第85話 日ノ向の内部崩壊と、オカン流・特売引き抜き術
木枯ヶ野の戦いで、薩摩のハッタリとお弁当空っぽ戦術に引っかかり、命からがら逃げ帰った日ノ向の三千の軍勢。
彼らを待ち受けていたのは、主君である伊東家の当主からの、冷酷なまでの叱責やった。
「なぜだ! なぜ我が日ノ向が誇る三千の精鋭が、たかだか三百の薩摩の野蛮人どもに後れを取るのだ! 貴様らの怠慢以外の何物でもない!」
豪奢な大広間で、当主は怒りで顔を真っ赤にして怒鳴り散らしていた。
彼は決して「ただの無能」ではない。代々続く豊かな日ノ向の国を守り抜いてきた自負があり、自尊心が異常なほどに高かった。それゆえに、薩摩の泥臭い「新しい戦術」や「合理性」を理解できず、旧態依然とした誇りにすがりついていたんや。
「言い訳は聞かん! 敗戦の責を取り、出陣した将の知行は半減とする! 下がれ!」
泥水をすすり、死に物狂いで帰ってきた家臣たちに、ねぎらいの言葉一つあらへん。
理解されない苦労。そして、理不尽な減給。
日ノ向の国中には今、かつてないほどの「不満のガス」が充満しとった。
「……おばちゃん、あそこのお城から、すっごく黒くてモヤモヤした煙が出てるよ。みんな、悲しくて、怒ってる……」
日ノ向の国境にある寂れた茶屋で、リリルが遠くに見える伊東家の本城を指差して呟く。
うちは熱いお茶をすすりながら、静かに頷いた。
「せやな。上に立つもんが部下の苦労を理解せんかったら、組織なんてあっという間に腐るんや。……島津のおっちゃん。そろそろ、うちが撒いた『特売チラシ』の効果が出る頃やで」
向かいの席で腕を組んでいた島津の武将が、鷹のような鋭い目でうちを見た。
「静江殿。いくら伊東の家臣たちが不満を抱えているとはいえ、何代も仕えた主君をそう易々と裏切るだろうか? 我ら薩摩の武士には、にわかに信じられんが……」
「アホか、武士の誇りで飯が食えるんか。……おっ、噂をすれば、最初のお客さんが来たみたいやで」
茶屋の裏口から、編み笠で顔を隠した数人の武士が、周囲を警戒しながらコソコソと入ってきた。
伊東家の重臣たちや。
彼らは島津のおっちゃんの姿を見てビクッとしたが、うちが手招きすると、重い足取りで席についた。
===========
「……薩摩の武将殿、それに、噂の『ヒョウ柄の軍師』殿。……我らをこんな場末の茶屋に呼び出して、一体何の用だ。……我らとて、伊東家をそう易々と見限るつもりはないぞ」
重臣の筆頭格が、強がって声を張る。
だが、その声は微かに震え、目は完全に泳いどった。
「まぁまぁ、堅いこと言いなはんな。これ舐めて、ちょっと肩の力抜きや」
うちはアイテムボックスから「オレンジ味」の飴ちゃんを取り出し、彼らの前に転がした。
重臣たちは毒を警戒したものの、疲労とストレスが限界に達していたのか、誘惑に負けて飴を口に含んだ。
途端に、彼らの顔から険しい疲労の色がスゥッと消えていく。
「……な、なんだこの甘露は……。殿の理不尽な叱責で痛んでいた胃の腑が、嘘のように安らいでいく……」
「せやろ? おばちゃんの特製や。……で、本題やけどな」
うちは懐から、和紙にデカデカと太筆で書き殴った『特売チラシ』を取り出し、彼らの前にバシッと広げた。
『今なら寝返りボーナス支給! 領地の安堵はもちろん、年貢の優遇あり! アットホームな郷中教育で、お子様の武術指導もバッチリ!』
「あんたら、いつまであんな殿様のところで働いとるんや? 今、薩摩の『島津社長』のところに乗り換えれば、こーんなに待遇がええんやで!」
うちのあっけらかんとした提案に、重臣たちは顔を見合わせた。
そして、筆頭格の男が、苦渋に満ちた顔で唇を噛み締めた。
「……我らは、三代にわたり伊東家に仕えてきた身だ。殿から受けた恩もある。武士として、忠義を捨てることは……」
「忠義、な。……でもあんた、さっきからずっと、懐に入れた『家族からの手紙』を握りしめとるやないか」
うちの言葉に、男がハッとして手を止めた。
「殿様への忠義と、自分の家族の未来。……減給されて、領地の農民たちも飢えとる。あんたの息子さん、このままやと武士としての誇りどころか、明日の飯にも困るようになるで。……殿様がそれに気付いてくれるならええけど、あの人は自分の『誇り』しか見てへんやろ?」
男の目から、ポロリと涙がこぼれ落ちた。
「……そうだ。……殿は、変わってしまわれた。いや、時代が変わったのに、殿だけが過去の栄光に取り残されているのだ。……これ以上従えば、一族郎党、そして領民までもが道連れになる……!」
うちはタロットカードを一枚、彼らの前に滑らせた。
『塔』の正位置。伊東家の完全なる崩壊の暗示や。
「泥船と一緒に沈むか、それとも豪華客船(薩摩)に乗り換えて、家族に美味しいご飯を食べさせるか。……選ぶのはあんたら自身やで」
忠義と生活の狭間で揺れていた彼らの心は、飴の甘さと、突きつけられた冷酷な現実の前に、ついに決壊した。
「……分かった。……我ら一族郎党、薩摩様にお味方いたす。すべては、次代の者たちのために……!」
「商談成立や! ほな、他の同僚たちにもこの『お得な情報』、しっかり口コミで広めときや!」
===========
それから数日の間に、伊東家の内部はオカン流の「特売引き抜き術」によって、見事なまでにボロボロに崩れ去っていった。
城を守るべき有力な武将たちが、家族の未来を守るために次々と薩摩への寝返りを約束し、城を空にしていく。
そして、その決定打となったのは、国境付近での「佐吉の陽動」やった。
「……おばちゃん! 島津のおっちゃん! 敵の正規軍、全部俺が引きつけといたぜ!」
茶屋に駆け込んできた佐吉が、泥だらけの顔でニカッと笑う。
彼はあの『背水の修羅』の力を使い、たった一人で国境の砦を派手に襲撃し、伊東家に残っていたわずかな忠臣たちの目を、完全に外へと向けさせとったんや。
「ようやった、佐吉! メロン飴、追加で三つあげよ!」
「見事な囮であった。これで伊東の城は、もはやスッカスカの空き箱だ」
島津のおっちゃんが満足げに頷く横で、佐吉は飴を受け取りながら、ふうっと大きく息を吐き出した。
そして、うちの顔を見て、少しだけバツが悪そうにポツリとこぼした。
「……でもさ、おばちゃん。……たった一人で敵陣に突っ込むの、正直……すっげえ怖かったよ。足、ずっと震えてたし」
修羅の力に呑まれていた頃の彼なら、絶対に言わなかったであろう言葉。
それは、彼がただの「戦闘マシーン」ではなく、一人の人間として、そして武士として成長している証やった。
「当たり前や。怖がれる奴が、一番強いんやで。……あんたのその震えが、この作戦を成功させたんや。よう頑張ったな、佐吉」
うちは彼の頭を、優しく撫でてやった。
その日の夜。
伊東家の当主は、薩摩が本格的に攻めてくると聞いて、大広間で出陣の号令をかけた。
「皆の者、出陣じゃ! 薩摩の野蛮人どもを、我が日ノ向の誇りにかけて討ち果たせ!」
……だが。
広間には、誰一人として武将の姿はなかった。
お付きの小姓が、青ざめた顔で震えながら報告する。
「と、殿……! 皆様、すでに薩摩へ寝返るか、城を捨てて逃げ出しております! この城には、もう我らしか残っておりませぬ!」
「な、なんじゃと……!?」
誰もいない広間に、当主の呆然とした声が響く。
彼は床にへたり込み、誰もいなくなった玉座を見つめた。
「なぜだ……。私はただ、この日ノ向の誇りを、伝統を守ろうとしただけなのに……。なぜ、誰も私を理解してくれないのだ……!」
自尊心が高すぎたがゆえに、家臣たちの苦しみを見落とした男の悲哀。
すべてが手遅れだと悟った彼は、戦うことすら諦め、北の巨大勢力である『大伴家』を頼って、夜逃げ同然で日ノ向の国を捨てて逃亡したんや。
===========
翌朝。
うちらは、一滴の血も流さずに、城門がポッカリと開け放たれた伊東家の本城へと、悠々と足を踏み入れた。
「……信じられん。三千の大軍を擁していた日ノ向の国が、たった数枚の紙切れと飴玉で、我ら薩摩のものになるとは……」
島津のおっちゃんが、主を失った立派な城を見上げながら、呆然と呟く。
「軍略なんて大層なもんやない。特売日の主婦のネットワーク(口コミ)と、人の『生活への不安』を突いただけやわ。……これで薩摩は、東の豊かな国を無傷で手に入れたっちゅうわけやな」
うちはポンチョの埃を払い、ガハハと笑った。
リリルも「お城、すっごく大きいね!」と、空っぽの城内を走り回って喜んどる。
そして佐吉は、誰もいなくなった玉座を見つめ、静かに拳を握りしめとった。
「……一番上まで登る。おばちゃん、俺もいつか、あんな風に一人ぼっちにならない、本物の城の主になってみせるよ」
「その意気や、佐吉! まだまだ先は長いけどな!」
気合と根性の薩摩に、おばちゃんの「超合理主義」が組み合わさった結果、天下統一への巨大な土台となる『三州統一』が、ここに成し遂げられた。
だが、日ノ向の当主が逃げ込んだ北の『大伴家』が、この事態を黙って見過ごすはずがあらへん。
大和郷を揺るがす最大の激突は、もうすぐそこまで迫っとったんや。
読んでくれてありがとうございます!
「面白い!」「続きが気になる!」「応援したい!」と思っていただけたら、
作品ページ上部の【☆評価】【ブックマーク】、そして【リアクション】ボタンをポチッと押していただけるととても励みになります!
みなさんの応援が、次回更新の原動力になります。
引き続きよろしくお願いします!




