第222話 一番弟子の成長と、オカンの覚醒
灰色の空から、冷たい雨がシトシトと降り注ぐアルビオン帝国本土の市街地。
そこは、うちらがこれまで見てきたどの戦場よりも、異様で、そして狂気に満ちた場所やった。
「陛下のために! 私たちの命は、この大いなる帝国の幸福のためにあるのです!」
無邪気な、本当に心の底から楽しそうな笑顔を浮かべた十代の少年少女たちが、一切の躊躇なく、自らの命を削って高威力の魔力弾を放ってくる。
彼らの瞳には、恐怖も、苦痛も、死への忌避感も一ミリも存在せえへんかった。
あるのはただ、マニュアルによって完全に上書きされた『自己犠牲という名の幸福感』だけや。
「くそっ……! 相手は子供だぞ! なぜ、こんな無茶苦茶な魔力の使い方を……!」
アレンが西の大陸の長剣を構え、風の防壁を展開しながら悲痛な声を上げる。
彼の『刹那の観測』をもってすれば、あんな直線的な攻撃など容易く躱して反撃できるはずや。だが、相手が「笑顔で特攻してくる子供」である以上、真っ当な騎士であるアレンに剣を振るうことなどできるはずがなかった。
「静江さん! 下がってください! 彼らの魔力波長は完全に異常です! このままでは防壁ごと吹き飛ばされますよ!」
カイルも、インテリ眼鏡を雨に濡らしながら、必死に多重結界を維持しとる。
普段なら、ここでうちが前に出て、強烈なオカン説教と飴ちゃんで彼らの目を覚まさせる場面や。
だが、うちは特大のゴミ拾いトングを持ったまま、足が石畳に縫い付けられたように、一歩も動けへんかった。
怖いんやない。
前世の大阪で、良かれと思って息子の将来を案じ、自分の価値観を押し付けた結果、静かに、けれど決定的に心を閉ざされてしまったあの日の記憶が、真っ黒なノイズとなって脳裏を支配しとったんや。
(……本人が『これが最高の幸せや』って、心から信じて笑っとるのに。おばちゃんが外から無理やり『あんたは不幸や、洗脳されとる』って踏み込むんは……ただの、うちの自己満足なんとちゃうか……?)
さっき投げた精神安定のオレンジ飴も、前向きになるリンゴ飴も、彼らの「完璧な幸福」の前に弾き返されてしもうた。
彼らの心には、おばちゃんのお節介が入る隙間なんて、もう一ミリも残ってへんように見えた。
「……静江さん! 早く指示を!」
アレンの叫びが遠く聞こえる。
うちの呼吸が浅くなり、視界がグラリと揺れた、その時やった。
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「……おばちゃん、大丈夫。無理しないで」
ずっとうちの背後に控えていた影が、ポンチョの裾をそっと手放し、うちの横を通り過ぎて前に進み出たんや。
「……リリルちゃん!?」
うちが驚いて声を上げると、彼女は振り返り、優しく、そして頼もしく微笑んだ。
かつて、悪い大人に怯えて暗い食糧庫の木箱の奥でガタガタと震えていた、あのおどおどした五歳の少女の面影は、もうそこにはあらへん。
この一年半の旅の中で、彼女はずいぶんと背が伸びた。
南の熱帯雨林では、大人たちを束ねる『合同会社』の若き社長として立派に立ち回り、多くの同胞を導いてきたんや。
今や彼女は、ただ守られるだけの子供やない。静江の一番弟子であり、世界を知る立派な一人の『占い師』としての風格を纏っとった。
「下がって、リリル! 結界の外は危険だ!」
アレンが制止するのも聞かず、リリルは防壁の一歩手前まで歩み寄り、笑顔で銃を構える少年兵たちと真っ向から対峙した。
「……ねぇ、お兄ちゃん、お姉ちゃんたち」
リリルの声は、雨音に負けないほど凛と澄み渡り、戦場に響いた。
「帝国のために命を使うのが、本当に、すっごく幸せなの?」
先頭で魔導銃を構えていた、まだあどけなさの残る少年が、不思議そうに首を傾げ、クスリと笑った。
「ええ、もちろん! 皇帝陛下のためにこの命を燃やし尽くすことこそ、私たちの至上の喜びであり、存在意義ですから! あなたも、早くこの幸福を理解できるといいですね」
その完璧な模範解答に対して。
リリルは、小さな両手でしっかりとタロットカードの束を握りしめ、シュバッ! と見事な手つきで、空中に一枚のカードを展開したんや。
出たのは、『月(The Moon)』の正位置。
「……うそだ」
リリルの静かな、けれど断固たる言葉に、少年兵たちの笑顔がピクリと硬直した。
「……このカードはね、隠された不安と、見えない恐怖の暗示だよ。……お兄ちゃん、右腕から血がいっぱい出てるのに、痛くないの? お姉ちゃんも、魔力を使いすぎて、立ってるのもやっとなくらい足が震えてるじゃない」
リリルは、かつて静江がそうしてきたように、カードの絵柄ではなく、彼らの「生活の現実」を容赦なく指摘していく。
「痛みなど……! 陛下への愛があれば、気になりません!」
「ううん、違うよ。……痛いのに痛くないって嘘をつくのは、自分を大切にしていない証拠だよ。……私、知ってるんだ。私の故郷の森でも、おじさんやおばさんたちが、無理して自分を『帝国の電池(部品)』みたいに扱って、心がカチカチに凍っちゃってた時期があったから」
南の森で、絶望して心を殺していた大人のエルフたちを救った経験が、彼女の言葉に圧倒的な説得力と重みを与えとった。
「部品になっちゃダメだよ。お兄ちゃんたちの心は、すっごくお腹が空いてて、すっごく寒がってる。本当は、温かいご飯を食べて、お母さんに『痛いよ』って甘えたいのに……無理して笑ってるだけじゃない!」
それは、洗脳された狂気に対して叩き込まれた、一切の混じり気のない、圧倒的なまでの『生活感あふれるド正論』やった。
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リリルの言葉は、どんな強力な魔法よりも鋭く、深く、少年兵たちの心に分厚くコーティングされた「洗脳のマニュアル」を真っ向から貫き通した。
「……っ……」
先頭の少年の持つ魔導銃が、カタカタと不規則に震え始める。
完璧に貼り付いていた笑顔が歪み、まるでヒビの入ったガラス細工のように、その大きな瞳から、ポロリと一粒の涙がこぼれ落ちた。
「……あ、あれ……? なぜ、涙が……。痛く、ないのに……。陛下のために、僕は、笑って……」
自分の涙にひどく困惑する少年兵。
彼らの心の奥底、分厚いマニュアルの下で、ずっと押し殺され、息を潜めていた「本当は痛い、死にたくない」という小さな本音(SOS)を、リリルが見事に引きずり出したんや。
その光景を見た瞬間。
うちの頭の中にへばりついていた、過去のトラウマという濃い霧が、パーッと一気に晴れ渡っていくのを感じた。
(……せや。……何が自己満足や。本音が泣いとるんやったら、相手がどんなに強がってても、フルスイングでお節介焼くのが『オカン』やないか!)
うちは自分の頬を両手でバチン! と強く叩き、気合を入れ直した。
そして、特大のサングラスを押し上げ、誇らしげに笑った。
「……ようやった、リリルちゃん! あんたはもう、立派な一人前の占い師やで!」
うちはリリルの頭をガシガシと撫で回し、特大のゴミ拾いトングを肩に担いで、雨の降る石畳へとズンズン歩み出た。
「アレン! カイル! 防御はもうええ! 結界を解いて、道を開けなはれ!」
「静江さん! 迷いは……晴れたんですね!」
アレンがパッと顔を輝かせ、カイルもフッと口角を上げて結界を解除する。
「当たり前や! おばちゃんのエンジン、フル回転やで!」
うちはアイテムボックスの奥深くに両腕を突っ込み、怪我を治す黄色の『レモン味』と、空腹と心を満たす緑色の『メロン味』の飴ちゃんを限界まで引っ張り出した。
「ええか、あんたら! 洗脳の殻にヒビが入った今なら、おばちゃんのサプリメントもバッチリ届くはずや!」
うちは、戸惑って動きの止まった少年兵たちに向かって、大量の飴ちゃんをバサァァッ! と豪快にばら撒いた。
さっきは精神安定とポジティブの飴が弾かれた。なら、今度は彼らが完全に忘れてしまっている「人間としての痛みと飢え」を直接癒すアプローチや。
「ほら! 痛い時は痛いって泣いてええねん! 腹減ってるなら遠慮せんと食べなはれ! 皇帝陛下なんかより、まずは自分の身体と心を大事にせんかい!」
雨と一緒に降ってきた飴を口に含んだ少年兵たちは、今度は吐き出さへんかった。
強烈なレモンの酸味が彼らの麻痺していた「痛み」の感覚を呼び覚まし、同時に傷を癒していく。そして、メロンの濃厚な甘さと満腹感が、彼らの冷え切っていた心を、温かいお茶の間の記憶ごと優しく包み込んでいった。
「……あ……う、うわぁぁぁんっ……! 痛い……痛いよぉ……! お腹空いたよぉ……!」
完璧な笑顔のディストピアが崩れ去った瞬間。
そこには、マニュアルを捨てて年相応の子供に戻り、武器を投げ出して大声で泣きじゃくる少年少女たちの姿があった。
「……ふぅ。これで、最初の『お掃除』は完了やな」
うちは泣きじゃくる少年兵の背中を、トングの先で優しくトントンと叩いてやった。
トラウマを乗り越えたオカンと、見事に成長し覚醒した一番弟子。
笑顔のブラック社会・アルビオン帝国本土を根底からぶっ壊すための、特大のガサ入れが、いよいよ本格的に幕を開けたんや!
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