地獄
俺は、生暖かい血液と薄れいく意識を感じながら、
本当に生きていたんだということを、はじめて実感していた。
哀しみとか怖さとかは、
不思議とわいてこなかった。
生をまっとうしたのだろうか。
それとも、
もう世界に飽きていたのだろうか。
そんな風にも少し思ったが、
それもどうでも良くなった。
走馬灯に、
見知らぬ女が見えた。
ただ無表情の女。
まったく知らないが、懐かしい感じがする。
俺はあの女が母親なのではと、少し思った。
学校に行っていないとはいえ、
子供が男と女の間にできることは知っていた。
ただ、俺に母親という存在がいるのか?
という疑問はあった。
突然、世界に出現した存在なのではないかと。
そういう妄想を持っていたのだ。
暗闇が辺りに広がる。
体の感覚は消え、目の前には、ぼんやりとした光が見えた。
「まぁ、しんどい人生だったろうね」
と声が聞こえた。
「誰かいるんか?」
と俺は尋ねた。
「あぁ、いるよ。この光だよ」
と光のほうから話し声が聞こえた。
「あんたは閻魔様かなんかなのか?」
と俺は尋ねた。
「いや……、どちらかというと、神様的なものだよ」
と光は言った。
「それは失礼しました。銀二と申します。スリをやってました」
と俺は挨拶をした。
「ちゃんと挨拶をするのか、君は偉いね」
と神様は言った。
「神様にお尋ねできる立場じゃねぇのは、重々承知しておりやすが、ここは地獄じゃないのですか」
と俺は尋ねた。
「いいよ。質問くらい。ここはね、地獄ではない。君は次は別の人生を送るんだ」
と神様は答えた。
「しかし、私みたいな悪党は、地獄行きだと聞きました。再起のチャンスをくれる。そんな所ですか」
と俺は尋ねた。
「まぁ、そんな所だね。なにか聞きたいことはあるかい?」
と神様は言った。
「あの先ほど走馬灯だと思うんですが、母親らしき女を見ました。
あれは私の母親なんですか」
と俺は尋ねた。
「あぁ、そうだよ」
と神様は言った。
「ずいぶん、無表情だったので、俺のことを恨んでねぇかと。
そいつが心配なんです」
と俺は尋ねた。
「君は母親に恨みはないのかい」
と神様は言った。
「昔は少し思いましたが、人生いろいろありますし、ただ罪悪感とかあったら、申し訳ねぇなと」
と俺は答えた。
「基本的にね。罪悪感が必ずあるものだと思うのは、常識人だけだよ。
まず、子供を捨てるのが悪いということを、理解できる人とそうでない人がいる。
例えば、昔は人減らしが普通だったよね。
そういう風潮の中では、罪悪感は希薄になる。
周りの環境が、そうであれば、罪悪感は希薄だし、
あと強いストレス下でも、罪悪感が希薄になるしね」
と神様は言った。
「それなら、安心しました。苦しめてない可能性があるなら、そう思います」
と俺は言った。
「じゃあ、まぁがんばってよ」
と神様は言った。
意識がまた薄れだした。
……
(げほげほげほ)
俺は激しい喉の不快感と共に目が覚めた。
路地裏か?
辺りを見渡す。
石造りの建物。土むき出しの道路。
体を確認する。
がりがりに痩せており、小汚い薄グレーの服を着ている。
靴も穴の開いたブカブカのものや。
視界が低い。
子供の身体なんか。
(ぐーっ)
腹が鳴る。
俺は……、
生まれたのではなく、誰か別の人の人生を生きるのか?
そう思った。
頭が割れそうに痛い。
誰かの記憶が頭に流れ込んでくる。
ティコ……、
誰の名前や。
この子の名前か。
孤児……、
両親が亡くなり、親戚に預けられ、追い出された。
そうか……、
また孤児なんか。
10歳……。
でも、この子に親がいたんや。
少なくとも、生まれた瞬間に捨てられたわけじゃないや。
愛されとったのか……、
そう思うと、
なんだか。
理由もなく、涙があふれてきた。
俺は育ての親の、
金蔵のことを思い出した。
金蔵は、俺を育ててくれた。
今思えば、精一杯の愛情を注いでくれてたんやと思う。
戸籍のない金蔵は、家を借りることも、家や土地を買うことも、働くこともできへん。
できるのは、非合法な仕事と、ホームレスだけやった。
戸籍のない者は、人も国も制度も基本的に信用してない。
人生のスタート地点で、社会から必要がないとされたようなものやから、
それは仕方がないやろ。
でも金蔵からしてみたら、目の前にいる赤ん坊が、自分が手助けせいへんかったら、死ぬんちゃうか。
そう思ったんやと思う。
今、俺はこのティコという子に対して、そう思っている。
ティコは自分やけど、身体はティコのものや。
なんかよくわからんけど、大事にしたりたい、そう思った。
(ぐーっ)
腹が鳴る。
とりあえず、この子に飯を食わしたらんと。
そう思った。
また再び頭が痛くなる。
この国には、孤児院がほとんどない。
孤児は物乞いか、盗みをして生きるしかない。
そして盗みをして捕まると、ボコボコに殴られる。
ただ、食料品店の端っこのほうに、残り物を安く売るコーナーが設けられている。
このコーナーのものを盗むことに関しては、店側も見て見ぬふりをする。
そうか……、
食料品店を回って、安く売るコーナーを探して、盗めばいいのか。
そう思った。
俺は街を散策しはじめた。
初めての街なのに、記憶がある。
ここは八百屋、ここはパン屋と頭の中に情報が流れ込んでくる。
俺は一軒一軒店を回る。
どこにも残っていない。
再び頭が痛くなる。
この残り物には、腐ったものとか、カビたもの、カチカチのパンなどしかないが、それでも競争が激しく、激戦だ。
そうか……、
だからティコは、腹をすかしているんか。
やはり物乞いしかないか。
俺は辺りを見渡す。
あちらこちらに物乞いの子供たちがいる。
粗末な木の器を持ち、
うつろな表情で空を仰ぎ見ている。
俺は、金蔵やホームレス達に育てられたことを懐かしく思った。
そして、なんて豊かな国に育ったのだろうと、感謝をした。
孤児が異常事態の国と孤児が日常の国、その格差は大きく感じた。




