選択
一夜が明けて、朝になった。
腫瘍の担当は私ではないけれど、私は、葵ちゃんの病室を朝から尋ねた。
すでに旦那さんも来ていた。
「先生、入院してから今まで一度も来てくれないなんてひどいですよ」
泣きはらしたらしい葵ちゃんの目は腫れていたが、葵ちゃんはいつもの調子を取り戻していた。
いや、私、一度お部屋に入ってますけどね。
まあ、いいか。
「それで、葵、話って?」
どうやら、旦那さんは葵ちゃんに呼び出されたらしい。
「あのね、夢に元輝が出てきたの」
旦那さんは目をぱちくりさせていた。
「それでね、私に言ったんだ。『僕をヒーローにしてください』って」
旦那さんはまだ目をぱちくりさせていたが、私には、何となくわかるような気がした。
「『命を懸けてママを守るヒーローになりたいから、僕をお外に出してください』って」
あの時の、元輝君の『声』は、葵ちゃんに届いていたのだ。
「だから私、元輝をお外に出します。それで、わるーいわるーい腫瘍をコテンパンにやっつけてやるんだ!」
「元輝、お前、めちゃめちゃかっこいいな……」
葵ちゃんの言っていることを理解したらしい旦那さんが泣きながら葵ちゃんのお腹をさすった。
その日の午前のうちに、元輝君は葵ちゃんのお腹から出された。
彼は、ヒーローになったのだ。
お昼を食べに病棟から出ると、また、雅之君が来ていた。
「行こうか」
私は雅之君を連れて、中庭にやってきた。
「あの、翠さん……」
「ごめん!雅之君とはお付き合いできません!」
「そうですか」
「他に、好きな人がいるから」
「そうですか」
雅之君が立ち上がり、私は雅之君を見上げた。
やっぱりイケメンだ。
ちょっともったいないことをしたかもしれない。
その、整った顔が近づいてきて、私に囁くように言った。
「翠さんの好きな人って、兄貴?」
「え?なんでわかっ……?え?」
「ならいいです。じゃあ!」
そう言うと、雅之君は、私に手を振って去って行った。
ぼうっと座っていると、携帯が鳴った。
水口先輩からのメールだった。
「今夜、会えないかな?」
まあ、今日は特に予定はないからいいかと、軽い気持ちで返事を送った。
帰りにワン吉を見つけて少し話した。
ほんの少しだけワン吉が好きであることを匂わせて、どぎまぎしているワン吉に微笑みかけながら、何だか楽しい気持ちになりながら、私は水口先輩との待ち合わせの店に向かった。
水口先輩に報告しよう。
ワン吉からの告白を受けようと思うと。
今さらだし、言った本人は荘ちゃんのことで頭がいっぱいだけど、それでも、気持ちに気付いたからって。
いつもの高層ビルの最上階。
エレベーターを降りるとそこに、ウェイターの服装をした雅之君がいた。
そして、すでに、女の子たちがきゃっきゃと雅之君を取り囲んでいた。
さすが、イケメン君はモテるねぇ。
私に気付いて驚いた様子の雅之君の脇をすり抜けて、私は、店内を見渡した。
水口先輩は、いつものカウンターのところではなく、夜景の綺麗な窓際の席に腰かけていた。
「お待たせしました」
「いや、そんなに待ってないよ」
いつものように涼しい顔をして水口先輩は答えた。
でも、なぜかいつもより水口先輩の表情は硬かった。
「谷岡、この前、病院の近くで襲われただろう?」
飲み物が来て開口一番の水口先輩の発言に私はただ驚いて目を見開くことしかできなかった。
「僕、警察に知り合いがいるから」
いや、警察にも守秘義務ってやつがあるだろうよ。
どうやら仕事でかかわっていて、たまたま名前を見ただけらしかった。
「それでね、谷岡は、一人でほっといたらあまりに危なっかしいから、僕と結婚してはどうかと思うんだ」
……はい?
「忙しく仕事をしなくたって、僕が養ってあげるし、家事ができなければお手伝いさんを雇えばいい」
唐突な展開に目を白黒させながら、聞いていると、水口先輩は、さらに続けた。
「谷岡を助けてくれた青年では、あまりにも若すぎるし、経済力もないから、ここまではできないだろう?」
その青年、貴方の後ろで女の子にきゃっきゃいわれてますよ。
まあ、すでに振ったけど。
考えておいてくれるだけでいいと言われ、私たちは帰路についた。
考えるまでもなく、断るつもりだった返事は先延ばしにされたまま、帰宅して少しした頃、不意に電話が鳴った。
母親からだった。
「翠、おめでとう!」
「?何が?」
「何がって、またまたぁ、水口さんと結婚するんでしょう?水口さん、わざわざうちまで挨拶にいらっしゃったわよ!」
先輩、返事を聞く前に実家に挨拶しに行きよった!
すでに、返事は一つしかないと言わんばかりのその展開に、私はただうろたえることしかできなかった。