第4話 青年のおごり
夕闇が街を包み込み、石畳の道に魔導灯の淡い光がぽつぽつと灯り始めた頃。広場の噴水の前で、うちはようやく戻ってきたアレン君と再会した。
「静江さん! 戻りました!」
駆け寄ってくる彼の足取りは、昼間とは見違えるほど軽い。背筋がぴんと伸び、その瞳には迷いの欠片もなかった。アレン君はうちの前に立つと、持っていた革袋を軽く振って見せた。
「あんたの占いの通りでした。俺、一人でやれたんです。ガイルたちを見捨てて……いや、あいつらから卒業して、その先で魔石を手に入れました。換金したら、これまでの稼ぎが馬鹿らしくなるくらいの額になって」
「そうか、ええ顔になったやんか。やっぱりあんたは、自分の足で走るんが一番似合うてるわ」
「……全部、静江さんのおかげです。お礼をさせてください。まずは、今夜の寝床を探しましょう。この街は初めてなんですよね?」
「そうやねん。右も左もわからんし、このハデハデな服でうろつくのも、そろそろ限界やわ。お腹冷えてしゃあない」
アレン君は少し申し訳なさそうに笑いながら、街の奥へと案内してくれた。
「ここは、この辺りを治める伯爵様の領地でも一番大きな街、『ルミナ』っていいます。商業が盛んで、旅人も多いから、素性の知れない……失礼、静江さんのような人でも、詮索されずに泊まれる宿があるはずです」
「ルミナ、なぁ。ええ名前やんか。お言葉に甘えて、案内頼むわ」
案内されたのは、メイン通りから一本入った、活気はあるが少し落ち着いた路地にある『黄金の樽亭』。一階が酒場で二階が宿屋という、いかにも異世界の定番といった趣の店やった。
酒場の重い木の扉を開けると、そこは木の匂いと肉を焼く香ばしい煙、そして人々の熱気でむせ返っとった。
「いらっしゃい! 二人かい?」
カウンターの奥から声をかけてきたのは、腰に手を当てた恰幅のいい女性――女将さんらしき人やった。アレン君がテキパキと交渉を始める。
「女将さん、部屋を二つ。それと、腹一杯の食事を頼む」
「あいよ。部屋は空いてるよ。食事は奥の空いてる席に座りな」
アレン君が銀貨を数枚差し出すのを見て、うちは「出世払いの前払い、しっかり受け取らせてもらうで」と心の中で感謝しつつ、奥のテーブル席に腰を下ろした。
運ばれてきたのは、木の皿からはみ出さんばかりの猪肉のステーキと、黒パン、そして冷えたエール。
「……ん! この肉、野生味があって最高やんか。赤身の旨みがギュッとしとる」
フォークで肉を頬張っていると、不意に隣のテーブルから低い話し声が漏れてきた。酒場の喧騒の中でも、こういう「キナ臭い噂」だけは、おばちゃんの耳にスッと入ってくる。
「……聞いたか? 侯爵家が北方の公爵と、軍事で密に結ぶらしいぞ」
「本当か? だとしたら、この街を治める伯爵様はどうなる。あそこは中立を貫いてきただろう」
「戦には消極的だって噂だからな。そうなると、あの縁談も怪しい。伯爵家の令嬢……侯爵家から、婚約を解消されるんじゃないかって話だ」
「しっ、声が大きい。滅多なことを言うな」
うちの手が、ほんの少しだけ止まった。
「……北方、ねぇ」
「どうしました、静江さん?」
アレン君が不思議そうに首を傾げる。
「いや、なんでもあらへん。あんたの肉、冷めるで。しっかり食べなはれ」
そう言いながらも、うちは一瞬だけ、噂話をしていた男たちに視線を向けた。ここは伯爵領。領主の令嬢が婚約破棄されかけているとなれば、街の雰囲気もピリついてくるはずや。
アレン君は「俺、しばらくはこのルミナを拠点にソロで活動しようと思うんです。静江さんの近くにいれば、また迷った時に相談できますから」と、真面目な顔で話してくれた。
「うれしいこと言うてくれるやん。うちも、しばらくはこの街に腰据えよう思てたとこやねん。あんたみたいなええ子が近くにおるなら、心強いわ」
そんな穏やかな会話を遮るように、店の奥でガシャン! と皿の割れる音が響いた。
「ふざけるな! 誰に酒をひっかけてるんだ!」
「あぁん? 先にぶつかってきたのはそっちだろうが! この酔っ払いが!」
大男二人が立ち上がり、胸ぐらを掴み合っとる。酒場特有の、酔っ払い同士のくだらん喧嘩や。周りの客は慣れたもんやけど、せっかくのご飯が不味くなるんは勘弁してほしい。
「……ったく、やかましいなぁ。アレン君、ちょっと行ってくるわ」
「えっ、静江さん!? 危ないですよ!」
止めるアレン君を無視して、うちはスッと男たちの間に割って入った。
「はいはい、そこまで! あんた、顔真っ赤やで。怒る前にまずこれ食べ」
うちはポッケを意識して「オレンジ味」の飴ちゃんを二つ取り出し、男たちの口に無理やり押し込んだ。
「んぐっ……!? なんだ、これ……」
「甘いもん舐めて、ちょっと気持ち落ち着かせなはれ。血管切れて死にたいんか?」
オレンジ味は「精神力」を回復させ、ささくれ立った心を落ち着かせる効果がある。高ぶった神経が急速に鎮まっていくのを、男たちの表情が証明しとった。
「……ふぅ。……なんだよあんた、邪魔しないでくれ。こいつが、俺の故郷の村を馬鹿にしたんだ」
「怒るんはええ。けどな、殴る相手が違うだけや」
うちはそっと、宙にカードを並べた。
「あんた、故郷の村のことで何か行き詰まってへんか? 『死神』の逆位置……。終わったと思てたことが、実はまだ首の皮一枚繋がっとるっちゅう暗示や」
男は、ぐっと言葉を詰まらせた。振り上げた拳が、わずかに震えている。
「……何がわかるっていうんだ。あんたみたいな派手な女に、俺の何が……!」
「あんたのその服、泥にまみれてるけど、これは農村の土やな。それも水気がなくてカサカサの、嫌な乾き方しとる土や。……それにな、さっきからあんた、懐の空っぽな財布を何度も何度も握りしめてる。村へ送る金が作れんくて、焦ってるんとちゃうか?」
「っ……!」
「死神の逆位置は『再生』の兆しでもある。あんたが『もうダメや』と思てる故郷の不作も、原因は意外と単純なことかもしれへんで。例えば、水路にゴミが詰まってるとかな。絶望して酒煽って、隣の人に八つ当たりしてる暇あったら、まずは村の状況を詳しく聞きに役所へ走りなはれ。まだ打てる手はあるはずやで。あんたの村の連中も、あんたがここで喧嘩して捕まるんは望んでへんやろ」
男は毒気を抜かれたように、ゆっくりと拳を下ろした。オレンジ味の飴が効いてきたのか、その目から険しさが消えていく。
「……すまない。……確かに、自暴自棄になっていた。明日、もう一度策を練ってみるよ」
うちはふん、と鼻を鳴らして、もう片方の男――酒をかけられたと憤っていた男に向き直った。
「そんで、あんたや。酒がこぼれたって怒ってるけど、あんた本当は、さっきの噂話を聞いて『もし戦になったら商売が立ち行かん』って怖がってるだけやろ? 不安なんを怒りに変えて、弱そうな奴にぶつけてるだけや。……ええ大人が、みっともない真似しなはんな」
もう一人の男も、バツが悪そうに俯いた。
「……その通りだ。すまなかった。俺も、少し気が立っていたみたいだ」
「わかればええねん。喧嘩する体力あるなら、もっと建設的なことに使いなはれ。な?」
男たちは互いに軽く会釈して、そそくさと自分の席へと戻っていった。
嵐が去ったような静けさの中、カウンターの奥からさっきの女将さんが歩み寄ってきた。腰に手を当てて、感心したようにうちを眺めている。
「……あんた、ただの旅人じゃないね。見事な手際だったよ。あいつら、うちの常連だけど、あんなに大人しく引き下がるのは初めて見た」
「あぁ、お騒がせして堪忍な。うちは静江。ただの、おせっかいな占い師や」
「フフッ、いいじゃないか、そのおせっかい。私はマーサ。この店を切り盛りしてる。あんたの占い、あいつらの服装や仕草を見ただけでそこまで当てたのかい?」
「まぁ、ちょっとしたコツがありまして。カードは背中を押すための添え物みたいなもんですわ。……あ、これ、お近づきの印。女将さんも忙しいやろ、お疲れさんに食べ」
うちはマーサさんにメロン味の飴ちゃんを差し出した。マーサさんが飴を口に転がすと、目を見開いて破顔した。
「……なんて美味しいんだい! なんだか、一日の疲れが吹き飛ぶみたいだよ。力が湧いてくる。……ねぇ、静江。あんた、もし行く当てがないなら、この店の片隅を使いなよ」
「えっ、ええの?」
「ああ。夜の忙しい時間、あんたみたいな『用心棒』兼『相談役』がいてくれたら助かるんだ。客の愚痴も聞いてやっておくれよ。占いの上がりも、少し店に入れてくれれば文句はないさ。……あんた、いい女だ。気に入ったよ」
うちは思わずマーサさんの手を握り締めた。異世界に来てから、初めて自分の居場所が見つかったような気がして、胸の奥がじんわりと温かくなる。
「おおきに! 恩に着るわぁ。よし、そうと決まれば、看板でも作らなあかんな! 『占いの館・静』……あ、こっちの言葉で書かなあかんのか」
「あはは! 気が早いね。文字なら私が書いてやるよ。じゃあ、まずはそのエールを飲み干しな!」
おばちゃん同士、言葉は違えど気が合うのに時間はかからへん。アレン君が呆れたように、でも嬉しそうに笑っているのを横目に、うちは確信した。
この『ルミナ』が、うちの異世界での第一拠点になる。
「占いの館・静……。異世界支店、開店やな!」
ジョッキを飲み干した静江の目は、すでに次なる「迷い羊」――そして、さっきの男たちの噂話に上がった、あの令嬢の運命を、静かに捉えようとしていた。
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