十三章 SOS
「え……来てない?」
シャバム中央病院、玄関ロビー。急ぎ足で入った俺達を待っていたのは、受付看護師のその一言だった。
「か、帰したくないからって嘘吐いても駄目だからね!?いつもみたいに回診中なんでしょ?ねえってば!」
少年の問いに、白衣のナースは困惑の表情を浮かべる。
「いいえ。私達も小晶さんがいらっしゃると連絡を頂いて、今か今かと待っていたのですが……途中で何かトラブルでもあったのですか?」
そもそも彼女等には嘘を吐くメリットすら無い。幾ら患者達が奇特な慰問者を喜ぶとはいえ、もう夕食の時間だ。
「―――電話貸してくれ」
「どうぞ」
今日一日ですっかり暗記した番号を押す。プルル、ガチャッ。「俺だ」
『兄上?まさか誠もいなかったのか?』
「ああ、病院へは顔も出していないらしい」
『心当たりは?』
「あれだけ落ち込んでいたんだぞ?行きそうな場所なんて」
何度も来ているから土地勘はあるだろうが、一人で行くとなると話は別だ。
『それもそうか。―――今夜は長くなりそうだ。”泥崩”の夜と同じぐらい』
死者が街中に溢れ出し、自身大きな決断を下した日を思い出して弟は呟く。
『どうしたケルフ?―――ああいいよ、はい』
『義父さん、さっき窓の外にエミルがいた』
「執務室のか?おい、そこ三階だぞ」人間がぽっと横切る高さではない。
『幻覚なんかじゃない。夢と現実の狭間を通ってたんだ。俺には夢使いの資質があるから見えたんだと思う』
義息は沈黙の後、俺、後を追うよ、きっぱりそう告げた。
「一人で大丈夫か?」
『ああ。夢の残滓を追うには誰もいない方が集中出来る』
『そう言う訳にもいかないな』
弟が割り込んで来た。
『丁度電話番も戻って来たし、僕も捜索に参加させてもらうよ。と言う訳でラキス、寝ずの番宜しくね』『あ、おい!?』
『話聞いてたのかエル。俺が捜すのは詩野さん達じゃなくてエミルだぞ?』
『少しでも手掛かりがある方に向かうのは当然だよ。それに夢使いなら三人を夢から辿って捜し出す事も出来る筈。精神集中の邪魔はしない、頼むよ』
『そうだな。追跡の間、どうしたって現実の視界は制限されちまうし。じゃあ俺が転ばないように見張っててくれ。義父さんはどうする気だ?』
「そろそろメノウがこっちに来る頃だ。取り敢えず船着場へ行く。爺の話だと大分急いでいるらしい」
今更ながら厭な予感がする。何故愛息ではなくわざわざ俺に?
『義父さん、あの人にあんまそっけなくするなよ。本気で惚れられてるんだからさ。本命が誠なのは分かってるけど』
二股掛けろとでも言いたいのか、この小僧。あ、切りやがった。
受話器を置き、ソファで退屈そうに脚をぶらぶらさせる少年に、待たせたな、と声を掛けた。
「メノウを迎えに行くぞ」
「王様、何の用かな……?さっきのお兄さんの電話で怒らせたんじゃない?」
「かもな」
だとしても今は緊急事態だ。余計な感情は抑えてもらわねば。
すっかり夜の外へ出た所で、珍しい顔と遭遇した。第七対策委員シャーゼ・フィクスの姉、アムリ・フィクス解剖医だ。どうやら仕事帰りらしく、私服で病院へ入ろうとしている。
「こんばんは女医さん。お母さんのお見舞い?」
「ええ。最近は小晶君のお陰ですっかり良くなって、本当に感謝してもし切れないわ。一般病棟にも無事移れたし……ところで今日は一緒じゃないの?」
「ああ」
「そう、残念ね。あ、ついでにうちのシャーゼ見なかった?ここ二、三日家に帰って来ていないの」
「いや」
自分も割と不定期な仕事のせいか、女医は家族の不在を全く気にしていないようだ。
「まあ子供でもないし、政府館には欠勤の連絡入れているみたいだからいいんだけど」クスッ。「でもあの子って、悩み始めるとトコトン突き詰めるタイプだったのねー。まー家でもうわの空で、憎ったらしいぐらい青春真っ盛り」
「?そんな大きな悩みがあるのかあいつ。俺達と会う時は別に普通だが、なぁ?」
「うん。嫌味たっぷりでいつも通りだよ。流石に最近は兄様を嘘吐き呼ばわりしなくなったけどね」
ごめんなさいね弟が迷惑掛けて、そう言って頭を下げる。
「シャーゼももっと素直な言い方したらいいのにねー。延々聞かされる私を何だと思っているんだろう」
「あいつが俺達の話を?」
意外、と言うか奴も家では普通に雑談するのか。全然想像出来ないが。
すると彼女は手をパタパタと振り、まあ白鳩の話も偶にはするんだけどね、やんわり否定した。
「「偶??」」どう言う事だ?
「こっちの話。とにかくもし見かけたら私に連絡するよう言って頂戴。滅多な事は起こさないと思うけど、あの子根っから真面目だし危なっかしくて」
「あ、ああ。分かった」
滅多な事って、一体どんな悩み抱えてるんだあの給金泥棒?
「シャーゼは何てったってネタの宝庫―――あ、お母さん!駄目だって勝手に窓開けちゃ!?看護師さんに怒られるよ!」
精神病棟の二階から娘へ手を大きく振るシェニー・フィクスは、花見の時より理知的な表情をしていた。まぁやってる事は相変わらず子供みたいだが。
「もー、一昨日は待ち切れなくてここまで出て来ちゃったのよ」クスクス。「と言う訳でもう行かなきゃ。さようなら」
「さよなら。女医さんもあんまり遅くならないようにね」
二人で手を振り合った後、アムリは窓を閉め始めた母親へ大声を出す。
「お母さん!今行くから部屋で大人しく待ってて!」鞄を掲げ、「ちゃんと待ってないと、買って来たどら焼きあげないんだからね!!」
頷いたのを確認し、今し方俺達が来たばかりの玄関を潜って行った。
「元気一杯だね、あのオバサン。もう退院してもいいんじゃない?」
オリオールが呟くのも尤もだが、現実問題としてはまだ難しいだろう。病院と自宅では環境が違うし、家族の姉弟は仕事で長時間家を空けがちだ。まずは何度か一時帰宅して変化に慣れる必要があるだろう。
船着場への街路を歩きながら、俺は上空を眺めた。日はすっかり暮れ、無数の星が瞬いている。
(何処行っちまったんだ、三人は)
隣の小さな相棒に視線を向ける。最愛の兄の行方不明を知り、俺以上に落ち込んでいる様子だ。
「兄様、また悪い人に誘拐されちゃったのかな……?」
「まーくんには燐がついている。大丈夫、心配要らないさ」
「でもこの間は糸でぐるぐる巻きにされて、燐お兄さんでも手も足も出ない状態だったよ?」
「う……まあ、あいつだって同じ轍を踏みはしないさ」
言いつつ自信は全く無い。あくまで肉体の主人は非力な誠だ。―――それにあの妙な餓鬼が都合良く出て来るとも限らない。それ以前に奴、魔の目的も一切不明だ。当てに出来る訳が無かった。
船着場の改札口へ入り、定期船乗り場を横目に個人船用ドッグへ。先程乗った靭の船を見つつ、それより一回り大きい銀色の宇宙船、魔術機械科学者リュネの船を探して歩き出した時だった。
「ウィルネスト!!」
「メノウ!?」
通路の随分奥から白いドレス姿の赤髪の美女。ハイヒールを鳴らし真っ直ぐこちらへ駆けて来る。よく見るとアイシャドウが涙で滲んでいた。美に人の数倍気を遣う彼女にしては珍しい。どうやら相当重大な用件のようだ。
「来てくれてありがと。呼び付けて悪いんだが、生憎まーくんは今」「助けて、ウィルネスト!!」
抱き付かれた衝撃で勢い良く後方に倒れる。咄嗟に背筋で踏ん張り、後頭部を硬い石床で打つのは免れた。が、今は正直そんな事どうでもいい。
「お願い……私、もうどうしていいか……!」
「おい、こんな往来で人を押し倒すなよ!こら糞餓鬼!今のは不可抗力だぞ!目ん玉開いてたならそれぐらい分かるだろ!?」
ジト目で見下ろしてくるオリオールを牽制しつつ、覆い被さった女の肩を掴む。
「お前もだ。どんな緊急事態がありゃこんな事」
「まーくんが助けてって言って来たのよ!!!」
大音量に鼓膜が裂けかけた。尤も台詞の意味以上のダメージは無かったが。
「兄様が……!?」
「おいどう言う事だ!?何時、どうして」
母親は泣き腫れた目を押さえながら語り始める。
「あなたからの巫山戯た留守録を聞き終って、出掛ける準備を始めた時よ……電話のベルが鳴ったの。てっきりあなたがまだグダグダと続きを言いたいんだと思って出たら」
「まーくん、だったのか?」頷く。「何処から掛けて来た?」
「―――街外れの時計塔、あの子は確かそう言ったわ。時々音が遠くなったせいで、所々聞き取れなかったけれど……」
男の胸に顔を埋めた貴婦人は、嫌でも他人の好奇の目を誘う。このままだと職員が来そうなので、俺は彼女を立たせて近くのベンチに座らせた。
「王様。兄様、誰かと一緒だったの?」恐怖に耐えながら少年が尋ねる。「骨董屋の大きなお姉さんとか」
そこで停泊手続きを終えたリュネがこちらへ来た。船に乗降する大勢の六種への嫌悪も、自分達の大切な王族達が大変な今は鳴りを潜めている。
「どうも」会釈。
「こんばんはリュネ様。あ、靭のお兄さんの船、まだあっちにいるんじゃないかな?晩御飯食べてから帰るって言ってたよ」
「そう」
「リュネ。急に無理言って送らせて悪かったわ。帰りは定期船で戻るから、席を外して」
「坊ちゃまの一大事にですか王!?私も」
「いいから帰って!……これ以上取り乱した所を見られたくないのよ。同じ女なら分かるでしょう?」
技術者は言葉を紡ぎかけ、唇を噛んだ。
「はい。王の仰せのままに」
「ありがとう」
名残惜しい視線を寄越しながら遠ざかる配下の背中に、ごめんなさいね、と呟いた。
「本当に良かったのか?」
「昨日までの大手術であの子、自覚している以上に疲れているのよ。ほら、足取りも覚束無い……とても無茶はさせられないわ」
「へえ、優しいトコあるじゃないか」
「女の子ですもの。大事にするのは当然でしょう?」
指で前髪を整える。
「話の途中だったわね。そう、アイザさんと……ミキ、って言っていたかしら?三人で塔の中に閉じ込められた、二人は夢を晴らすため『あの人』を捜しに行った、そんな風な事を酷く切迫した様子で」
「『あの人』?それに夢だって?」
今日起こった全ての事情は現実の裏へ繋がっていたのか。ならばその中心は、
(シェリー、か?)
勿論まだ憶測でしかない。何故祈願人形風情が、誠達を現の夢に幽閉したのかも不明だ。
「メノウ、他には何か言っていたか?」
「……そう言えば、不思議な事を言っていたわ。痛いとか、暗いとか……だけど私が訊き返してもあの子、全然聞こえていないみたいだったわ。ひたすら」
再び大粒の涙を零し始めた彼女の頭を撫でて慰める。
「泣くな。泣くのはまーくんを保護してからだ。取り敢えず一刻も早くその塔を探すぞ」
「ええ……」
レースのハンカチで目尻を拭い、パンッ!両手で自らの頬を強く叩いた。
「みっともない所見せたわね。―――行きましょう、あの子が待ってるわ」
カンッ、カンッ。ヒールを鳴らしながら先陣を切る彼女に続く俺の頭は、たった一つの謎に支配されていた。
(痛みと暗さを感じる、だって……?それじゃまるで―――生きた人間、だ)




