第221話 笑顔のディストピアと、弾き返された飴ちゃん
ルミナの海で、皇帝直属の無敵艦隊・本隊五百隻を完全に「特売のワゴン(地雷原)」に沈めてから数日。
拿捕した真っ白な帝国船も自陣に組み込み、さらに規模を膨れ上がらせた『オカン・ユニオン世界連合軍』は、ついに西の海の果て――世界最大の覇権国である『神聖アルビオン帝国・本土』へと上陸を果たした。
「……ここが、すべての理不尽な法律と、環境破壊を生み出している『元請け(本社)』のお膝元か」
アレンが、西の大陸の長剣の柄に手を当て、油断なく周囲を睨みつける。
大和郷から来た佐吉や久義、そして海賊のガトーたちも、どんな地獄のような防衛線が待ち受けているのかと、武器を構えて極度の緊張状態にあった。
……やけど。
分厚い防波堤を越え、本土の港町へと足を踏み入れたうちらは、目の前に広がる光景に、思わずポカンと口を開けてしもうた。
「なんだ、こりゃあ……」
ガトーが、拍子抜けしたようにデコ魔導銃を下ろす。
そこに広がっていたのは、黒煙を上げる工場でも、奴隷が鞭打たれる悲惨なスラムでもなかった。
チリ一つ落ちていないほどピカピカに清掃された、白亜の美しい石造りの街並み。
そして、通りを行き交う市民たちは、誰もが清潔な服を着て、ニコニコと穏やかで『幸福そうな笑顔』を浮かべながら、それぞれの仕事に励んどったんや。
「……あれ? 帝国って、もっとドロドロのブラック企業やと思とったんやけど。みんな、えらい楽しそうに働いとるやんか」
うちは特大のサングラスを押し上げ、首を傾げた。
荷車を引く若者も、パンを焼く老婆も、みんな満面の笑みで互いに挨拶を交わしている。街全体が、信じられないほどピースフルな空気に包まれとるんや。
「……静江さん。騙されないでください。彼らの『中身』は、異常です」
背後で、インテリ眼鏡を光らせたカイルが、手元の魔力測定器をジッと見つめながら、背筋が凍るような冷たい声を上げた。
「異常? どないしたんや、カイルちゃん」
「……この街にいる市民全員の、生命力と魔力の波長です。……極限まで摩耗し、枯渇寸前になっている。普通なら、立っていることすらできず、激痛と絶望でのたうち回っているはずの数値です。なのに……なぜ、彼らは誰も『苦痛』を感じていないんだ……?」
カイルの言葉が、ひんやりとした恐怖となってうちらの背筋を撫でた。
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その直後やった。
うちらの目の前を、自分の背丈の三倍はあろうかという巨大な鉄材を背負って歩いていた壮年の男が、突然「ガクッ」と膝を折り、前のめりに倒れ込んだ。
「おっちゃん!」
うちが慌てて駆け寄ろうとしたが、男はピクリとも動かない。
目を見開いたまま、その顔には『満面の笑み』を貼り付けた状態で、完全に息を引き取っとった。過労による突然死や。
だが、さらに異常だったのは、周囲の市民たちの反応やった。
人が倒れて死んだというのに、彼らは悲鳴を上げることも、助けを呼ぶこともせず、ただ穏やかな笑顔のまま、その男の遺体を囲んでパチパチと『拍手』を送り始めたんや。
「……ああ、なんて素晴らしい。彼は皇帝陛下のために、自らの命を最後の一滴まで使い切ったのですね」
「ええ。これこそが、我らアルビオンの民の最高の幸福。彼もきっと、今頃天国で陛下に褒めていただいていることでしょう」
誰一人として、悲しまない。
過労死を「幸福な自己犠牲」として心から賛美し、遺体はすぐに笑顔の清掃員たちによって、まるでゴミを片付けるように手際よく回収されていった。
「……な、なんやこれ……。気持ち悪い……!」
うちは、背中に嫌な汗が流れるのを感じた。
悲惨な労働環境を、力や恐怖で縛り付けているわけやない。
悲しみや苦痛という人間の根源的な感情を、「皇帝への忠誠(幸せ)」という価値観に完全に書き換えている。
これが、一切の不満を生まない、マニュアルと洗脳によって完成された『究極のブラック社会』の正体やったんや。
「……侵入者ですね。報告にあった、東の野蛮人と海賊の寄せ集め」
ふと、前方から鈴を転がすような、無邪気な声が響いた。
うちらの前に立ち塞がったのは、帝国の本土防衛部隊。
……だが、それは屈強な兵士たちではなく、お揃いの真っ白な軍服を着た、まだ十歳にも満たないような『子供たち(少年兵)』の部隊やった。
「子供……!? なぜ、こんな小さな子たちが最前線に!」
アレンが絶句し、剣を抜く手を止める。
少年兵たちは、自分たちの身長ほどもある重たい魔導銃を構えながら、キラキラとした純粋な笑顔で、うちらに向かって言い放った。
「あなたたちみたいな悪い大人をやっつけて、皇帝陛下の盾として死ねるなんて! 私たちは、なんて幸せ者なんでしょう!」
その目には、死への恐怖や、戦わされているという悲壮感は、一ミリも存在せえへんかった。
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「……アホか! どんな理由があろうと、子供が死んでええわけあるかい!」
うちは腹の底から怒鳴りつけ、アイテムボックスの奥深くに両腕を突っ込んだ。
取り出したのは、精神を安定させ不安を取り除くオレンジ色の『オレンジ味』と、前向きな活力を生む赤色の『リンゴ味』の飴ちゃんや。
「あんたら、無理して笑わんでええ! 痛い時は痛いって、怖い時は怖いって泣きなはれ! ほら、これ舐めて、一回頭の中の変なマニュアル、全部リセットせんかい!」
うちは、魔導銃を構える子供たちに向かって、大量の飴ちゃんをバサァァッ! とばら撒いた。
ポスッ、と。
少年兵の一人が、飛んできたオレンジ味の飴を空中でキャッチし、不思議そうにそれを口に含んだ。
これまでの大和郷や魔の海域なら、これを舐めた瞬間、どんなに狂った連中でも憑き物が落ちたように正気を取り戻し、オカンのお節介に屈してきた。
……だが。
飴を口にした少年兵は、クスリと可愛らしく笑うと、ペッ、とそれを足元の石畳に吐き出したんや。
「……あ、甘くて美味しいですね、おばちゃん。でも、私たちにはこんなお菓子、必要ありません」
「……え?」
「だって、私たちの心はすでに、皇帝陛下への愛と幸福で『完璧に満たされている』んですから。……これ以上、何も必要ないんです。撃て!」
バキュゥゥンッ!
無邪気な笑顔のまま放たれた魔力弾が、うちの頬をかすめ、背後の石壁を粉砕した。
効かない。
オレンジ味の『精神安定』も、リンゴ味の『ポジティブ思考』も、彼らには全く意味がなかった。
恐怖も不安もなく、すでに異常なほど精神が安定し、死に向かって最高にポジティブに振り切っている彼らには、おばちゃんのサプリメント(飴ちゃん)が効く余地なんて、一ミリも存在せえへんかったんや。
「……静江さん! 危ない、下がってください!」
アレンが前に出て、風の防壁で少年兵たちの射撃を防ぐ。
だが、うちは特大のゴミ拾いトングを持ったまま、その場に立ちすくんでしもうた。
(……あかん)
頭の奥で、強烈なノイズが走る。
前世の大阪で、良かれと思って息子に自分の価値観(お節介)を押し付けすぎて、結局「お母さんのやり方は、僕には合わないんだよ」と、静かに、けれど決定的に拒絶された、あの時のトラウマ。
(……本人が『これが最高の幸せなんや』って、心から信じ込んで笑ってるのに。……外から無理やり『あんたは洗脳されてる、不幸なんや』って押し付けるんは……。それこそ、ただのオカンの『自己満足』なんとちゃうか……?)
武器を向けられているのに、動けない。
最強のオカンのサプリメントが通用しない、笑顔に満ちた完璧なブラック社会。
神聖アルビオン帝国本土での戦いは、静江の心に『かつてない激しい迷い』を生み出しながら、最悪の形で幕を開けたんや。
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