第8話 ルミナの宝石と、路地裏の盟友
深夜。酒場『黄金の樽亭』の喧騒が引き、酔客たちがまばらになった頃。
店の片隅、紫色の暖簾が揺れる「占いの館・静」のブースで、うちは冷めたエールをすすりながら、手元のタロットを無造作に繰っていた。
「……静江さん、そろそろ店を閉めますか? 明日は朝からギルドの依頼で外回りですし」
入り口のカウンターを拭きながら、アレンが声をかけてくる。一ヶ月前は今にも折れそうやった背中が、今やうちを守る用心棒として頼もしく見える。
「せやな。……けどなアレン、あともう一人だけ、大切なお客さんが来るはずやわ」
「え? 予約なんて入ってませんでしたけど」
「占いに予約もクソもあるかいな。……風がな、ざわついてんねん。それも、えらい『強気な風』やで」
うちはふっと笑い、入り口の扉に目を向けた。
数分後、重い木の扉が音もなく開き、冷たい夜風と共に二人の影が滑り込んできた。一人は先日来たメイドのリタ。そしてもう一人は、深いフードで顔を隠しているが、その立ち姿だけで周囲の空気をピンと張り詰めさせるような、不思議な威厳を纏った少女。
「……静江様。夜分に失礼いたします」
リタが緊張した面持ちで一礼し、隣の少女を促す。
少女は迷いのない足取りでうちの正面に座ると、ゆっくりとフードを外した。
現れたのは、陶器のように白い肌と、燃えるような知性を宿した瞳。
伯爵令嬢、エルゼ・ルミナ。
衰弱していると聞いていたが、目の前の彼女は、死を待つ病人などでは到底なかった。
「……あなたが。リタに、あの飴を授けてくださった方ね」
「飴ちゃんや。……ええ顔になったやんか。お嬢さん」
うちはジョッキを置き、改めて彼女を観察した。
若さゆえの脆さはある。けれど、その瞳の奥には、裏切りという泥水を飲み干して、なお「自分の領地」を離すまいとする強欲なまでの意志が宿っとる。
「静江様。まずは、お礼を。あのリンゴの飴……そしてあなたの言葉のおかげで、私は思考の檻を抜け出すことができました。……今の私は、自分が誰を切り捨て、誰を従えるべきか、その道筋が見えています」
「へぇ、言うてくれるやん。……で? 覚醒したての令嬢さんが、わざわざこんな泥臭い酒場まで何の用や。お礼の銀貨でも持ってきたんか?」
うちはわざと意地悪く口角を上げた。
普通の貴族なら、ここで気圧されるか憤慨する。けれど、エルゼはふっと、悪戯が見つかった子供のように、美しく、そして少しだけ危うい微笑を浮かべた。
「いいえ。お礼の銀貨なら、私がこの街を本当の意味で手中に収めた時に、望むだけ差し上げましょう。……今夜私が来たのは、商談のためです」
「商談、なぁ」
「ええ。私には、あなたの『眼』が必要です。……これから私が進む道は、父を欺き、執政官を葬り、そして侯爵家という大蛇を逆に呑み込む道。……その先にある勝利を、私はあなたに問い続けたい」
エルゼは身を乗り出し、うちの目を見据えた。
その言葉には、清廉な令嬢の正義感など一欠片もない。あるのは、自分を裏切った世界を、逆に自分の支配下に置こうとする、底知れぬ野心。
「……静江。私に、力を貸して。これは依頼ではないわ。……対等の、盟友としての提案よ」
「盟友、か。……大きく出たな、お嬢さん」
うちは思わず吹き出した。
アレンが「静江さん、相手は伯爵家ですよ……!」と背後で青ざめてるけど、うちはそんなことお構いなしや。
「ええよ。あんた、面白いわ。ただの『悲劇のヒロイン』やったら、飴一粒で終わりにするつもりやったけど……あんたのその、えげつないまでの欲。嫌いじゃないで」
うちは宙にカードを躍らせた。
三枚、机に叩きつけるように展開する。
「『力』の正位置。……あんた自身、もう猛獣を飼い慣らす術を知っとる。……『隠者』の逆位置。……秘密の暴露。明日、あんたが仕掛ける『一手』は、成功するわ。ただし、情を捨てることが条件や」
エルゼはカードを見つめ、静かに頷いた。
「情など、あの部屋に置いてきましたわ。……明日、私は父と対峙し、侯爵家への出立を逆利用します。……そのために、静江。もう一粒、私にこれを」
エルゼは、リタが持っていた「リンゴ味」の飴を指差した。
「これを舐めていると、不思議と自分の内側から、冷たい炎が燃え上がるような感覚がするの。……決断を鈍らせないための、私の『お守り』にしておきたいわ」
うちは黙って、アイテムボックスから真っ赤なリンゴ味の飴を一粒、机の上に置いた。
エルゼはそれを宝物のように受け取ると、その場で口に含んだ。
途端に、彼女の背筋がさらにピンと伸び、その瞳に宿る光が一段と強さを増すのをうちは見た。
先ほどまで微かに残っていた「迷い」の残滓が、リンゴの甘酸っぱさと共に消え去り、代わりに透き通るような冷徹さが彼女を包み込む。
「……ええ。……これがあれば、もう迷わない。静江、あなたに出会えて、本当に良かった」
彼女は立ち上がった。
その瞬間、彼女から放たれる気配が、一気に重厚さを増した。先ほどまでの「可憐な令嬢」の仮面は完全に剥がれ落ち、そこには若き統治者の覇気が宿っていた。
「リタ、行きましょう。明日の朝、ハンスに最高の絶望をプレゼントしてあげなくては」
「……御意、エルゼ様」
二人が店を出る間際、エルゼは振り返り、うちに向かって片目を瞑ってみせた。
「また来るわ。……次の相談は、侯爵家をどう解体するか、ね。盟友殿」
嵐のような令嬢が去った後、酒場には再び静寂が戻った。
アレンが呆然と立ち尽くしている。
「……静江さん。あの方、本当に行っちゃいましたよ。……あんな令嬢、見たことありません」
「せやな。……あの子、将来は女公爵……いや、もっと上まで行くんちゃうか。……えらいのと友達になってもうたわ」
うちは残りのエールを飲み干し、紫色の暖簾をそっと撫でた。
おばちゃんの異世界生活。
ただの占い師で終わるつもりやったけど、どうやら運命の神様は、うちに「最強の女支配者」の育成係まで押し付けてきたらしい。
「……さて。明日はうちも忙しくなりそうや。アレン、さっさと寝るで!」
ルミナの夜は更けていく。
けれど、静江の胸の奥にある高揚感は、夜明けよりもずっと明るく、これからの波乱に満ちた日々を照らし出していた。
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