第75話 漂流オカンと、水晶玉の物理スマッシュ
ザッバーーーンッ!
という派手な水飛沫とともに海に落ちたうちは、しばらく塩水の冷たさに揉まれながら海の底へと沈んでいった。
「……ブクブクブクッ!(あーあ、せっかく綺麗に巻いたポニーテールが台無しや! メイクも落ちてまうわ!)」
心の中で愚痴りながら、うちはジタバタと手足を動かして海面を目指した。
この不老不死の身体は、病気にもならんし怪我もせえへん。もちろん、息が詰まって死ぬこともないんやけど、息苦しい「感覚」だけはしっかりあるからタチが悪いんや。
やがて「プハァッ!」と海面に顔を出し、大きく新鮮な空気を吸い込んだ。
「……あー、しょっぱ! 鼻に水入ってツーンってするわぁ」
うちは顔をしかめながら、海に浮かんだまま周囲を見渡した。
うちらが乗っていた帆船も、襲ってきた海賊船も、すでに潮の流れに乗って遠く離れてしもうとる。
そしてうちのすぐ横には、うちのスカジャンの裾をギュッと握りしめたまま、白目を剥いてプカプカと浮いている海賊のボスの姿があった。
「ちょっと! いつまで人の服掴んどんねん! 離しなはれ!」
うちが海賊のボスの顔をペシペシと叩くと、むさいおっさんは「ゲホッ、ゴホッ!」と大量の海水を吐き出しながら目を覚ました。
「お、俺は……ここは……死後の世界か……?」
「アホ。こんなしょっぱい死後の世界があるかいな。あんたが変なところで踏ん張るから、一緒に落ちてしもうたんやないの! どないしてくれんねん!」
「ひぃっ!? ひ、姫様!? なんでこんな大海原のど真ん中で、そんなにピンピンしてるんだ!?」
ボスは、ずぶ濡れになりながらも全く衰弱していない(というか、塩水に文句を言っている)うちの姿を見て、震え上がった。
その時やった。
うちらの周囲の海面が、不気味にモヤァ……と黒く淀み始めた。
波間から、巨大なノコギリのような背びれが三つ、四つと姿を現し、うちらの周りをぐるぐると円を描くように回り始めたんや。
「ヒィィィィッ!? ま、魔物だぁぁッ! 『暴食鮫』の群れだ! 血の匂いを嗅ぎつけてきやがったんだ!」
ボスが絶叫し、うちのスカジャンに必死にしがみついてくる。
暴食鮫。鉄の船底すら食い破るという、この海域で最も恐れられている獰猛な魔物らしい。
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「うるさいなぁ、男のくせにギャーギャー喚きなはんな! ……って、うわっ!」
ドバァァァンッ!
海面が爆発し、巨大なサメの魔物が大きな口をガバーッと開けて、うちの右腕めがけて飛びかかってきた。
鋭い何百本もの牙が、うちの細い腕にガブッと食らいつく!
「ああっ! 姫様ぁぁぁっ!!」
海賊のボスが、凄惨な光景に顔を覆って悲鳴を上げた。
……が。
「……痛っ……ないわ。ちょっとあんた、何してくれてんの」
「……え?」
ボスが恐る恐る指の隙間から覗き見ると、そこには、巨大なサメに腕を噛まれながらも、平然とした顔で宙ぶらりんになっているうちの姿があった。
無敵の不老不死ボディ。
サメの牙は、うちの瑞々しい肌を貫通するどころか、分厚いゴムタイヤを噛んだように「グニッ」と弾き返されとるんや。
「あんた、えらい顎の力やけど、うちの肌には傷一つ付けられへんで。……それより、あんた! 歯並びガタガタやし、口臭いわ! 魚の腐った匂いするで! ちゃんと食後に歯磨きしてるんか!」
うちは噛み付いているサメの鼻面を、空いている左手でペシペシと叩きながら説教した。
サメの魔物は、「あれ? おかしいな? なんで噛み切れないんだ?」というように、困惑した目でギョロリとうちを見つめ返しとる。
「ヒィィ……化け物……サメより、この女の方が化け物だ……!」
「誰が化け物や! ……あんた、くすぐったいからもう離しなはれ! このスカジャン、よだれでベトベトになるやんか!」
サメは意地になったのか、さらに強く顎に力を込めて首を振ろうとする。
他のサメたちも、うちやボスを狙って海面下でうごめき始めとる。
「……しゃあないな。商売道具、こんな荒っぽいことに使いたないんやけど……」
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うちは、左手でポッケを意識し、アイテムボックスから「特大の水晶玉」をスッと取り出した。
そして、空を見上げて念じる。
(浮け!)
シュンッ!
うちの念動力に応え、ボーリングの球ほどもあるずっしりと重い水晶玉が、海面から数メートルの高さまでフワリと浮き上がった。
そして、そのままうちの腕に噛み付いているサメの脳天の、さらに少し上の位置でピタリと静止する。
「ええか、兄ちゃんら。海のルールは弱肉強食かもしれんけどな……。大阪のおばちゃんを怒らせたら、物理法則で殴られるっちゅうことを覚えときや!」
うちは、空中の水晶玉の固定を、一気に解除した。
(落ちろ!)
ヒュンッ!
ゴォォォォォンッ!!!
自由落下の大質量。重たい水晶玉が、重力に従って見事にサメの脳天に直撃した。
「ギュルルルルッ!?」という情けない悲鳴を上げ、サメは一瞬で白目を剥き、顎の力を抜いて海の底へと沈んでいった。
「……ど、どうだ! おばちゃんの『物理・天罰スマッシュ』の威力は!」
うちは海に落ちた水晶玉を再び念動力で手元に引き寄せながら、ドヤ顔で周囲のサメたちを睨みつけた。
仲間の無惨な姿と、空を飛び交う謎の重い玉(水晶)を見た残りのサメたちは、完全に戦意を喪失し、猛スピードで波の向こうへと逃げ去っていった。
「……た、助かった……。あんた、一体何者なんだ……」
海賊のボスは、完全に放心状態になって、浮き輪代わりにしていた木片にしがみついている。
「だから、ただの占い師やって言うてるやろ。……あーあ、せっかくの旅行が、初日からこんな塩水漬けになるなんて最悪やわ。おまけに、こんな海のど真ん中で、どうやって陸まで……ん?」
うちが文句を言いながら周囲を見渡した時やった。
急に海上に濃い霧が立ち込め、周囲の気温がスッと下がった。
そして、その白い霧の奥から、ギシ……ギシ……と、木がきしむような気味の悪い音を立てながら、一隻の「船」がゆっくりと近づいてくるのが見えたんや。
「おっ、お迎えのタクシーが来たみたいやな。……って、えらいボロボロの船やな。帆は破れてるし、甲板には誰も……いや、乗ってる連中、全員『透けて』へんか?」
霧の中から現れたのは、青白い燐光を放つ、過去の亡霊たちが乗る『幽霊船』やった。
「ヒ、ヒィィィィッ! 今度は幽霊船だぁぁッ! もう勘弁してくれぇぇッ!」
「やかましいわ! 乗せてくれるんなら、幽霊やろうがタクシーやろうが何でもええねん! ほら、ボサッとしてんと、あそこに登るで!」
うちは気絶寸前の海賊のボスの首根っこを掴み、不気味に近づいてくる幽霊船へと向かって、ザブザブと泳ぎ始めた。
漂流オカンと、霊界タクシー。
大和郷への道のりは、まだまだ波乱万丈になりそうやった。




