二十六章 崩落
ボトッ!「っあ……はぁっ……!!」
血だらけの肩口を押さえつつ、エミルは憎悪の眼差しで床に落ちたシェリーを睨んだ。
「この!!」「エミル!?」
止める間も無く彼女の脚が閃く。
ガンッ!……カッ……カッ……。
蹴り飛ばされた人形は、時計塔の壁に当たりながら下に底知れず広がる闇へと落ちていった。
「やった……!ざまあみろよ……!!」
会心の笑みを浮かべ、そのままぐったり座り込む。
「帰りましょう、ティトゥ。話は後でゆっくり聞くわ」
「え、ええ……現の夢を収縮させたらね。私がやるわ。その怪我じゃ集中が続かないでしょう?サポートして」
「素人のあなたが?無理よ」
極度の興奮の上、この傲慢さ。沈着冷静さを要求される現の夢の解体には凡そ不向きな精神状態だ。
「今のエミルに任せたら絶対失敗するわ。お願い、言う事を聞いて」
「嫌よ」
仕方ない。俺は失神したシャーゼの手当てをしていた誠を呼んだ。
「済まない。エミルを診てやってくれ」
「いいよ」
黒髪の友人は恋人の前で膝を付き、ごめんねリーズ、ちょっと傷を診せてくれる?いつも通り丁寧な口調で頼んだ。
「“燐光”、何故祀られている筈のあなたがここにいるの?今頃不死族達が捜し回っているわ。早く帰りなさい」
「え??リーズ、急にどうしたの?」小首を傾げる。
「どうやらさっきの影響で、まだリーズ・ビトスの記憶が戻っていないみたいだ」
「記憶喪失?私みたいな」
「ああ」
彼は納得した様子で、優しくエミルの両手を握った。
「えっと、じゃあもう一回自己紹介するね。私は小晶 誠。こっちが」赤い目に変わり「燐だ、オバサン?」挑発的に言う。
「私達、今はリーズ達と一緒に外界で白鳩調査団として活動しているの。勿論同族の人達も皆知ってるから戻らなくていいんだよ……全然覚えてない、のかな?」
「リーズ?それは、私の名前?」
「そうだよ。リーズ・ビトス、夢療法士を目指す学生さん。“白い羊”って言う孤児院に住んでて、夢の事だけじゃなく医術にも詳しいんだよ」
エミルは彼の顔をまじまじと見、少女の声で呟いた。
「誠、君……?」
言った次の瞬間、信じられないように唇を手で覆う。友人は微笑みを浮かべ、そうだよ、小さく頷いて治療を開始した。
「おい、ケルフ。俺達はどうすりゃいい?」義父さんが尋ねた。「もうアイゼンハーク家の時みたいに出られるのか?」
「いや、まだ影響が残ってるみたいだ。取り敢えず全員で一階まで行こう」
預かった杖を振る。
「俺がこいつで出口を開くから、義父さん達は先に脱出してくれ」
夢見る主がいなくなっても、この現の夢はかなり安定している。収束に不慣れな俺でも、時間を掛ければ何とかなるだろう。
「ところで大丈夫なの、あの人形?やけにあっけなく落ちて行ったけれど」
マダムが暗黒を覗き込みながら訝しげに尋ねる。
「多分」
「ケルフだといまいち説得力が無いね。まあいいや。エル、早く詩野さんを病院へ連れて行こうよ」
「ああ」
婚約者の腕に抱かれた詩野さんは、まだ時折苦しげに息を吐いている。既にピンピンしているアイザと違い重症だ。
怪我人二人を抱え、俺達は屋上を後にしようと階段を降り始める。最後尾は俺。エミルと彼女の手を握る誠の後ろだ。二人の前で義父さんとメノウさんがシャーゼを両側で支え、エルは一人で詩野さんを背負う。その傍にはまだ本調子でないアイザが付き添った。
「リーズ、手も診せて」
言うなり優しく取った手、血の固まった親指に向かって癒しを施す。何度も感じている筈の温かさだが、エミルは初めて受けた様に緊張していた。今の彼女はかつての孤独な天才。乳母以外の愛の籠った手当てに慣れていないのだ。
「痛くない?怖がらなくてもいいよ。リーズにはケルフや私達がいるもの」
綺麗に治った爪を撫で、リーズの指、私好きだよ、と囁く。
「あなた、以前もそんな事を言っていたの?」
困惑した表情でギリギリ三十代の夢使いは尋ねる。
「?そんな事って?」
「だからその、人を口説くような」
「??」
小首を傾げ、どう言う意味かが分からない、と困惑を示す。
「あなたと私は恋人同士、ではなかったわよね?ティトゥが大変な時に二股なんて掛けた筈無いもの」
「恋人……?」ブンブン!何故か激しく頭を振る。「ううん、リーズは友達だよ!」
「なら何故」
「誠、俺の指は好きか?」流石に助け舟を出す。
「うん。逞しいけど指先で繊細な動きが出来るよね。ギターを弾くから?」
呆気に取られるエミルに俺は肩を竦め、こう言う奴なんだよ、苦笑混じりに説明した。
通ってきた非常階段は老朽化で何度が壊れ、既に通行不可だ。エルの話だと、内部の普通階段の道程は各階をぐるりと大きく回る形になっていて大分長いらしい。
ガタガタガタ………!!
「?今揺れたぞ?もう崩壊が始まったのか?」
「ちょっと待ってくれ。エミル」
「ええ」
二人で杖を持ち、夢の力を体外に解放する。探査しようと意識を伸ばした瞬間、一際大きな地震が俺達を襲った。
「わっ!!」「きゃあっ!!」
階段が中程から一気に崩れ、瓦礫と共に義父さん達が九階へ落ちた。取り残された俺達三人は慌てて下を覗き込む。
「皆、大丈夫!!?」
「ってて……ああ、俺達は何とか」
咄嗟に二人を抱えて事無きを得た義父は実弟達の方を向き、そっちは?尋ねる。
「アタシと詩野さんは平気。エルは?」
「着地の時に軽く挫いたぐらいだ」紋様の刻まれた手を広げフワッ、癒しの魔術を使う。「これで問題無い」
「俺が掴んでやる。三人共、早く降りて来い」
シャーゼをマダム・メノウに任せ、義父が誠へ腕を伸ばす。
「ほら、まーくん。手を出せ」
「え!?う、ううん!燐さんもいるし、一人で降りられるよ」
「それはそうだが……じゃあリーズ。レディファーストだ」
両手を振って拒否する誠を訝しく思いつつも、義父はエミルへそう言った。
「私は夢使いよ。こんな短距離、一瞬で空間転移出来るわ。ね、ティトゥ?」
「それもそうだな。じゃあ誠を連れて降りてくれ。義父さん、手を」
その時、未だ動揺していた奇跡使いは、急に来た道を振り返った。
「呼んでる……」怯えた表情でそう呟く。
「?まーくんどうした?」
次の瞬間、エミルと俺も屋上の異変に気付いた。怒れる絶叫と狂った震動。これまでとは比べ物にならない程深く昏い、暗黒の夢の波動を。どうやらそれは階下にも伝わったようだ。義父の表情が変わる。
「まだみたいだな。燐、上げてくれ」
「あいよ」
同一人物とは思えないしなやかさと力強さで支え、片腕で一気に引き上げる。
「ウィルネスト!私も上げて!!」貴婦人が腕を伸ばす。
「お前は二人を下まで運べ。もやしっ子のエルと本調子じゃないアイザだけじゃ一階まで行けないだろ―――っておい!?」
義父さんの目が丸くなる。アルカツォネの長身に支えられ、何と彼女は自力でよじ登って来た!凄まじい行動力だ!
「ありがとうお嬢さん。お礼に今度、お店で一番素敵な花瓶を買わせて頂くわ」
「そんな。こっちこそオマケさせてもらいます」
このガッツ。流石に団長も諦めざるを得ない。
「仕方ねえな」ポリポリ頭を掻く。「二人共、充分気を付けてな。何なのか確かめたら俺達もすぐ後を追う」
言った瞬間、またもや揺れる。娘の憤怒がビリビリと肌を刺激してきた。
「……熱い………!」
耐えられないように右腕を押さえた誠を、意外にもエミルが抱き寄せた。
「シェリーの夢を感じているのね。優し過ぎるその魂で……」
マシュマロみたいな耳朶に唇を寄せ、暗示を掛ける。
「同調しては駄目よ。私みたいに乗っ取られてしまうわ。―――薄くて白いカーテンを掛けるの、夢が直接伝わって来ないように。ほら、段々熱が取れてきたでしょう?」
こくっ。
「良い子ね、誠君は」
頬の強張りが解け、天才は表情筋の赴くままに微笑んだ。




