表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
21/27

ヒーロー

 私が襲われた事件から一週間経った。

「あ、翠先生……!」

 顔をあげると向こうのほうにワン吉がいた。

「翠さん!」

 そしてその向こうから、雅之君が走ってきた。

 あれからというもの、雅之君は毎日のように病院にやってきている。

 大学の単位はすでに卒業に必要な分取得しているから、今は暇なのだそうだ。

「雅之君、廊下は走らないの!」

 雅之君を軽くたしなめたが、雅之君はキラキラとした笑顔を向けたままで言った。

「すみません、翠さんを見つけて嬉しくて」

 イケメンに好意を持たれて嬉しくないこともないけれども。

「翠さん、お昼ごはん一緒に食べましょう!」

「あ、う、うん」

 言われるままに私は雅之君と歩きだした。

 その時のワン吉の哀しいような呆然としたような顔が何故か頭から離れなかった。


 その日のお昼ごはんを二人で食べた後、私は、雅之君と中庭のベンチに腰かけた。

「笹岡君、食堂で見なかったね」

「あ、兄貴の事ですか?」

 雅之君に不思議そうに聞かれて、そういえば雅之君も苗字は笹岡なのだと思いだした。

「兄貴は毎日弁当持ってってますから、食堂では会わないかもしれないですね」

「え?ちょっと待って!」

「?」

「笹岡君って、一人暮らしだよね?」

「今は僕と二人暮らしですけど」

 ワン吉、毎日、自作弁当を持ってってたのか!

 今度見せてもらおう。


「あ、そろそろ休憩終わりだ!」

 私が立ち上がると、雅之君が少し寂しそうな顔をした。

 そして少し、真剣な顔になった。

「翠さん、あの、僕、翠さんのことが好きです!」

「え?」

「僕、ずっと、翠さんのことを大切にします。翠さんのこと、守ります。だから、僕と、お付き合いしてください」

 あの時助けてくれたヒーローらしい告白だった。

 雅之君は、いい子だ。

 イケメンなだけじゃない。

 背も高くて強くてたくましくて、それでいて優しい。

 毎日のように会っていたからわかる。

 それでも、お昼前に見たワン吉の寂しそうな顔が頭の中を離れなかった。

「少し、考えさせて」

 それが、その時の私の精一杯のの答えだった。


 午後の仕事を終えて、私は病棟のナースステーションにいた。

「先生」

 声をかけられて顔をあげるとワン吉がいた。

 何だか、思いつめたような顔をしている。

「笹岡君、どうしたの?」

「あの、俺……」

「何でそういうこと言うの?」

 ワン吉のの言葉は遮られた。

 あの声は……葵ちゃん?

 その時、私は初めて、今日葵ちゃんが中谷先生の診察日だったことを思い出した。

 緊急入院になったのね。

「ねえ、大ちゃん、何でそういうこと言うの?大ちゃんは、元輝のこと、諦めるの?」

「なあ、葵、今だったら、葵も助かって子宮も温存できるらしいんだ!でも、元輝は諦めなきゃならないんだ!」

 ああ、そうか。

 私は、それを聞いて理解した。

 葵ちゃんの腫瘍のオペをするためには、元輝君は、諦めなければならないんだ。

「私は元輝を諦めたくない!だって、元輝は私を選んだんだよ!ここにいるんだよ!諦めたくないよ!」

 病室に看護師が集まってきた。

「俺だって、元輝を諦めたくない!」

「じゃあ、何で?」

「このままじゃ、二人ともダメになるんだ」

 いつも明るく振る舞っていたあの旦那さんの声が涙まじりに聞こえた。

「私は命を懸けてでも産むの!そう決めたの!もう、いい!大ちゃんなんか、知らない!帰って!……帰って!」

 ドアが開き、出てきた旦那さんは、部屋の中を振り返った。

「葵、俺は、二人ともを失いたくない。それだけは、わかってくれ」

 そして、葵ちゃんの旦那さんはしばらく哀しげな瞳のまま部屋の中を見つめた後、帰って行った。

 部屋の中からは葵ちゃんの泣いている声が聞こえていた。

 そして、しばらくすると、泣き声すら、聞こえなくなった。


 私は、葵ちゃんの部屋に入って行った。

 泣き疲れたらしい葵ちゃんは眠っていた。

 私は葵ちゃんのお腹に手を当てた。


 本能の赴くままに、私は、葵ちゃんではなく、葵ちゃんのお腹の中の子に話しかけた。

「ねえ、元輝君、元輝君のママのお腹の中には、悪いやつがいるんだ」

 伝えなければならない、と思った。

「この病院には、ママのお腹の中の悪いやつをやっつける、秘密兵器があるんだ」

 それが正しいかどうかは、わからない。

「でも、秘密兵器は強すぎて、元輝君のことも、やっつけてしまうかもしれないの」

 それでも、伝えなければならないと感じた。

「だから、元輝君に、お外に出てもらわなきゃいけないかもしれないんだ」

 元輝君の今の週数で、外に出たら、到底生きられるはずがない。

 私はそれをわかって伝えたのだ。


 何となくもやもやした気持ちを抱えながら部屋から出ると、ナースステーションのところでワン吉が棒立ちしていた。

「あの、先生」

 そういえば、ワン吉、来てたっけ?

「どうしたの?」

「いや、あの、先生って、前に俺が……」

 急にワン吉が黙り込んだ。

「笹岡君、どうしたの?」

「あの部屋から、『声』が聞こえるんです」

 ワン吉は、聞こえてきた『声』を教えてくれた。


『ママ、僕の『声』、聞こえてるかな?

僕の『想い』、届いてるかな?

聞こえていたら、嬉しいな。

届いていたら、嬉しいな。

ママに一つだけ、お願いがあります。

僕のお願い、聞いてください。

ママ、僕ね、気付いていたんだ。

ママの中で悪い奴らが増えてること。

僕ね、一生懸命戦ったんだ。

でもね、あいつらはずっと増え続けて、僕の力じゃ敵わなくて、すっごく、すっごく、悔しかったんだ』

 元輝君も、癌の存在に気付いていた。

 そして、葵ちゃんのために癌細胞と戦っていたのだ。


『ママ、ここには、あいつらをやっつける秘密兵器があるんだって、すごいよね!すごいよね!

でもね、ママ、

秘密兵器は強すぎて、僕もやっつけられちゃうみたいなんだ。

僕は、お外に出なきゃいけないけれど、

僕、まだ、お外に出る準備ができていないんだ』

 胸がずきりと痛んだ。

 それは私がさっき教えたことだった。


『ママ、僕の『声』、聞いてください。

僕の『想い』、聞いてください。

ママ、ありがとう。

僕に、命を授けてくれて、ありがとう。

僕を、宿してくれて、ありがとう。

僕に、素敵な名前を付けてくれて、ありがとう。

僕のために、泣いてくれて、ありがとう。

僕のために、命を懸けるって言ってくれて、ありがとう。

僕のことを、愛してくれて、ありがとう。

僕は、ママの子供で幸せです。

僕は、ママが、大好きです。

だから、僕は、決めたんだ。

僕は、ママに、お願いがあります』


 ナースがみんな出払っていて静かなナースステーションで、ワン吉が伝えてくれる『声』だけが聞こえていた。


『ママも僕のこと、大好きだったら、僕のお願い、聞いてください。

僕は、パパみたいなヒーローになりたいです。

だから、ママ、悲しまないで聞いてください。

僕は、パパみたいなヒーローになりたいです。

だから、ママ、僕をお外に出してください。

僕は、パパみたいなヒーローになりたいです。

だから、ママ、僕を、ヒーローにしてください。

パパみたいに皆を守れない代わりに、

僕は、ママを守るヒーローになりたいです。

パパみたいに悪い奴らと戦えなかったけど、

僕は、ママのために命を懸けるヒーローになりたいです。

ママに、この『声』が聞こえていたら、

ママに、この『想い』が届いていたら、

僕のお願い、聞いてください』


 そこには小さなヒーローがいた。

 自分の命と引き換えに、お母さんを守ろうとするヒーローがいた。


「笹岡君、教えてくれて、ありがとう」

 私はそう言うと、ナースステーションから出て行った。

 ワン吉が、私のことを信じて、『声』を教えてくれるから、私は元輝君の気持ちを知ることができた。

 いつだって私はその『声』に、赤ちゃんの純粋な『想い』に助けられた。

 私は、ワン吉が私にとってかけがえのない存在であることに気付いてしまった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ