二十一章 人形移動の謎
「はぁっ……はっ……!」
黒ダイヤの筈の心臓がズキズキ痛む。しかしそれは、決して恐怖のせいだけではない。
(やっぱり来てくれた……これで、もう大丈夫……!!)
先程までは無かった希望を抱きながら、痛みも忘れて早足で屋上へ向かう。
「先に行って、二人を助けて、皆で一緒にシャーゼさんを元に戻すんだ」
「そう上手く行くと思っているのか?」
進行方向の角から剣をぶら下げた彼が現れ、サッと進路を塞いだ。橋をウィルの剣風が揺らした際に傷付けたのだろう。両手の甲に血が滲んでいる。
「皆が来た以上、あなたもここまでです。最上階はもうすぐでしょう?」
「ああ。一つ良い事を教えてやろう、二人は次の階だ。尤も……遊びは終わりだがな」
剣先で私の胸を指す。
「奴等が再会するのはお前の死体だ」
「そうはさせません」
私は回復した氣の障壁を張り、猛然と彼の隣を走り抜けた。一撃を受ける覚悟は出来ていたが、何故かそれは来ない。
(え……?)
一瞬横目で見た友人の顔は酷く辛そうで、凶器を持った手を左手で押さえていた。
(まさか、傀儡が解けかけている?)
そうか。強い意志を持つ彼だ。何時までも大人しく操られている筈が無い。
「シャーゼさん!!負けないで下さい!!」
私の声援に、一度全身が大きく痙攣を起こす。そして、
「……小晶……?私は、一体何を……?」
正気に戻ったシャーゼさんは、酷く苦しげな息を吐き、よろよろとこちらへ近付いて来る。
「何故そんなに怪我をしている……?若しや、私がやったのか?……駄目だ、何も思い出せない」
カツン、カツン。
「この酷い倦怠感は何だ?それに何故、私達はこんな廃墟にいる……?」
「シャーゼさんは今まで何者かに操られていたんです。でも、もう大丈夫。今から私達が屋上にいる元凶を倒してきます。だからそこの壁に凭れて、少し休んでいて下さい」
よく見ると、彼の右肩は不自然に盛り上がっていた。まるで服の下に何かが入っているような……。
「済まない……小晶」ガクッ、と頭を下げてすぐ傍へ。「怖かっただろう。骨も折れて、さぞや『痛い』んじゃないのか?」
精確な心臓への一撃を避けられたのは、正に奇跡以外の何物でもなかった。
「―――やれやれ、折角一瞬でその苦痛から解放してやろうと思ったのにな」
再び上げた顔にはあの不気味な笑み。クックッ。含み嗤った後、服を徐に引き千切って右肩を晒す。
「!!それはアイゼンハーク家にあった……!?」
肩口に腰掛けた少女人形の茶髪が後ろへ伸び、僧帽筋の辺りへ幾筋も突き刺さっている。流血の跡がまだ皮膚上にどす黒く残っていた。
「酷い……!どうしてそうまでしてシャーゼさんに取り憑いているんです!?」
ベリド君の警告も虚しく外界に放たれた人形は、作り物の薄い唇を動かした。
「シスターが手を貸してくれたの。自分だと短時間しか動けないから。こうして」二人の右腕が同時に上がる。「器に運んでもらうのよ。不便だけどしょうがないね」
「でも屋敷を脱出する時、シャーゼさんは剣以外持っていなかった筈です。なのに何故」
「ところでリーズ。一つ訊きたいんだが」
「何?」
先程誠達がいた鎖の通路を越え、短縮ルートで更に上を目指す最中。メノウがよじ登るのに手を貸しながら、俺は疑問を口にした。
「今はシャーゼがシェリーを所持している。だがあいつはアイゼンハーク家から出る際、人形なんて当然持っていなかった。地下室から持ち出したのはベリドだが、食堂で対峙した時には既に手にしてなかった。ケルフの話だと、奴は自力で移動出来ないんだろ?なのにどうして」
「ウィルネストが見落としていただけじゃない?よいしょっと」
パンパン。ドレスの裾の埃を払いながら“魔女”が言う。
「シェリーの身長は少なくとも三十センチ以上はあったぞ?シャツにパンツじゃ何処に隠しても目立つ事この上無い。あの時は特に鞄も持っていなかったしな。一体どうやった?」
「一人いましたよ、シェリーを持ち出せる人間。いえ、正確には人の皮を被った怪物だった訳ですが……」
「!?あの蜘蛛女、か。成程、着物なら充分袂に人形を隠せるな」
分かってしまえば簡単な話だ。そう言えば食堂に突入する直前、ドアの前に立っていた奴はかなりの放心状態だった。もしかしたら人形に半分意識を乗っ取られていたのかもしれない。
「彼女はシスターと繋がっていた。恐らく事前に回収命令を受けていたのでしょう。天宝商店の中庭へ、箱に入れて埋められていた」
「?どうしてそんな所に?」
俺同様、メノウも首を傾げる。
「あいつはジプリールに忠実だった筈よ。何故さっさと渡さなかったの?」
リーズは眉間に皺を寄せ、お二人が喧嘩する理由と一緒ですよ、冷淡に返答した。
「確かに、同じ獲物を狙うライバルを自由にする馬鹿はいないわね」
だけどお嬢さん、貴婦人は腰に手を当てて続ける。
「以前は別として、私達はまーくんの事で喧嘩なんてしないわ。現に今だって協力してるもの」
「でも“緋の嫉望”、完全には安定していないんでしょう?全然説得力ありません」
子供のようにプイッ、顔を背ける。
「あなたは紛れも無く、この宇宙で五本の指に入る超危険人物です」
「喧嘩の種は今の所、ウィルネストの気が利かない事ぐらいよ」
「あと中々誠君に告白しない優柔不断さとか」
「その事だけど、本当に好きなの?」
「ええ。少なくとも私が初めて会った時はもうメロメロでした」
「今何ヶ月ぐらい?―――二ヶ月?そんなに経っててまだ言ってないの?馬鹿みたい」
「全くです」
「おいこら」
この姦しい女共め、言いたい放題言いやがって。
新たな梯子を昇ると、丁度目の前に明かり取りの窓が開いていた。現の夢の中、てっきり真っ暗闇かと思いきや、今まで見た事が無い程近くに白い満月がぽっかり浮かんでいる。道理で意外と明るい訳だ。
「もう光球は必要無さそうですね。消しておきます」スーッ。
頭上を仰ぐと照らされた天井部が見えた。斜め左上には上階への階段。ざっと確認した感じ足場は揃っている。ヒールのメノウでも大丈夫だろう。
「屋上に行ったら、どうやって人形を引き剥がせばいい?まだ魂を盗られてなければ、の話だが」
「ケースバイケース、とにかく油断は禁物です。シェリーの危険性はベリドの時とは比べ物になりません」
不意に足場の感覚が消えた。「わっ!」ガチャン!慌てて横のチェーンにしがみ付く。
「早速だな!」
「現よ、戻りなさい」
杖を振るい、サファイアの先端から蒼い光を飛ばす。消失した巨大歯車が輪郭、続いて実体も復活した。
「先方は本気で殺すつもりね。まーくん……どうか無事でいて」
両手を組み、母親は再度祈った。




