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ワン吉断ち

 ワン吉の衝撃告白から一週間経った。

 私は、ワン吉を絶妙に避けて、何とかやり過ごしている。


「翠先生、最近調子悪いんですか?なんか、変ですよ?」

 病棟でカルテを見ていると舞ちゃんが話しかけてきた。

「あれだけ通い詰めてたNICUに行かなくなるし」

 さすが舞ちゃん、鋭いなぁ。

「人の話聞いてないし、同じこと何回も確認してくるし、物はよく落とすし、落としたことも忘れるし……」

 ……あれ?

「挙句の果てに、超猫なで声で赤ちゃんに話しかけたと思ったら、突然赤ちゃんの頭に聴診器あてたりとか、奇行が目立つので、他のナースたちもみんな心配してましたよ」


 もとい、ワン吉は避けたものの、何とかやり過ごせてはいない。


「さては、先生、失恋でしょう?」

 いや、むしろ失恋してるのはワン吉のほう……。

 まだ、振ってないから失恋にはならないか。

「こういう時は、新しい恋が大事なんですよ!」

 まずい、舞ちゃんのめんどくさいスイッチが入りそう!

「あ、私、そろそろ外来いかなきゃ!」

 私はそそくさと病棟を後にした。


 みんな心配してるみたいだから、ちゃんとしないと。


 気を引き締めて臨んだおかげか、外来の予約患者さんの診察を無事に終え、私は一つ伸びをした。

 どうやら、今日は予約外の患者さんが二人ほど来るみたいだ。

 どれどれ……。

 一人目の消化器内科から他科依頼された人は何だか名前に見覚えがあった。

 だが、どうみても、患者は今日初めてこの病院にかかったらしかった。

 ありがちな名前だし、気のせいかもしれない。

 そして、そのカルテの記載内容を見て絶句した。


 腹痛にて当院消化器内科受診。

 腹部の胎動様の動きと、エコー画像上に胎児が描出されたことから、妊娠だと思われます。

 貴科にて、ご高診願います。


 要するに、お腹が痛くてやってきて診て見たら、妊娠っぽいってこと?

 なぜ、最初に消化器内科に行っちゃったんだろう?

 それよりも、なぜ、妊娠に、気づかなかったのだろう?


 疑問だけ抱いていてもどうしようもない。

 私は患者を診察室に招き入れた。


「あのう、私、今、生理じゃないんで、生理痛じゃないと思うんですけど……」

 河合さんの診察室に入った第一声は、それだった。

 えっと、生理云々以前に生理来るわけないから!

 あなた、妊娠してるから!

 名前を見たときは、見たことある人かもなんて思ったけど、こんなド天然な人を忘れるはずがない。

 私は、ド天然な女性に手を尽くして説明し、本人と赤ちゃんの診察を行った。

 母親は天然だったけれど、体調はまずまず。

 赤ちゃんも、順調そう。

 ただ、産道が結構短くて、お腹の張りも強く、母親が天然すぎて不安なので、切迫早産管理入院してもらうことにした。


 あまりの強烈な出来事を、自分の頭の中で整理して、ふう、と一つため息をついた。

 次の患者さんは初診じゃないようだ。

 再診で私を希望するってことは、私が診たことがある人ってこと?

 と思って、名前を見た。

 穂積葵ほづみあおい……覚えがないなぁ。

 そう思いながら、私は患者のカルテを開こうとした。

「翠先生!久しぶり!」

 だが、呼び入れる前に入ってきた本人のおかげで、私は、カルテを見る前にそれが誰なのかわかってしまった。

「葵ちゃん!」


 苗字が違ったから、気付かなかった。

 葵ちゃんは、私がまだ後期研修をしていた時に、診察に来た患者さんだった。

 ベテランの先生じゃないと面倒が見きれないような難しい腫瘍だったのに、毎回先生と喧嘩しちゃうし、おうちがそこそこ名の知れた名家だったから、ベテランの先生以外に回すわけにもいかず、毎回私が間を取り持ちに行っていたっけ。


 腫瘍の再発だろうか?

 そして、苗字が変わっているのは結構複雑そうだったおうちの事情のせいだろうか?


「また、どこか調子悪いの?」

「先生、その前に、何で苗字が変わったか聞いてくれないの?」

 それ、聞いてもいいの?


 何て思っていた矢先に、葵ちゃんは、左手をおもむろに出した。

「じゃーん!!」

 その薬指に光る、可愛らしい指輪。

「私、結婚したんです!」

「ええーっ!!」

「ええーっ!!!」

 突然の声にびっくりして振り返ると、なぜか舞ちゃんが来ていた。

「ちょっと、翠先生、こんな小娘に負けてちゃダメじゃないですか!」

「舞ちゃん、小娘って何よ!」

 舞ちゃんも、葵ちゃんが入院していた時に、担当看護師をしていたから、気になってきちゃったんだろうな……。

「私、翠先生に用事があってきてるんだから、小娘の診察早く終わらせてくださいね!」

 って、私に用事があったんだ……。


 葵ちゃんは、今月の生理が来なかったからとやってきたけど、まだ、妊娠かどうかはわからず、腫瘍の既往があるので、念のため、腫瘍マーカーのスクリーニングと細胞診をとって、帰宅してもらった。


「ところで先生……」

 葵ちゃんの診察が終わるのを待ち構えていたかのように、舞ちゃんが診察室に入ってきた。

「超インテリ系イケメンが、先生を訪ねてきてるんですけど、新しいカレシですか?」

 ん?インテリ系イケメン?

 そんな知り合いいたかなぁ?


 舞ちゃんに連れられて、総合受付前の広場にやってきた私は、その姿を見て声をあげた。

「あ、水口先輩だ!」

 そういえば、またしてもお詫びが中途半端なまま終わってたんだった!

「え?彼氏じゃないんですか?」

「違うよ、高校時代の先輩!」

「高校時代の先輩後輩が、幾年月を経て、恋に落ちるって感じもいいですねぇ」

 舞ちゃんは、水口先輩と私を見て、うっとりしている。

「いや、そういうことはないから……」

「先生、そんなこと言ってちゃだめですよ!恋はいつどこで生まれるかわからないですよ!!」

 そう言うと、舞ちゃんは、私の背中を押して、去って行った。


「たまたま、近くを通りかかって、谷岡がここで働いてるって聞いたの思い出して来ちゃったんだ、迷惑だったかな?」

 私は首を横に振った。

 こっちからお詫びのお食事リベンジに誘うはずが、先を越されてしまって、何だか申し訳ない気持ちになった。

 水口先輩を見て、不意に頭の中で何かの記憶が呼び覚まされようとしていた。

 何だったけ?

 何か、大切なことだったような。

 水口先輩と食事に行ったときの出来事かな?

 私は前回の食事のときは、湯川さんが破水して呼び出されたなと思いだした。

 そして、湯川さんを思い起こすと同時に、息子の崇君が亡くなってしまったことも思い出した。

 そうだ、ワン吉、私に写真印刷しろとか言いながら、お母さんに写真がわたってなくて、退院の時超焦ったんだった!

 ワン吉め、あの写真どうしたんだ?

 聞きに行こうと思えば聞きに行ける距離にいるけれど、でも……。


「谷岡、ついたよ?」

 水口先輩に話しかけられて、私ははっと我に返った。

「何か、一人で考え込んでいたけど、悩みでもあるの?」

 水口先輩も男性だから、男心がわかるかもしれない。


「この前、NICUの看護師さんに告白されたの」

「え?女性に?」

「あ、男の子」

 そうか、一般的には、看護師って言ったら女の子だよね。


「それでね、私としては全く恋愛対象としてみてなかったから、困っちゃって、今、なるべく顔を合わせないようにしてるんだけど……」

「谷岡としてはないんなら、振ってあげたほうが親切なんじゃない?別に、その人と気まずくなっても直接かかわらない部署なら平気だろうし」

「でも……」

 私は言葉に詰まった。

 そう、恋愛対象でないなら、あなたと恋愛はできませんと、きっぱり振ってしまえばいい。

 今までの私ならそうだった。

 気まずくなっても仕方ない。

 今は、私が一方的に避けているだけだし、一週間顔を合わせないなんて、学会とかに行っちゃえばざらにあることだし、まだ、修復可能な状態だ。

 でも、本当に振ってしまったら、もう二度と、ワン吉に話しかけられないかもしれない。

 それで、一番困るのは『声』を聞けないことだ。

 でも、水口先輩に『声』の事をどう伝えたらいいんだろう?

 信じてもらえるのだろうか?


 その時初めて感じた。

『声』という存在を信じてもらうのは、実は大変なことなんじゃないかと。

 だから、ワン吉は敢えて『声』が聞こえることを隠していたんじゃないかと。

 そして、『声』を信じていた私がワン吉を避けている今、ワン吉に聞こえる『声』のことを、誰が聞いてくれるんだろうと。


「男の本音として、告白して、フラれた人と、お友達になりましょうってのはないな」

 水口先輩が言った、その言葉が、何だか心に突き刺さった。

 私は、どうしたらいいんだろう?

 このままでいてはいけないという想いもあったが、結局解決の糸口は見えないままだった。

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