第62話 夜会の扇子と、暴かれた悪魔の囁き
王宮の大広間『太陽の広間』は、眩いばかりのシャンデリアの光と、むせ返るような香水の匂いに満ちていた。
王都の権力者たちが集う、華やかな夜会。
豪奢なドレスや宝石を身に纏った貴族たちが、グラスを片手に優雅な笑みを浮かべながら、その裏でドロドロの腹の探り合いを繰り広げている。
その喧騒の中心に、一人の若き女侯爵が足を踏み入れた。
エルゼ・ルミナ。
彼女が纏うのは、血のように深い真紅のドレス。首元には、ルミナの富の象徴である大粒のルビーが妖しく輝いている。かつて「病弱で引きこもりがちの伯爵令嬢」と蔑まれていた面影は、もはや微塵もない。
彼女が優雅な足取りで広間を進むと、周囲の貴族たちが潮が引くように道を空け、そしてヒソヒソと囁き交わした。
「……見ろ、あの成り上がりの小娘だ。ルミナの田舎侯爵が、いけしゃあしゃあと王都の夜会に顔を出すとはな」
「グレミオ公爵が失脚して空いた広大な領地を、あの小娘が狙っているという噂だ。身の程を知らぬにも程がある」
「魔族領の土に塗れたような薄汚い手で、我々と同じグラスを持つとは虫唾が走るわ」
四方八方から突き刺さる、悪意と嘲笑の視線。
だが、エルゼは漆黒の扇子で口元を隠し、ただ冷ややかに微笑んでいた。
彼女の視線の先、広間の隅の立食テーブルでは、ヒョウ柄のボレロを羽織った静江が、山盛りのローストビーフをこっそりアイテムボックスへ放り込んでいるのが見えた。
その場違いな、けれど圧倒的な安心感を放つ後ろ姿を見て、エルゼはふっと息を吐く。
(……ええ。存分に吠えるがいいわ、負け犬ども。あなたたちの持っている手札など、すでに静江のカードがすべて見透かしているのだから)
エルゼがグラスを手に取ろうとしたその時、三人の年配の貴族が進み出て、彼女の行く手を塞いだ。
先頭に立つのは、旧グレミオ公爵派の残党であり、王都の流通を牛耳るバルディア伯爵だった。たっぷりとした脂肪を揺らし、彼は極めて慇懃無礼な態度で頭を下げた。
「これはこれは、ルミナ侯爵閣下。魔族領の『大掃除』、さぞかし泥臭くてご苦労されたことでしょうな。我々のような王都の人間には、想像もつかないような野蛮な土地だと聞いておりますが」
「ええ、バルディア伯爵。とても有意義な経験でしたわ。泥を払えば、そこには王都の腐った空気よりずっと澄んだ風が吹いていましたから」
エルゼが扇子の奥で涼やかに返すと、バルディア伯爵はピクリと眉をひそめた。
「……口の減らぬお嬢さんだ。忠告しておきましょう。侯爵に昇叙されたからといって、調子に乗らぬことです。旧公爵領は、我々由緒ある貴族が管理してこそ国が潤う。田舎の小娘が手を出せば、火傷では済みませんぞ」
周囲の貴族たちが、バルディア伯爵の言葉に同調して下品な笑い声を上げる。
エルゼを孤立させ、精神的に屈服させて、旧公爵領の利権争いから自ら手を引かせようという浅ましい算段だ。
エルゼは、ゆっくりと扇子を閉じた。
そして、パチン、とその扇子の先で、バルディア伯爵の胸元を軽く叩いた。
「……火傷、ですか。それはご自分の心配をされた方がよろしいのではなくて? 伯爵」
「なに……?」
エルゼは一歩踏み込み、バルディア伯爵の耳元へと顔を寄せた。
周囲からは親しげに談笑しているようにしか見えない距離で、彼女は氷のように冷たい声で囁いた。
「……第七室の『悪魔』。……伯爵、あなた、表向きは王室の流通を担う忠臣を気取っていますが、その実、南方の関所で王室への納付金を横領し、私腹を肥やしていますね。それも、密輸業者と結託して法に触れる裏取引まで行っている」
バルディア伯爵の顔から、一瞬にして血の気が引いた。
脂ぎった額から、滝のような冷や汗が噴き出す。
「な、何を……! 根も葉もないでたらめを! 証拠があるのか!」
「証拠? ええ、もちろん。ルミナの商業ギルド長、バネッサが現在、あなたと密輸業者の間の『消えた金貨』の流れを正確に洗い出していますわ。……私の専属占い師が示した『星の導き』は、決して嘘を吐きません。……あなたがどの帳簿を改ざんし、誰に賄賂を渡したか。すべて、丸裸にして差し上げましょうか?」
エルゼの言葉は、鋭いナイフのようにバルディア伯爵の喉元に突きつけられた。
静江の『ホロスコープ・スプレッド』が暴き出した王都の暗部。その絶対的な真実を前に、伯爵の虚勢は音を立てて崩れ去った。
「……ひっ……」
「……この事実が国王陛下の耳に入れば、あなたは火傷どころか、一族もろとも断頭台の露と消えることになりますわね。……でも、安心なさい。私は無慈悲な人間ではありませんわ」
エルゼは再び扇子を開き、優雅に微笑んだ。
恐怖に震え上がるバルディア伯爵を見下ろしながら、彼女は甘く、そして決定的な宣告を下す。
「旧公爵領の統治権。……私が国王陛下にそれを打診した際、あなたは全力で私を『支持』しなさい。あなたの持つ派閥の票、すべてを私に捧げるのなら、その裏帳簿の存在は、私の胸の内にしまっておいてあげますわ」
「……っ……、わ、分かりました……。あなたに従います、ルミナ侯爵閣下……」
バルディア伯爵は、ガタガタと震えながら深く頭を下げた。
先ほどまでエルゼを嘲笑していた周囲の貴族たちは、王都の有力者である伯爵が、たった数分の立ち話で真っ青になって小娘に屈服した光景を見て、言葉を失っていた。
エルゼは、広間の中心で扇子を揺らし、獲物を物色するような鋭い視線を他の貴族たちへと向けた。
彼女の背後には、見えない巨大な権力の影が渦巻いている。
「……さぁて、次はどなたとお話をいたしましょうか? 私、王都の皆様の『隠し事』には、とても興味がありますのよ」
その気高く、そして恐ろしい微笑みを見た瞬間。
嘲笑していた貴族たちは、次々とエルゼの前に進み出て、媚びへつらうような笑みを浮かべながら頭を下げ始めた。
成り上がりの女侯爵が、王都の社交界を完全に制圧した瞬間だった。
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「……いやぁ、エルゼちゃん。見事な立ち回りやったな。あのおっさんら、完全に腰抜かしとったで」
夜会も終盤に差し掛かった頃。
バルコニーの影で、静江がこっそり持ち出した高級なマカロンをかじりながら、エルゼに声をかけた。
「すべてあなたのカードのおかげよ、静江。あいつらの弱みを握った時の、あの怯えた顔……。最高にいい気分だったわ」
エルゼが冷たい夜風に髪を揺らしながら、満足げに笑う。
静江はアイテムボックスから麦茶の入った水筒を取り出し、喉を潤した。
「アホか、カードはただの『見取り図』やって言うたやろ。それを実際の剣にして、あいつらの喉元に突きつけたんは、あんた自身の度胸と頭の回転の速さや。……あんた、立派な『女帝』になりつつあるで」
「女帝、ね。……悪くない響きだわ。これで旧公爵領の獲得に向けて、最大の障害は消えた。……あとは、一番大きな盤面を動かすだけよ」
エルゼの視線が、王宮のさらに奥、国王の執務室がある塔へと向けられる。
王都の闇を占いで暴き、圧倒的なカリスマで貴族たちを従えたエルゼ。
彼女の野望は、とどまることを知らない。
「その意気や。ほな、明日は国王様との最終面談といこか。おばちゃんも、とびきりのカードと飴ちゃん用意しとくからな!」
静江がニカッと笑ってサムズアップすると、エルゼも優雅に扇子を閉じて微笑み返した。
王都の夜空には、彼女たちの行く末を祝福するかのように、満天の星が輝いていた。
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