第33話 お疲れ様と、筑前煮の匂い
地下室を埋め尽くしていた眩い光が、ゆっくりと、雪解けのように溶けて消えていった。
カイルが開けた壁の穴からは、王都の夜を吹き抜ける涼やかな風が絶え間なく流れ込み、淀んでいた空気を見事に「換気」しとる。
さっきまでそこにあった、ドロドロの怨念の塊――建国のヘドロは、もうどこにもあらへん。
床に残っていたのは、真っ白な綿屑のような、あるいは洗い立てのタオルのような、柔らかな光の残滓やった。
うちは膝をつき、大きく肩で息をしながら、アイテムボックスへ戻した水晶玉の感触を思い出していた。精神的な疲労はピークや。頭の中のノイズは止まったけど、代わりに心地よい空腹感とうち自身の「記憶」が、はっきりとした輪郭を持って戻ってきとった。
(……人参、蓮根、牛蒡に、こんにゃく。……鶏肉は、皮目からじっくり焼いて、出汁をたっぷり吸わせてな。……そうや、うちは大阪の静江。あの特売の鶏肉、無駄にせんでよかったわ)
鏡を見んでも分かる。今のうちは、中身も外見も「静江」として一つに繋がっとる。
ふと、足元に漂っていた白い光の粒が、耳元で小さく囁いた気がした。
『……あぁ……軽くなった……。……なんだか、お腹が空いたな……』
何百年も「呪い」だの「絶望」だのと難しい顔をして固まっていた魂たちが、最後に残したんは、あまりにも平凡で、あまりにも愛おしい生活の言葉やった。
うちは鼻の奥がツンとするのを誤魔化すように、ニカッと笑って、その光の粒を空へ向かって放り投げた。
「せやろ? 腹減ったんは、生きてる証拠や。……いや、あんたらはもう死んでるけどな。でも、その気持ちがあれば十分や。……さぁ、可燃ゴミの回収時間は終わったで。あとはお天道様の方へ、好きなように飛んでいきなはれ!」
光の粒は、夜風に乗って、カイルが開けた穴から王都の空へと昇っていった。
アレンとカイルが、呆然とその光景を見つめとる。アレンは剣を鞘に納め、何かに祈るように目を閉じ、カイルは眼鏡の奥の瞳を少しだけ潤ませて、破壊された壁の向こうの星空を見上げとった。
地上に戻ると、王宮の空気は一変しとった。
廊下を支配していた重苦しい圧迫感が消え、まるで嵐が過ぎ去った後のような清々しさが漂っとる。
国王の書斎へ戻ると、陛下は椅子に深く腰掛け、窓から入る風を一身に浴びとった。その顔からは「統治者」としての冷徹な仮面が剥がれ落ち、ただの、少し疲れ切った一人の男の顔になっとった。
「……終わったようだな、静江」
「ええ、終わったわ。……地下の粗大ゴミ、全部引き取らせてもうたで。……さて、陛下。約束やな」
うちは国王の机の上に、さっきの『スーパーのチラシ』をバシッと叩きつけた。
「ルミナの完全自治。そして、この王宮の『清掃・管理権』。……これはうちの会社が、居抜きで買い取らせてもらうわ。……ただしな、陛下。……見積もりは、これからどんどん高くなるで? 何せ、建物の土台から歴史のシミまで、全部リフォームせなあかんからな」
国王は、机の上のチラシと、不敵に笑う二十代のギャル姿のおばちゃんを交互に見て、ついに声を上げて笑い出した。
「……くっ、くははは! 見積もりか! よかろう。王国始まって以来の、最も高く、最も清々しい買い物だ。……静江、お前が管理するこの国が、どのような『生活』を営むことになるのか、私は楽しみだ」
書斎を出ると、エルゼと王妃様が駆け寄ってきた。二人の顔には、もう不安の色はあらへん。
うちはアイテムボックスから最後の一粒のハチミツ飴を取り出し、自分の口に放り込んだ。ガリッと噛み砕くと、優しい甘さが全身に染み渡っていく。
「静江さん、本当にお疲れ様でした。……これから、ルミナへ帰るのですか?」
エルゼが期待に満ちた目で聞いてくる。うちはアレンとカイル、そしてルミナの領主となるエルゼを順番に見渡し、スカジャンの襟をシャカッとなぞった。
「帰るで。……でもな、帰る前に王都の市場で、一番ええ鶏肉を買わなあかんわ。……アレン、あんたもしっかり食べなはれ。カイル、あんたもインテリぶってんと、筑前煮の蓮根、しっかり噛んで脳みそ活性化させなあかんで」
アレンが力強く頷き、カイルが苦笑いしながらも優しく微笑む。
王宮の廊下を歩く四人の背中に、朝日が差し込み始めていた。
見た目は派手なギャル、中身は最強のオカン。
正体は運命を値切る怪物やけど、その根っこにあるのは、どこにでもある「お茶の間の灯り」と「家族への愛」や。
王都をまるごとリフォームしたおばちゃんの戦いは、これで一旦おしまい。
でも、世界の汚れはまだまだ山積みや。
「……さぁ、行くで! 特売に乗り遅れたら、主婦の名が廃るからな!」
おばちゃんの威勢のええ声が、新しく生まれ変わった王宮に響き渡った。
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