第59話 聖騎士の葛藤と、オレンジ色の決断
口の中に広がるオレンジの甘酸っぱさが、ひび割れた心に染み渡っていく。
俺、聖騎士レオンは、自分の内側で何かが静かに溶けていくのを感じていた。
「レオン! 何をしているのです! 魔女の差し出したものなど吐き出しなさい!」
聖女クレア様の金切声が鼓膜を打つが、不思議と以前のように「絶対の命令」としては響いてこなかった。
今まで、俺の視界は常に灰色の靄がかかっていた。教会の絶対的な教義、異端を殲滅するという正義。それに従うたびに、背中にのしかかる見えない「重圧」と「声なき泣き声」が、俺の精神をすり減らしていたのだ。
だが、あの奇妙な派手な格好をした占い師――静江が投げ渡してきた一粒の飴が、限界を迎えていた俺の精神力(魔力)を、清らかな泉のように満たしていく。
(……『教皇』の逆位置。狂信と盲目的な服従。……ああ、その通りだ。俺は自分の心から目を背け、思考を放棄していただけだった)
静江の展開したタロットカードが、脳裏に鮮明に蘇る。
俺は、ゆっくりと顔を上げた。
視線の先では、広大な更地で、かつて「邪悪な魔族」と教えられてきた者たちが働いていた。彼らは武器を持たず、ただ木の板を運び、土を均し、額に汗して新しい建物の基礎を作っている。
その顔に浮かんでいるのは、人間と同じ「日々の生活を営む者」の穏やかな疲労感だった。
「……信じられません。神の浄化の光が届かぬこの地で、魔族が平然と息をしているなど。やはり、この地は異端の魔女によって完全に汚染されています!」
クレア様が、忌々しそうに白銀の杖を天に掲げた。
彼女の杖の先端に、凄まじい密度の神聖魔力が収束していく。それは、教会が「大規模な異端の巣窟」を跡形もなく消し去る時に使う、最上位の広域殲滅魔法だった。
「消えなさい、穢れた者たち! 神の裁きをもって、この地を真の無に帰します!」
「ヒィィッ!? な、なんだあの光は!」
「逃げろ! 聖教国の討伐隊だ!」
更地で作業していた魔族たちが、空に浮かび上がった巨大な光の魔法陣を見て、パニックに陥り悲鳴を上げた。
占い師の側に控えていた槍使いの青年や、魔術師の青年が阻止しようと動くが、クレア様の魔法の発動は早すぎた。
光の槍が降り注げば、あそこで無防備に逃げ惑う魔族たちは、子供や老人も含めて一瞬で灰になるだろう。
――ズキリ、と背中が痛んだ。
俺の背後で、かつて俺が見殺しにしてしまった、あるいはこの手で討ってしまった無実の亜人たちの霊が、悲痛な声を上げている気がした。
『また、同じことを繰り返すの?』と。
「……レオン! 前に出なさい! 聖騎士として、私を護り、あの汚らわしい魔女を討ちなさい!」
クレア様が、俺に命令を下す。
そうだ。俺は聖騎士だ。神に誓いを立て、教会に命を捧げた剣だ。
教義に従い続けるという「レール」の上を走り続けるのが、俺の存在意義なのだ。
(……『審判』の逆位置。過去への未練と、許されない罪悪感)
占い師の声が、耳元で聞こえた気がした。
俺は、口の中に残っていたオレンジ味の飴を、ガリッと強く噛み砕いた。
強烈な甘みと柑橘の香りが、俺の脳を支配していた「教会の呪縛」を、完全に吹き飛ばした。
「……いいえ」
「え……?」
クレア様が、魔法の詠唱を止めずに、信じられないものを見るような目で俺を見た。
「未来は、当てるものではない。……選ぶものだ」
俺は腰の聖剣を抜き放ち、力強く地面を蹴った。
向かう先は、占い師の静江ではない。
逃げ惑う魔族たちと、魔法を放とうとするクレア様の間――すなわち、無防備な者たちを護るための「盾」の位置だった。
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「なっ……!? レオン、血迷ったのですか! どこへ立ち塞がっているのです!」
「クレア様。魔法をお収めください。あそこにいる者たちに、敵意はありません。彼らはただ、生活をしているだけです。……無抵抗の者を焼く光を、俺は『正義』とは呼べない!」
俺は聖剣を両手で構え、全身の魔力を練り上げた。
教義への妄信から解放された俺の魔力は、これまでになく澄み渡り、純白のオーラとなって俺の身体を包み込んだ。
俺の背中に憑りついていた重たい霊たちが、驚いたように俺を見つめ、そしてほんの少しだけ、安堵したように微笑んで消えていくのを感じた。
「愚かな! 教会の教義に背くというなら、異端の魔女もろとも、あなたも消し去るまでです!」
クレア様が振り下ろした杖から、巨大な光の奔流が放たれた。
大気を焼き焦がす圧倒的な熱量。
だが、今の俺に迷いはなかった。
(俺が選んだ、俺の意志での前進……。これが、『戦車』の正位置だ!)
「はあああああッ!」
俺は聖剣を振り抜き、迫り来る殲滅の光の奔流に、真っ向から自身の聖なるオーラを叩きつけた。
ドゴォォォォンッ!!
相反する二つの神聖魔力が激突し、広大な更地に凄まじい衝撃波と光の嵐が吹き荒れる。
俺の足元の地面が砕け、腕の筋肉が悲鳴を上げる。
だが、オレンジ味の飴がもたらした強靭な精神力が、俺の膝が折れるのを許さなかった。
「……おおおおおッ!」
俺の剣閃が、クレア様の魔法の「核」を捉え、見事に光の渦を両断して霧散させた。
残った光の粒子が、雪のように更地に舞い落ちる。
魔族たちも、アレンやカイルも、そしてクレア様も、呆然として俺を見つめていた。
「……信じられない……。聖教国の光を、個人の聖剣で断ち切るなど……。あなた、そこまで落ちたのですか……!」
クレア様が、怒りと恐怖で唇を震わせ、後ずさりする。
俺は剣を下段に構え直し、静かに、だがはっきりと宣言した。
「俺は落ちてなどいない。……初めて、自分の意志で光を掲げたんだ」
肩で息をしながら、俺は背後を振り返った。
そこには、椅子に座ったまま、ニカッと笑って親指を立てている、あの派手な占い師の姿があった。
彼女の唇が『よう選んだな、兄ちゃん』と動いたのが見えた気がした。
重かった白銀の鎧が、今は羽のように軽く感じる。
俺はもう、誰かに命じられた正義を振りかざす機械ではない。
一粒の飴ちゃんと、容赦のないタロットカードが、俺に「本当の自分」を取り戻させてくれたのだ。
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