第45話 魔王の右腕と、頑固な油汚れ(前編)
「黒曜のバアル」が抜いた黒剣からは、この世の光をすべて吸い込むような、どす黒い魔力が溢れ出していた。
一振りすれば、この改築したばかりの洋館ごと、うちらの存在を消し飛ばせるほどの威力があるんは、霊視せんでも肌にピリピリと伝わってくる。
だが、うちはそんな威圧感よりも、バアルが踏みしめた床の「泥」が気になって仕方がなかったんや。
「……あー、やっぱり。あんたのその剣、魔力の密度が高すぎて、周りの空気を結露させてるやんか。おかげで床がビショビショやわ。滑って転んだら、労災下りへんで、これ」
うちはハタキを片手に、わざとらしく大きな溜息をついた。
バアルの瞳が、漆黒の兜の奥で冷たく細められる。
「……狂うているのか、それとも死を恐れぬ愚者か。我の剣に触れた者は、魂ごと『無』へと還る。貴様のその安っぽい棒切れ(ハタキ)で、何ができるというのだ」
「安っぽい? あんた、これ、王宮の宝物庫の隅で眠ってた『大鷲の羽根』で作った特級品やで! 埃を払うだけやなくて、悪い気も一緒に弾き飛ばす優れもんや!」
うちは一歩、また一歩と間合いを詰めた。
アレンが「静江さん、無茶だ!」と叫びながら割り込もうとするが、うちは掌を向けてそれを制した。
「アレン、カイル、あんたらはゾルゲを連れて、後ろに並んでる『従業員』たちを避難させなはれ。……これはな、現場の責任者と、たちの悪いクレーマーの対決や。あんたらの出番は、もっと後の『大掃除』の時やわ」
====================
バアルが動いた。
音もなく、影が伸びるような速さで黒剣が振り下ろされる。
その軌跡は、まさに「死」そのもの。カイルの張った三重の防御障壁が、触れた瞬間にガラス細工のように粉々に砕け散った。
だが、うちはその瞬間に、ハタキを「縦」やなく「横」に、まるでハエを追い払うような軽やかな動作で振ったんや。
「……ほら、そこ! 埃が舞うから、そんな大振りしなや!」
パシィィィン! と、乾いた音が響いた。
信じられんことに、魔王の騎士の必殺の一撃が、おばちゃんのハタキによって「軌道を逸らされた」んや。
黒剣はうちの鼻先をかすめ、大理石の床を深く抉った。
「……なっ!? 我の剣を、その不浄な棒で弾いたと……?」
バアルが驚愕に声を震わせる。
当たり前や。うちは水晶玉を使いながら、バアルの剣に纏わりつく「不純な魔力の塊(澱み)」をピンポイントで弾いたんや。
頭の奥で、またあの「ノイズ」が走り出す。
(……あ、あの換気扇の羽。油がこびりついて、回転のバランスがガタガタやわ。一箇所、ヘラでカリッと削ってやれば、あとは遠心力で勝手に向きが変わるんや……)
おばちゃんの主婦としての長年の勘。
「回転しているもの」や「流れがあるもの」の、どこを突けばバランスが崩れるか。
それは、魔王の剣技であっても、換気扇の掃除であっても、本質は一緒なんやわ。
====================
「……あんたの剣、魔力は凄いけどな、手入れがなっとらへんわ。……見てみ、その刀身にこびりついた『怨念の煤』。それがブレーキになって、一撃一撃が重すぎて小回りが利かへんのや。……そんなんじゃ、スーパーのタイムセールで、おばちゃんたちの隙間を縫って特売品を掴み取るなんて、夢のまた夢やで!」
「……貴様ぁ……ッ! 我の誇りを、家事の例えで侮辱するか!」
バアルが激昂し、全身から黒い炎のようなオーラが噴き出した。
洋館の天井がメリメリと音を立て、再び瘴気が館内を侵食し始める。
だが、うちはもう次の「掃除道具」をアイテムボックスから取り出しとった。
「……カイル! 準備はええか!? あんたの魔法で、この部屋の『湿度』を限界まで上げなはれ! 蒸し風呂みたいにするんや!」
「えっ? ……あ、はい! 水の精霊よ、大気に満ち、熱を孕め! 『ミスト・サウナ』!」
カイルの魔法で、ホールが一瞬にして真っ白な蒸気に包まれた。
バアルの黒い鎧が、急激な温度と湿度の変化に、微かに「パキッ」と音を立てたのをうちは聞き逃さへんかった。
「……よし! 汚れが浮いてきたわ! ……アレン、今や! あんたのモップ槍で、あいつの足元の『泥(瘴気)』を、力一杯掻き回しなはれ!」
「了解です、静江さん! ……はあああッ!」
蒸気の中で、アレンの槍が縦横無尽に走り、バアルの足元の安定を奪っていく。
うちはその混乱の真っ只中、ハタキを聖水に浸し、バアルの背後へと回り込んだ。
「……ええか、兄ちゃん。頑固な油汚れはな、蒸らして、浮かせて、一気に剥がす……これが鉄則や!」
おばちゃんの「特殊洗浄」が、魔王の右腕という最強の汚れを、今まさに根こそぎ剥ぎ取ろうとしとったんや。
読んでくれてありがとうございます!
「面白い!」「続きが気になる!」「応援したい!」と思っていただけたら、
作品ページ上部の【☆評価】【ブックマーク】、そして【リアクション】ボタンをポチッと押していただけるととても励みになります!
みなさんの応援が、次回更新の原動力になります。
引き続きよろしくお願いします!




