10F列車 キハ53系
国鉄はそろそろ潮時の状態であった。国民の税金でももはやどうにもならないほどの赤字を抱えているのだ。そして、その本当の理由は私たち人間の身勝手にあった。作らせておきながら、車が進出してくるにつれて、全員楽な方へ、楽な方へと流れていく。そこまで楽が好きかとも私は思う。楽じゃなくても私はいいと思う。実際のところそういう場所があるのだ。
私が深川を訪れたのは昭和61年3月。まだまだ雪が残っている季節だ。と言っても結構薄い。函館本線の要所であるここには優等列車が停車する。今私の目に入ってきているのは窓周りが赤く、全体的にクリーム色をまとった特急列車だ。確か781系と言ったか・・・。同じようなもので485系というものがあるが、見てみると似ても似つかないということがわかる。485系と489系の関係とはいかないのが北海道と本州の掟である。
さて、私がここから乗る列車は函館本線のように華々しい路線ではない。深川から延びる深名線という路線だ。ちょうど窓周りが橙色で全体的にクリーム色に塗られた気動車1両がホームに止まっていた。ガラガラ声で止まっている彼が深名線の車両であるキハ53系・・・。どっかで見たことがある格好をしているというのはこれから言おう。まずは乗ることだ。
深名線のダイヤを言おう。深名線のダイヤは途中の朱鞠内というところで完全に分かれている。そのため、深川から終点名寄まで直通する列車は一本として設定されておらず、また朱鞠内での接続も悪いというのが現状だ。私が乗る深川からの話をすれば一日6本設定されている朱鞠内方面行きは朱鞠内行きと途中の幌加内行きが交互に設定されている(臨時運転を含めれば朱鞠内行きのほう2本が多い)。さっき朱鞠内での接続が悪いと言ったが、私が乗る10時45分発の列車は朱鞠内に12時47分に停車する。その先に行くためには16時21分まで待たなければならない。今日は土曜日でもないから15時50分に朱鞠内に着くことは不可能だ。
10時45分。キハ53系はゆっくりと深川のホームを離れた。そうそう。この車両がどこかで見たことある気がしたのはこれがもともとキハ56という形式であったことだった。なぜ形式が変わったのかというのは現代(2012年)インターネットを見てみれば、どこぞの人が言う魔改造をしたためだそうだ。魔改造と言えば、間違っていないということは私にも納得できた。
魔改造が絡むのは某動画サイト「迷列車で行こう」を参照していただきたい。キハ53系の登場経緯はその動画内でも語られているが、あえてここで言おう。キハ53系は性能の悪いキハ40系やキハ22系の援護のために作られた。もともとは急行列車に使用された車両。そのため、元から性能は良かった。それが余ったために改造をしたのだ。これがいきさつ。