揺らぐ想い
さてここで問題です。
私はなぜこの超真冬の日に春物のコートを着ているのでしょうか?
正解は、あれやこれやと服に悩んでいるうちに時間が無くなって慌てて手近なところにあるコートを掴んで飛び出したら春物だったからでした!
って、そんなこと考えてる場合じゃない!
寒い!
寒すぎる!
「その格好寒くないですか?」
「寒い!」
正面玄関を出るなり話しかけられ、振り返るとそこに、雅之君がいた。
「な、何かごめん」
私はこともあろうか、少し前に振った男とお洒落な喫茶店にいた。
待ち合わせにはまだだいぶあったし、温かいところに入りたかったし。
だが、唯一の誤算はテラス席しか空いていなかったこと。
そして、私はこともあろうか少し前に振った男のジャケットを上から羽織っていた。
「大丈夫ですよ、僕、若いから」
「そーですね」
この子、意外とこ憎たらしいこと言うのね。
「ところで先生、今日お店に水口様のご予約があったんですけど……」
そういえば、雅之君、あのお店でバイトしてたっけ。
「まさか、あんな男のプロポーズ、受けたりしないですよね」
そういえば、雅之君、水口先輩にあんまり嬉しくないようなこと言われてたような気がする。
それで、敵愾心燃やしてるのね。
やっぱり子供だなぁ。
「翠さん、教えてください」
「受ける……つもり」
私はポツリと答えた。
雅之君は、私の目を射抜くように鋭く見つめながら言った。
「翠さん、僕を振った時、好きなのは兄貴って言ってたじゃないですか?」
目をそらしたくなった。
でも、そらしてはならないと、何とかその瞳を見つめた。
「僕は、翠さんが好きなのが兄貴だったから、兄貴といるときの翠さんが、とても幸せそうだと思ったから、諦めたんですよ!」
雅之君、やっぱりブラコンだ。
「ねえ、教えてください」
雅之君はまだ私の瞳を見つめたままだった。
「何で、翠さんは、兄貴が好きなはずなのに、水口さんと結婚するんですか?」
「何でって……」
雅之君の瞳は私から逸れることがない。
話さなければ、このまま引き止められ続けてしまいそうだ。
「お母さんがね、もうすでに水口先輩と結婚するものだと思い込んでてね、がっかりさせたくないなって思って……大切なお母さんなんだ。お父さんが早くに亡くなってから女手一人で私を育ててくれたから。楽させてあげたいし、安心させてあげたい」
雅之君が、ティーカップを口に運んだ。
納得、してくれたのだろうか?
「僕、小さいころから、警察官になるのが夢だったんです」
ティーカップを置いた雅之君が話し始めた。
「でも、両親が、そんな危ない職業に就くのはやめてくれって、泣きつかれて、一度は諦めたんです。それで、普通に就活もして、内定ももらってました」
確か、ワン吉が一流企業の内定をもらってたって自慢してたなあ、弟の事なのに。
「でも、翠さんを助けた一件で、僕は、やっぱり夢を諦められないって思ったんです」
確か、ワン吉が一流企業の内定を蹴ったって嘆いてたなぁ、弟の事なのに。
「僕の就職内定をすごく喜んでいた両親は激怒して、勘当するとまで言われました」
それで、雅之君は、ワン吉の家に転がり込んでいたんだ。
「そうしたら今度は、両親を避けてたはずの兄貴が僕と両親の間を取り持ってくれて、それで、両親と初めてまともに話ができて、この前やっと和解したんです」
「そうか、よかったね」
ワン吉も、やるときはやるんじゃないか。
「僕は、翠さんがいたから、両親に逆らってでも警察官になろうと思った。だから、翠さんが、お母さんのためだけに水口さんの結婚を承諾するのは僕は許せません」
その言葉は心にぐさりと突き刺さった。
「両親と和解した僕だから、言います。まだ、傷が浅いうちのほうが修復しやすいです。それに、そんなに大事なお母さんなら、翠さんの気持ち、きっと、わかってくれると思いますよ」
雅之君は、優しく微笑んだ。
「最後に、一つだけ言わせてください。兄貴は、翠さんのこと、大好きです。翠さんが兄貴を選んだら、きっと、絶対、幸せになりますよ」
雅之君はそう言うと、立ち上がった。
「待って!」
私が声をあげると、雅之君は、驚いたように振り返った。
「ジャケット、忘れちゃだめだよ」
ジャケットを手渡した私に、冷たい風が吹き付けた。
雅之君の話で、ほんの少し心が揺らいだ私がいた。
冷静にならなければ。
冷静に……。