第239話 勘違いの世界崩壊と、オカンと息子の和解の飴ちゃん
白亜の社長室の奥深く。
完全に沈黙した巨大な事象制御システムの裏側に、ぽっかりと口を開けた「虚無の闇」。
あの中で、世界を根底から崩壊させようとする『本当のバグの本体』が、うちらを待ち構えとるはずや。
「アレン、カイル、リリルちゃん! 気ぃ抜いたらアカンで! おばちゃんが最前線張るから、あんたらはしっかりサポートしなはれ!」
うちは特大のゴミ拾いトングを両手で力強く握り締め、ギラギラのデコネイルを光らせて、その真っ暗な空間へとズンズン踏み込んでいった。
アレンが西の大陸の長剣を構え、カイルが何重にも防御結界を展開してうちの背中を守る。
一歩足を踏み入れるたびに、極度の緊張で喉がカラカラに渇いていく。
骸骨の創造神が言うとった「世界崩壊の危機」。
その本体が相手となれば、これまでのどんなブラック企業や怨念よりも恐ろしい、規格外のバケモノに違いあらへん。
(……来い! どんなバケモノでも、おばちゃんの特大ハッカ水とド正論で、綺麗さっぱり漂白したるわ!)
うちは腹の底にグッと力を込め、暗闇の最深部へと躍り出た。
だが。
「……えっ?」
うちは、肩透かしを食らったように、マヌケな声を漏らしてしもうた。
暗闇を抜けた先にあったのは、おどろおどろしい異空間でも、世界を食い荒らす巨大なバグの化け物でもあらへんかった。
そこは、ただの「真っ白で殺風景な、四畳半ほどの小さな部屋」やった。
部屋の隅には、使い古された小さなパイプベッドと、乱雑に積まれた分厚いマニュアル本。
そして、その部屋のド真ん中で。
あの氷のように冷徹だった若き皇帝が、膝を抱え、子供のようにボロボロと大粒の涙を流しながら震えとったんや。
「……ううっ……。僕の、僕の完璧な計算式が……。全部、めちゃくちゃだ……」
皇帝は、手元の分厚いマニュアル本をギュッと抱きしめ、しゃくり上げながらうわ言を繰り返しとる。
うちは、トングを構えたままポカンと口を開け、その後ろからついてきたアレンたちも「……?」と顔を見合わせた。
「おい、ちょっと待ちなはれ! 社長さん、あんたこんなとこで何しとんねん! 世界崩壊のバグの本体はどこや!」
うちが怒鳴ると、皇帝はビクッと肩を震わせ、真っ赤に腫らした目でこちらを睨み返してきた。
「せ、世界崩壊のバグ……? な、何の話をしているんだ! そんなもの、僕は知らない! 僕はただ、僕の作ったシステムがエラーを吐き出して、処理が追いつかなくなっただけだ!」
「はぁ!? 処理が追いつかんかっただけ!? ほな、さっきのあのドス黒い触手とか、部屋中に充満してたえげつない瘴気はなんやったんや!」
「あ、あれは……魔力炉の冷却水が漏れて、そこに僕の極度の『ストレスと胃痛』の魔力が混ざって、システムが勝手に暴走しただけだ! 君たちが無茶苦茶な論理で僕のスケジュールを壊すから、僕の胃袋が限界を超えて爆発したんだよ!」
皇帝が、涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしながら、半ば逆ギレ気味に叫んだ。
その言葉を聞いた瞬間。
白亜の社長室に、何とも言えないマヌケな沈黙が降り下りた。
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「……」
「……静江さん」
アレンが、持っていた長剣をカランと床に取り落とし、カイルは展開していた防御結界をスゥッと消滅させて、深ぁぁくため息をついた。
「静江さん。……つまり、こういうことですか。……さっきのあの恐ろしいシステムの暴走は、世界の危機でもなんでもなく、ただのこの皇帝の『知恵熱とストレスの爆発』だったと」
「……」
「そして、静江さんはそれを勝手に『世界崩壊のバグだ!』と思い込んで、僕たちを巻き込んで命懸けでハッカ水をばら撒いていた……ということですか?」
カイルのインテリ眼鏡の奥の瞳が、ジト目でうちを射抜く。
うちは、特大トングを持ったまま、冷や汗がドバーッと吹き出すのを感じた。
「な、なんやてぇぇぇッ!!? ほな、うちのあの気合と覚悟はなんやってん! おばちゃん、てっきり神様が言うてた大仕事やと思て、めちゃくちゃ気張ったのに! ただのあんたのヒステリーかいな!!」
うちはパイプ椅子をガシャンと蹴り飛ばし、ズッコケながら空に向かって吠えた。
背後でアレンとカイルが「……はぁ」と揃って肩を落とし、リリルだけが「おばちゃん、ドンマイだよ……」とポンチョの裾を引っ張って慰めてくれとる。
「……笑うな! 僕だって、必死にやってきたんだ! 傷つきたくなくて、失敗したくなくて、全部マニュアル通りに完璧に管理しようとしたのに……! お前みたいな、無神経でガサツな女が、僕の領域にズカズカ踏み込んでくるから……!」
皇帝が、再びボロボロと涙をこぼし、抱えていたマニュアル本を床に投げつけた。
その泣き顔。
その、意地っ張りで、完璧主義で、でも本当は誰よりも傷つきやすくて不器用な、怒り方。
うちは、文句を言い返そうとして口を開けたまま、ピタリと動きを止めた。
皇帝の顔を、じっと見つめる。
年齢は二十代半ば。氷のように整った、見知らぬ美貌。
でも、その泣きじゃくる顔の筋肉の動き、唇を噛み締める癖。
何より、自分の弱さを隠すために、分厚い本(理屈)の殻に引きこもろうとするその魂の波長。
(……嘘やろ。……なんで、気づかんかったんや)
うちは、特大トングを床に落とした。
カラン、と無機質な音が白い部屋に響く。
手が震える。心臓が、早鐘のように打ち鳴り始めた。
「……あんた」
うちの声は、いつもの威勢のええオカン声やなく、ただの、ひどく掠れた一人の母親の声になっとった。
「あんた……もしかして。……ピーマンの肉詰め、ピーマンだけ残して食べるん、まだ直ってへんのか?」
その唐突すぎる質問に、皇帝がビクッと肩を震わせた。
「……えっ?」
「……テストで百点取れへんかった時、悔しくて部屋の隅で膝抱えて、一言も喋らへんようになる癖。……それも、まだそのままなんか?」
「……な、なんで。……なんで、お前がそれを……」
皇帝の顔から、血の気が引いていく。
彼自身も転生者であり、前世の記憶を持っとるはずや。やけど、目の前におるのが「58歳の大阪のおばちゃん」が若返った姿やなんて、論理的な思考回路を持つ彼には一ミリも結びつくはずがあらへんかった。
でも、その「言葉」と「空気」だけは、魂の奥底に強烈に刻み込まれとったんや。
「……まさか。……お母、さん……?」
皇帝の震える声が、白い部屋に響いた。
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アレンとカイルが、驚愕に目を見開き、息を呑む音が聞こえた。
うちは、震える足に無理やり力を込め、真っ白な床を踏み鳴らして、息子の前へとズンズン歩み寄った。
前世の大阪で、うちの価値観を押し付けたせいで心がすれ違い、そのまま病で手の届かないところへ逝ってしまった……うちの、たった一人の息子。
それが、この世界を裏から牛耳る、大帝国アルビオンの冷徹な皇帝やった。
「……驚いたよ。僕が目を覚ましたら、前世の記憶を持ったままこの変な世界にいてさ。しかも、魔法なんていう非合理的な力が蔓延してる。……だから僕、前世の知識を使って、この国を『完璧に管理された効率的な世界』に作り変えたんだ」
息子は、床に座り込んだまま、ポツリポツリと語り始めた。
「感情なんて不確かなものがあるから、人は傷つくし、すれ違う。……お母さんみたいに、他人の領域にズカズカ踏み込んでくる人間がいるから、苦しいんだ。……だから僕は、誰も感情で傷つかない、マニュアル通りに動く『究極のホワイトな国』を作ったつもりだったのに」
「……ホワイトな国やて? アホか」
うちは、息子の目の前にしゃがみ込み、その細い肩を両手でガシッと掴んだ。
「人を部品扱いして、痛い時に泣くことも許さんで、何がホワイトや。そんなん、ただ心が死んでるだけやないか」
「……っ! だから、お母さんのそういう『押し付け』が嫌だったんだよ! 僕の作った完璧なシステムを、いつもそうやってドカドカ壊して……!」
息子が、皇帝という仮面を完全に捨て去り、年相応の子供のように感情を爆発させて叫んだ。
でも、彼のその怒りの奥に、どうしようもない「孤独」と「寂しさ」が渦巻いているのを、おばちゃんの目は見逃さへんかった。
彼は、世界崩壊なんていう大層な秘密も使命も知らん。
ただ、傷つきたくなくて、分厚いマニュアルの殻に引きこもっていただけの「迷い子」やったんや。
「……ごめんな」
「え……?」
うちは、息子の身体を力いっぱい、ギュッと抱きしめた。
「前世じゃ、あんたの話、ちゃんと聞いたれへんかった。かあちゃんの価値観ばっかり押し付けて、あんたを一人ぼっちにしてしもうたな。……ほんまに、ごめんな」
不老不死の若いギャル姿やけど、そこに込められた温もりは、間違いなく彼を産み育てた「母親」のものや。
うちの腕の中で、息子の身体がビクッと大きく震えた。
「……ずっと、寂しかったんやろ。こんな真っ白な部屋で、一人で数字ばっかり見て。……もう、頑張らんでええ。マニュアルなんか捨てて、お腹空いたら泣いてええんやで」
うちはアイテムボックスから、精神を安定させる「オレンジ味」と、優しさを思い出す「ハチミツ味」の飴ちゃんを取り出し、彼の口にそっと含ませた。
「……あ、あぁ……」
オレンジとハチミツの甘さが口に広がった瞬間。
彼が何十年もかけて築き上げた「冷徹な皇帝」という分厚い防壁が、音を立てて崩れ去った。
「……お母さん……っ。僕、本当は……ただ、認めてほしかっただけなんだ……! ちゃんと一人でできるって……っ!」
「わかっとる。あんたは、ほんまによう頑張ったわ。……でも、やり方がちょっとブラックすぎたな」
大声で泣きじゃくる息子の背中を、うちはポンポンと優しく叩き続けた。
背後で、アレンとカイル、そしてリリルが、静かに微笑みながら見守ってくれとる。
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「……さて。泣くのはこれくらいにしとき。あんた、社長としてえげつない不法投棄とブラック労働やらかしたんやから、きっちり『罰』は受けてもらうで」
「……うん。僕、どうすればいい……?」
涙を拭う息子に、うちはニカッと笑って宣言した。
「決まっとるやろ! 皇帝は今日でクビや! 明日からは、ルミナ商業ギルドのバネッサさんの下で『平社員』として一から働きなはれ! あのお局様の下で、泥水すすって『本当の商売と人情』を学んでくるんやで!」
思い込みの大騒ぎから始まった、世界最大のブラック企業のガサ入れ。
大帝国アルビオンは、最強のオカンの抱擁とド正論によって、一滴の血も流れることなく、静かに解体されたんや。
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