第37話 不審者注意と、魔界の案内人
「ヌチャッ、ヌチャッ」という、耳障りな音が足元から響く。
魔族領の入り口。ここはかつて、清らかな渓谷やったはずやのに、今や地面は黒いヘドロと、腐ったキノコがびっしり生えた「最悪の足場」に成り下がっとった。
「……アレン、カイル。あんたら、ほんまに滑らんように気ぃつけなはれや。こんなとこで転んでスカジャン汚したら、クリーニング代、魔族の親玉に請求するからな」
うちは水晶玉を小脇に抱え、不機嫌極まりない顔で周囲を睨みつけた。
空はどんよりとした紫色の雲が垂れ込め、どっからともなく「ヒィーヒィー」と、壊れた笛みたいな不気味な鳴き声が聞こえてくる。
その時や。
霧の中から、背丈が一メートルほどの、肌がどす黒い小悪魔の集団がワラワラと湧き出してきた。
手には錆びたナイフや骨の棒を持っとる。アレンが即座に抜剣し、鋭い鋭気を放った。
「静江さん、下がって! 低級とはいえ魔族です。放っておけば命を――」
「待ちィな、アレン。……こんなん、魔族やなんて大層なもんやないわ」
うちはアレンの前に出ると、腰に手を当てて、その小悪魔たちを指差した。
「おい、そこの兄ちゃんら! あんたらのことや! どこの中学生か知らんけど、こんな夕暮れ時に道端でたむろして、何やっとんねん! 不審者として通報されたいんか!?」
おばちゃんの「地域パトロール並み」の怒声が、魔族領の重苦しい空気を一瞬で吹き飛ばした。
小悪魔たちは、人間が恐怖に震えるどころか、逆に説教を食らわせにきたことに、ポカーンと口を開けて固まってしもうた。
「ほら、その手に持ってる汚い棒! 振り回してたら危ないやろ! あと、その足元の空き缶! ……あ、空き缶やなくて骨か。とにかく、ゴミはちゃんと分別して捨てなさい言うてるやろ! 近所迷惑や!」
うちはアイテムボックスから、王宮で余った「清め塩」の小袋を一つ取り出すと、それを小悪魔たちの足元にバシッと投げつけた。
シュアアアッ! という激しい音と共に、浄化の煙が立ち上がる。
「ギャアアアッ!?」「ナンダコノ人間、コワイ!」「オカアチャン助ケテ!」
低級魔族たちは、おばちゃんの気迫と浄化の塩に完全にビビり上がり、クモの子を散らすように森の奥へと逃げていった。
「……ふん、近頃の若い魔族は礼儀も掃除の仕方もなっとらんな。……さて、アレン。道、開いたで。行きなはれ」
「……は、はい。……魔族が『不審者』扱いされるなんて、歴史上初めてじゃないでしょうか……」
アレンが呆然としながらも剣を収めた。カイルは横で「……なるほど。恐怖を上回る『日常の説教』による精神的制圧ですか。これは研究の余地がありますね」と、感心したようにメモを取っとった。
さらに森の奥へと進むと、霧がいっそう濃くなってきた。
立ち眩みがする。また頭の奥で、知恵熱のようなノイズが走り出した。
紫色の霧の向こう側に、一瞬だけ、**「閉店間際のデパートの、薄暗い地下駐車場」**の景色が重なった。
(……あかん、ポイントカード……財布に……入れたっけ……。……帰りに、牛乳、買わな……)
意識が飛びそうになった瞬間、うちはハチミツ飴を口に放り込んだ。ガリッと噛み砕く衝撃で、意識を強引に魔族領へ繋ぎ止める。
その時、霧の中から「ヒョコッ」と、何者かが姿を現した。
それは、さっきの小悪魔たちとは違い、ボロボロやけど小奇麗なタキシードのようなものを着た、二頭身の奇妙な魔族やった。
頭には折れ曲がった角が一本。鼻先には銀縁の眼鏡が、ずり落ちそうに乗っとる。
「……おやおや、珍しい。人間様が、こんな『不法投棄の墓場』まで、何のご用ですかな?」
その魔族は、うちのスカジャンをジロジロと眺め、慇懃無礼に頭を下げた。
「私はこの『腐肉の森』で、しがない仲介業者をやっております、ギルバートと申します。……ええ、屍術師ゾルゲ様の下で、ゴミの管理……もとい、素材の管理を任されております案内人ですな」
うちは水晶玉を構えたまま、そのチビ魔族を睨みつけた。
「仲介業者ぁ? あんた、ええとこに来たわ。うちがここに来た理由は一つや。……あんたの雇い主のゾルゲとかいう兄ちゃんに、特大の『不法投棄・特別清掃費用』の請求書を届けに来たんやわ」
「請求書……? ククッ、これは傑作だ。ゾルゲ様にカネを要求する人間など、千年ぶりですよ」
「千年ぶりでも万年ぶりでもええわ。……おい、ギルバートとかいうの。あんた、案内人なんやろ? 案内料は、ゾルゲの首を差し出した後の『後払い』でええか? 値切らせてもらうで」
おばちゃんのあまりの図太さに、案内人の魔族は眼鏡をキラリと光らせ、不気味な笑みを浮かべた。
「……面白い。よろしいでしょう。その『勇気』、あるいは『無知』、どちらが先に尽きるか……。ゾルゲ様の館まで、格安プランでご案内いたしましょう」
こうして、おばちゃん一行は、自称・案内人の魔族を引き連れ、魔族領の最深部へと足を踏み入れることになったんや。
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