第46話 魔王の右腕と、頑固な油汚れ(後編)
カイルの魔法でホールに満ちた真っ白な蒸気が、バアルの漆黒の鎧の継ぎ目にじわじわと浸透していく。
熱気と湿度によって、数百年分の「瘴気」……いわば魔力の焦げ付きが、ジュワジュワと浮き上がってきたんや。
「……ぐ、ぬぅ……。なんだ、この不快な熱気は……。我の誇り高き闇が、ふやけていく……!?」
バアルがうろたえ、黒剣を闇雲に振り回す。けど、蒸気で視界が遮られ、おまけに足元のワックス(聖水入り)のせいで、かつての威厳はどこへやら、腰が引けとるわ。
うちはその隙を逃さず、ギラギラのラインストーンで「盛り盛り」にしたデコネイルを光らせて、バアルを指差した。
「ほら見なはれ! どんなに強がっても、汚れは正直やわ。あんたのその鎧、見た目はイカついけど、中身は蒸れ蒸れでボロボロや。……ええか、兄ちゃん。ギャルにとっても、おばちゃんにとっても、一番大事なんは『下地』や。そんな汚い肌着……もとい、鎧を着てたら、魂までカビて、いい恋も仕事もできへんで!」
うちは、ピンクブロンドの髪をバサッとかき上げ、厚底ブーツをガツンと鳴らして踏み込んだ。
銀色のスカジャンの背中で龍が踊る。見た目は完全に「夜の街を闊歩する派手な姉ちゃん」やけど、放つ言葉の重みは更年期を乗り越え、酸いも甘いも噛み分けたベテラン主婦そのものや。
「……アレン! そこや! 鎧の合わせ目、蒸気で浮いた隙間に、聖水モップを……突っ込んで、一気に捩りなはれ!」
「はい! ……これ以上の不法投棄、許しません! はあああッ!」
アレンの槍が、バアルの胸当ての隙間に深く滑り込んだ。
「ベリベリッ! べリッ!」という、長年放置されてガチガチに固まったガムテープを、力任せに引き剥がすような凄まじい音がホールに響き渡る。
次の瞬間、バアルを覆っていた漆黒の装甲が、まるで脱皮するようにボロボロと崩れ落ちたんや。
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蒸気が晴れた後に立っていたのは、禍々しい魔王の騎士やなかった。
そこにおったんは、青白い肌に、ひどくクマの浮いた目をした、痩せこけた一人の「青年」やった。
鎧という名の『粗大ゴミ』を剥ぎ取られた彼は、折れ曲がった剣を杖代わりに、今にも倒れそうに震えとる。
「……あ……ああ……。我の……我の誇りが……。これがないと、私は……魔王様に合わせる顔が……。汚れを知らぬ騎士でなければ、私は価値がないというのに……」
彼の足元には、鎧の破片と一緒に、大量の「黒い砂」が散らばっとった。
霊視するまでもない。それは、彼が「自分を強く見せるため」に、無理やり魔力で固めて纏っていた、ただの劣等感と過労の塊や。
「……カイルちゃん、この子の魔力波長、どうなっとる?」
「……静江さん、これは。彼は魔王の騎士なんて柄じゃありません。……あまりに膨大な事務作業と、魔族たちの不祥事の尻拭いをすべて一人で背負い込み、そのストレスを魔力で『鎧』に変えて閉じ込めていただけです。……いわば、重度のメンタル不調による『武装型引きこもり』ですよ」
カイルが呆れたように、けれどどこか同情を込めて診断を下す。
青年は力なく床に座り込んだ。
せっかくワックスがけした床が、彼の涙でまた少し汚れる。けど、うちは今度は怒らへんかった。
「……兄ちゃん。あんたな、魔王様の右腕やなんや言う前に、自分の心の『整理整頓』が先やったんやわ。……見てみ、この散らばった黒い砂。これ、全部あんたが『無理です』って言えずに飲み込んだ、不満の搾りかすやろ?」
「……私は……私は、ただ、魔族領を完璧に保ちたかった。だが、いくら私が一人で片付けても、部下の魔族たちは争い、ゴミを撒き散らす……。私は、それを隠すために、この黒い鎧を厚くしていくしかなかったんだ……!」
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うちは厚底ブーツの音を響かせて歩み寄り、青年の前で「よっこらしょ」と腰を下ろした。
長い付けまつげの間から、鋭く、けれど温かい視線を彼に向ける。
ギラギラのネイルで彼の肩をポンと叩くと、青年はビクッと肩を揺らした。
「……よしよし。もうええよ。……あんたな、この一週間、まともに寝てへんやろ? 目の下のクマ、高級なコンシーラーでも隠しきれへんレベルやで。そんな顔してたら、いい運気も逃げてまうわ。……ええか、完璧主義は掃除の天敵や。八割綺麗なら、あとの二割は『生活感』やと思えばええねん」
うちはアイテムボックスから、王宮の厨房で取り置いておいた最高級のハーブティーと、特売の残りの「筑前煮」の最後の一皿を取り出した。
異世界の魔族領で、ギャル姿のおばちゃんが、魔王の騎士に煮物を差し出す。シュールな光景やけど、これが一番の「特効薬」や。
「ほら、これ食べなはれ。……おばちゃんの筑前煮はな、煮込みすぎて形が崩れた人参みたいに、不揃いなのが一番味が染みてて美味しいんや。……あんたの人生も、ちょっとくらい形が崩れてても、その分いい味が染み込むんやで」
青年は震える手で皿を受け取り、泣きながら筑前煮を口に運んだ。
蓮根の歯ごたえ、鶏肉の旨味……おばちゃんの「家庭の味」が、魔王の騎士の凝り固まった心を、内側から解かしていく。
「……美味しい……。……こんなに温かいものを食べたのは、いつ以来だろう……」
「せやろ? 腹が温まれば、そんな重たい鎧なんて、もう必要あらへんわ。……さて、ゾルゲ! あんた、この子に新しい制服……もとい、軽くて動きやすい服を用意しなはれ。この子は今日からうちの『リサイクルセンター・王都連絡係』として研修や!」
「なっ……静江様、魔王の右腕を研修生にするのですか!?」
ゾルゲの驚愕の声を背に、うちは立ち上がり、ピンクブロンドの髪をポニーテールに結び直した。
「当たり前や! 汚れたら洗えばええ。壊れたら直せばええ。……それが掃除の、そして生きるっていうことの基本やからな!」
バアルの鎧という「頑固な汚れ」を落としたおばちゃん。
でも、本当の大掃除は、ここから魔王城へと続いていくんや。




