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終章 美しき黎明




「―――いさん、お兄さんってば!!」「っわっ!!?」


 耳元でがなり立てる甲高い少年の声で叩き起こされた。芝生が背中に当たりチクチクする。

「もー、お兄さんが一番お寝坊さんだよ!もう朝なんだからね!!」

 オリオールの言う通り、周囲の樹々の間から昇ったばかりの朝日が顔を覗かせていた。空も爽やかな蒼のグラデーションを描いている。

 辺りを見渡し、目がある一点で釘付けにされる。さっきまでいた時計塔は完膚なきまでに崩壊し、コンクリートの瓦礫の山と化していた。

「ど、どうなってんだ??」

 塔を出た記憶は無い。なのに何故こんな所で寝て、

「そんなの知らないよ。僕達もさっきエルのお兄さんに携帯で呼ばれて来たんだもん」

「!詩野さんとアイザはどうした!?」

「彼女達なら心配要らないわ。今婚約者の彼とお父様が病院へ運んで行ったから」

 答えたメノウは俺の顔を覗き込み、お寝坊さん、気分はどう?そう言って微笑んだ。

「まあまあだ。まーくんとリーズ達は?」

「お二人さんは事後処理とかでまだ夢の中よ。で、まーくんは給金泥棒の彼を手当てしている最中」クスッ。「ほら、噂をすれば戻って来たわ」


「待って下さいシャーゼさん!駄目ですよ、傷が塞がってないのに動き回っちゃ!!」

「だから追って来るな!この程度、もう何ともない!!」


「随分斬新な手当てだな」

 瓦礫の周りをぐるぐるぐる。まるでカルガモの親子のようだ。早歩きなのは完全に先頭の奴のせい。

「もう彼此五分ぐらいあの状態よ。見ている分には面白いけれど、そろそろまーくんの持久力が切れそうだわ」

 確かに息が荒い。突然倒れる可能性もなきにしもあらずか。

「止めてくる」

 立ち上がり、誠の通過後の道を両腕を広げて塞ぐ。そこへのこのこやってきたシャーゼを素早く捕まえた。

「まーくん、ちょっと借りるぞ」「え?う、うん」

 了解を得、そのまま樹の陰へ連れ込む。

「何だウィルベルク!?放せ、気色悪い!!」

「当たり前だ。誰が好き好んでムサい野郎と手なんて繋ぐか」誠ならともかく。

 掴んでいた腕を解放し、腰に手を当てる。

「何でこんな時までまーくんを困らせるんだ手前は?傷が化膿してもいいのか?」

 数日憑依していた物を無理矢理引き剥がしたのだ。出血も相当で、本来なら絶対安静必須の状態だと言うのに!

 すると奴は、こちらの予想外に深刻な狼狽の表情を浮かべた。いつもは自信たっぷりな声が弱く震える。

「五月蝿い!わ、私に……一体どんな顔をして奴の前に立てと言うのだ!?」切れる程唇を噛む。「幾ら操られていたとは言え、小晶に苦痛と恐怖を与えたのは私だ。治してもらう資格など」


「手前は阿呆か!?」グイッ!右手で奴の胸倉を思い切り掴む。


「ウィル!怪我人に乱暴は」

「大丈夫よまーくん。あれは軽いスキンシップ。ほら、今の内に息を整えて。すー、はー」

「え、ええ。すー……はぁー……」

 流石は母親、フォローは完璧(?)だ。これで俺も気兼ね無く話し合いが出来る。

「な、何をする!?」

「うじうじ悩んでるんじゃねえ!手前はいつも通り余裕たっぷり馬鹿みてえに笑って、ハッ!ああ胸糞悪い夢だったな小晶、とか言っていればいいんだよ!!」

「この状況で笑えるか!私は恥知らずの阿呆ではないんだぞ!!どのツラ下げて―――いっ!?」

 肉の余り無い頬を左手で力一杯抓る。

「んな暗い顔してると、まーくんは手前の十倍心配して百倍辛くなるんだよ!笑え!出来ないなら表情筋縫い付けて無理矢理笑顔にするぞ!!」

「無茶苦茶だ!!」

「全くね」

 赤いマニキュアを塗った親指と人指し指が、いとも易々と俺の手を引き剥がす。妖艶な笑みを浮かべ、“炎の魔女”は語り掛けた。

「ねえ給金泥棒さん。あの子が好きなら少しの間だけ我慢してくれないかしら?口角をこう上げて、ね?あら、中々素敵」

 両手の人差し指で口の端を押さえて無理矢理作られた笑顔は、はっきり言って不気味そのものだ。“魔女”は意外と目が悪いらしい。

「し、しかし……」そこでもじもじするな、気色悪い!!

「それとも、もしかして嫌いなのかしら?」

「い、いや!!……ど、どちらかと言えば………好き、だが」

「なら何の問題も無いわね、良かった」

 何処がだ!?顔を林檎みたいに真っ赤にしやがって、大問題じゃねえか!!?俺が誠に恋しているのを知ってるくせにこのアマ!

「早くあの子の所に行ってあげて。あそこでずっと待っているもの、可哀相に」

「あ、ああ……」

 奴は弟と話している彼へ向かい、ガチガチに緊張しながら近付いていく。見送る俺の肩に掛かる手の重みと、鼻腔を刺激する香水の匂い。

「さて、上手くいくかしらね。北風と太陽作戦」

「誰が北風だよ」

 耳朶に掛かる吐息をくすぐったく思いつつ反論する。

「そうね。針と糸を持った北風なんて、いたら怖くてとても外を出歩けないわ。―――ほら見て、とうとう行ったわよ」


「しょ、小晶……」

「あ、キューキンドロボー。やっと兄様に治してもらう気になったの?」


 胸を反らして小馬鹿にしたように言う少年を兄が諫める。

「オリオール!大丈夫ですかシャーゼさん?痛みは?……出血はもうしていないみたいですね、良かった。すぐ塞ぎますから座って下さい」

 グシャッ。あろう事か、奴は笑顔とは真逆の酷い泣き顔を晒しやがった。最早止める間も無い。恥も外聞も捨て去り、大の大人はボロボロ涙を零す。

「あーあ、失敗ね」

 隣で嗾けた“炎の魔女”が苦笑する。

「ど、どうしたんですかシャーゼさん!そんなに痛いんですか!?」

 本人と同じぐらいおろおろしつつ、天使は傷のある肩に触れようとする。

「それぐらい我慢しなよ、大人のくせに」

 少年が背中を軽く叩くが、第七対策委員は泣き止む所か一層酷い嗚咽を漏らし出した。あちゃー……。

「怪我人にそんな事したら駄目だよ!ほ、本当に大丈夫ですか!?横になった方が」


「済まない……どう詫びても、償える物ではないが………済まんかった……!!」


 もう駄目だ。あの野郎とうとう土下座しやがった。俺は思わず天を仰ぐ。

「頭を上げて下さい!お願いします!!」

 混乱のピークに達し、隣に膝を付いて上体を起こさせようと両腕を回す。

「シャーゼさんは全然悪くありません!事件に巻き込んでしまって、謝らなければならないのは私の方です!!」

「違う……!四天使とあんな人形如きに操られたのは……私の心に迷いがあったからだ。もっと早く父の件にけじめを付けておけば………お前に手を掛けるような馬鹿な真似は……」

 一生分かと思うぐらい次から次へと滴を零し懺悔する奴へ、天使は優しく微笑みかけた。

「謝らなくていいんですよ。だって私達は友達なんですから」

「!!?」

 上げた端正な顔立ちは、涙と操られていた間の疲労で見る影も無い。いつもよりやや血の気の失せたその頬に、更に白い手が添えられた。蕩けそうな極上の笑顔を浮かべて奇跡使いは囁く。

「取り敢えず傷を塞いで、終わったら病院できちんと検査してもらいましょうね。あ!アムリさんにも連絡しておかないと。きっと今頃心配していますよ」


「シャーゼ!」

「噂をすれば、だな」


 先に病院へ行ったエルが一報入れたようだ。アムリ女医は若干ニヤニヤしながら弟の元へ駆け寄り、肩口の固まった血を見て表情を一変させた。

「どうしたの、この変な傷!?太い針で何回も刺されたみたいな」

「何でもない。お前には関係無い事だ」

 身内の強がりには慣れっこらしい。姉は少しも気にせず、治療中の誠へ頭を下げた。

「またシャーゼの手当てしてくれてありがとう、小晶君。この子昔から我慢し過ぎる性格なの。散々困らせたでしょう?ごめんなさいね」

「いいえ。それよりアムリさん、家に戻ったらゆっくり休ませてあげて下さい。シャーゼさんはこう見えてとても……大変な任務を終えて、今凄く疲れているんです」

 癒しの氣を流し込みながらたどたどしく説明する。

「やっぱり大分弱くなってる。これで元気になってくれるといいけれど……」

「ねえ、小晶君」

「何ですか?」

 女医は睨み付ける弟を無視し、この通り不束者だけど、これからも仲良くしてあげてね、そう頼んだ。

「こらアムリ!」

「ええ勿論。こちらこそよろしくお願いします」

 クスクス。その様子を見ていたメノウが忍び笑いを漏らす。

「何が可笑しい?」

「別に。―――さて、私もそろそろ“黒の都”へ帰るわ。リュネも心配しているでしょうし」

 背伸びの拍子に欠伸が出る。

「その如何にも徹夜明けの顔でか?朝飯ぐらい食っていけよ。モーニングが美味い喫茶店に連れて行ってやるからさ。ついでに政府館でシャワーも借りていけばいい」

 時計塔の埃で真紅の髪がドロドロだ。激しい戦闘中の汗で自慢のメイクも剥げかけている。

「あら、いいの?じゃあお言葉に甘えて―――まーくん?」

 疑問の声に背後を振り返ると、彼は何故か治療中にも関わらず俺達を凝視していた。無垢な黒い両眼に、今までに無い複雑な色を浮かべて。

「まーくん、どうかしたのか?」

「う、ううん……何でもない」

 否定の後ほっ、と息を吐き、明けていく空を仰いだ。


「綺麗な朝だね」

「ああ」


 平和な一日にはもってこいの快晴だ。




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