第89話 薩摩の狂気と、海を越えるタロットの予兆
大和郷の南端、火の国・薩摩に腰を据え、数々の激戦をくぐり抜けてきたうちら。
あの耳鳴川で、大伴の五万の大軍を「お風呂の栓抜き理論」で綺麗さっぱり洗い流した大勝利から、あっという間に一年半が過ぎとった。
つい昨日のことのように思えるけど、季節はすっかり巡り、うちらの借りている空き家の縁側には、心地ええ初夏の風が吹き込んどる。
この一年半の平和な日々の間に、薩摩の人間関係も少しだけ変わった。
外城を治めていたあの「島津のおっちゃん」が、「わしはもう、ヒョウ柄の軍師殿のえげつない戦術にはついていけん。あとは若いもんに任せるわい」と言うて、あっさりと隠居してしもうたのや。
代わりに当主の座に就いたんは、一族の若武者、久義やった。
この男、一見すると涼しげな顔立ちの好青年なんやけど、中身は完全に「薩摩の狂気」を煮詰めたような奴やった。
縁側では、今日も穏やかな時間が流れとった。
「……よし、これで完璧やな」
うちは、西の大陸で留守番しとるルミナの家族たち(エルゼやカイルたち)へ向けた、二度目の仕送りの木箱に蓋をした。
「……おばちゃん、エルゼお姉ちゃんたち、大和郷のお茶、喜んでくれるかな?」
横で手伝ってくれているリリルが、大きな瞳を瞬かせて聞いてくる。
五歳だった彼女も、この一年半でずいぶんと背が伸びた。相変わらずおどおどしとるけど、うちのタロット教室の成果で、今や「生活感あふれるド正論」でカードを読み解く、立派な一番弟子に成長しとる。
「喜ぶに決まっとるわ。向こうは肉とパンばっかりで、胃が疲れとる頃やからな。……おっ、噂をすれば、腹ペコの修羅どもが帰ってきたで」
「ただいま戻りました、おばちゃん!」
広場の方から、泥と血にまみれた佐吉が帰ってきた。
その隣には、佐吉と同い年くらいの、島津一族の少年・義家が、折れた木刀を杖代わりにして並んで歩いとる。
「おい佐吉! 今日の立ち合いは俺の勝ちだな! お前の木刀、あと三寸で俺の頭蓋を割れたのに、踏み込みが甘かったぞ!」
「うるせえ義家! お前だって、肋骨の一本折られたくらいでニヤニヤ笑うな、気味が悪い!」
二人とも、普通なら泣き叫ぶほどの生傷を作っとるのに、まるで虫取りから帰ってきた小学生のように爽やかに笑い合っとる。
薩摩の武士は、地域の年齢集団で育つ。かつて孤独な修羅やった佐吉も、この義家という「狂気の親友」を得たことで、すっかり薩摩の空気に染まってしもうとった。
「あんたらなぁ……。またそんな狂った稽古してきたんか。ええかげんにしなはれ!」
うちは呆れながら、オレンジ味とレモン味の飴ちゃんを二人に投げ渡した。飴を舐めると、彼らの折れた骨と傷がメキメキと音を立てて治っていく。
「ありがとう、おばちゃん! ……でも、骨が折れる感触がないと、自分が生きてる実感が湧かなくてな!」
「せやせや! 命の削り合いこそ、武士の誉れじゃ!」
「……アホか。あんたら、ほんまにネジ飛んどるわ」
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日がすっかり落ち、薩摩の外城に静かな夜が訪れた頃。
うちらの借りている空き家の居間からは、たまらんほど香ばしい匂いが漂っとった。
「さぁ、ご飯できたで! 今日は大和郷の特産品、フルコースや!」
ふっくらと炊き上がったツヤツヤの白米。出汁の匂いが立ち上る豆腐とワカメの味噌汁。そして、七輪でこんがりと焼いた川魚の塩焼きや。
「わぁ……! お米だ! わたし、これすっごく好き!」
「俺もだ。こんな真っ白な飯、毎日食えるなんて思わなかったぞ」
リリルと佐吉、そして義家が、目を輝かせて箸を手にする。
うちは熱いお茶をすすりながら、三人が頬張る姿を満足げに眺めた。
そんな平和な夕餉の時間を切り裂くように、ドタドタと慌ただしい足音が広場から近づいてきた。
「静江殿ォ! おられるか!」
土煙を上げて駆け込んできたのは、若き当主の久義やった。
その顔は、焦燥感……ではなく、歓喜と興奮で異常なほど赤く染まっとる。
「なんや久義。せっかくの白米が冷めるやんか。泥靴のまま上がったらアカン言うてるやろ」
「白米も良いが、今日は極上の『血肉』の知らせを持ってきたのだ! 西の『肥前』を支配する暴君、龍王家が、ついに五万の大軍を率いて南下を始めた! 我らが同盟国・有馬家から、悲痛な援軍要請が届いたのだ!」
「五万……。またえらい数やな」
「そうだ! まともに平野でぶつかれば、我が軍に勝ち目はない。だが、有馬の城の手前には、底なしの湿地帯『泥田畷』がある! あえてあそこに敵の大軍を誘い込み、泥に足を取られた五万の首……我ら三千の兵で一つ残らず刈り取るのだ! 想像しただけで血が滾って笑いが止まらん!」
久義は目を血走らせながら、極めて理路整然と、狂気的な作戦を吐き出した。
「だが、罠に嵌めるための細かな算段が必要だ。隠居した父上も『気合だけで突っ込むな、ヒョウ柄の軍師殿のえげつない知恵を借りよ』と申しておった! さぁ、どうすれば一滴もこちらの血を流さず、五万の首を泥沼で綺麗に刈り取れるか、教えを乞いに来たのだ!」
「……」
うちは、こいつらの「正気と狂気が同居した思考回路」に、思わず溜息をついた。
五万の敵が来てるのに、恐怖よりも「どう効率よく殺すか」にウキウキしとる。
うちは話を聞きながら、無意識のうちにアイテムボックスからタロットカードを取り出し、手元でシャッフルし始めとった。
バシッ、バシッと、ちゃぶ台の上に三枚のカードを展開する。
出たのは、『カップの6』の正位置、『カップの3』の正位置、そして『節制』の正位置。
「……ん?」
うちは思わず眉をひそめた。
五万の敵が迫る血生臭い戦の占いにしては、あまりにも場違いなほど「優しくて温かい」カードの並びやったからや。
「『カップの6』は懐かしい者との再会。『カップの3』は仲間との祝杯。そして『節制』のカードは、遠く離れた水と水が混ざり合い、新しい循環を生み出す暗示。……海を越えた合流を意味しとるな」
うちはカードをしまい、開け放たれた縁側の向こう……西の夜空を見つめた。
「……なるほどな。これは、西の大陸からの風や。誰が来るか、だいたい予想ついたわ」
「西の大陸……? まさか、異国から五万を殺すための兵器が届くと言うのか!?」
久義が狂気を孕んだ目で身を乗り出す。
うちはニカッと笑い、冷めかけた白米を一口頬張った。
「せやな……。とびきり義理堅くて、ちょっと不器用な、最高の『家族』が波に乗って向かってきとるみたいやわ。……でも、到着をのんびり待ってる暇はあらへんな。久義、まずはうちらで出陣や! 五万の敵を泥田畷に引きずり込んで、あの子が迷わず暴れられるための『最高の舞台』、作っといたるで!」
一年半の平和な月日を経て、西と東の運命が再び交差しようとしとった。
大和郷の泥沼を舞台にした最大の激戦(沖田畷の戦い)に向けて、おばちゃんの胸の奥で、かつてないほどの高揚感が熱く燃え上がり始めていたんや。
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