐらいしか乗った事無え。お前等は運が良いぞ」
寝るのは諦めてソファに横になる。ここからの強行軍に備え、せめて身体を休めておこう。
ギシッ。目の前で座っていた義父が突然立ち上がる。
「靭、少し電話貸してくれ。ついでに番号も教えて欲しいんだが」
「?何処へ掛けるつもりだ?」
「メノウの所だ」
突飛な発言に太い眉が歪む。何時の間にか上下逆さま、両手を万歳したオリオールも不快げだ。
「俺達の王に、か?一体何の用で」
「まーくんの事でちょっとな」
「何もあいつに相談なんて……僕、どうなっても知らないから」
膨れっ面のままゆらゆら。
大男はしばらく考え込んでいたが、一度大きく頷いて少年を下ろした。
「―――分かった。ちょっと待て、今思い出す。ええと……」血管の浮きかけた米神を押さえ、記憶を振り絞る。「短縮番号の七、だったか」
「ところで一つ訊こうと思ってたんだが、もしかして電話設定は“黒の都”内で全部共通か?―――やっぱそうか。ん?けどそれなら五と六は何処なんだ?」
「んな事に興味あんのか?変わってるな、流石坊ちゃんの仲間だ」
豪快に笑う。
「確か六番はあの不気味な建築士の寝室だった筈だ。五はあー……そうだ。前は一応“都”にも集会所があったんだが、“黒の森”の襲撃でぺしゃんこにされちまってな。と言う訳で今は空き番だ」
「変な質問して悪かったな。ありがと、恩に着る」
早速壁掛け電話の受話器を取り、ボタンを押す。先程までの怒りは何処へやら、心配そうな顔でオリオールが寄って来た。
「本当に連絡するつもりなのお兄さん?くれぐれも変に刺激しないでよね」
「分かってるさ。終わったら今度は俺が遊んでやるよ」
「お兄さんと?しょうがないなあ」
呆れつつも小さな拳を振り回す。意外と楽しみな様子だ。
「もしもし、メノウか?……あ、留守電かこれ。まあいい」
義父は頭を掻きつつ、照れ臭そうに伝言を入れ始めた。
「ウィルネストだ。メノウ、その、頭の傷はどうだ?もう治ったか?まだ痛むならちゃんとジュリトに薬貰えよ」
二、三回あー、とかえー、とか言った後、「今日は良い天気だな」今時会話の繋ぎにも使わない死語をブッ放つ。その直後、録音が終わった。
「切れた。い、意外と短いんだな」
「普通これぐらいだろ」傭兵は嘆息した。「坊ちゃんの事を入れるんじゃなかったのか?」
「忘れてねえよ。今のは練習だ」
数回深呼吸後、リトライ。
「あー、済まない。思った以上に時間が短くて。そうだお前、葬式来てたんだってな。病室にも立派な花束持って来てくれたみたいだし。実はあいつ、今日退院したんだ。もう少ししたら店も開けるらしいぞ。良かったら顔見に寄ってやってくれ」
おいおい義父さん、誠の事はどうした?あ、やっぱ切れた。録音の長さは一分程度か。
「次はちゃんと本当の用事を言ってねお兄さん。これじゃまるでストーカーだよ」やれやれと少年が首を振る。
「言われなくても」
流石に三回目ともなると、受話器を握る手に力が籠った。さて、上手くいくか?
「再三済まん。実は、お前に一つ頼みがあるんだ。まーくん、前の事件の後からどうも自分を責めているみたいなんだ。現に今日も暗い顔をしてて……出来れば一度、会って元気な姿を見せてやってくれないか?無事な母親の顔を見れば、あいつも大分気が楽になると思う。勿論、俺も戻ったらじっくり話を聞くつもりだ。―――じゃあな。長々と電話して悪かった」