第19話 渇いた権力者と、最後の大商談
地下の湿った闇を抜け、噴水の隠し扉から地上へと這い出した時、ルミナの街は未曾有の「静寂」に包まれていた。
広場の噴水からは、かつてないほど清らかな水が勢いよく噴き出し、虹を作っている。けれど、その水が流れていくはずの、北の侯爵領へと続く水路は――うちらが地下の「弁」を切り替えたことで、完全に干上がっていた。
「……静江さん。見てください、北の空から伝令の鳥が何羽も飛んできます。侯爵領の灌漑施設が止まったことに、向こうも気づいたみたいですね」
アレンが剣の血(といっても水の精霊の残滓やが)を拭いながら、街の北側を見据える。その横で、カイルは地下で流した涙をすっかり乾かし、いつもの「食えない男」の顔で噴水の水を手に受けていた。
「素晴らしい。……今頃、本家の美しい庭園も、自慢の穀倉地帯も、泥遊びすらできないほどカサカサに乾いている頃だ。……さて、静江さん。地獄の沙汰も『水』次第。どう料理するんだい?」
「料理も何も、うちはただの占い師や。……ただ、喉が乾いて困ってるお客さんがおるなら、高いお茶代(相談料)をいただくのが商売の筋やろ?」
うちはサテンのヒョウ柄ブルゾンをバサッとはためかせ、ファスナーを胸元まで引き上げた。ブルゾンの金色の輝きが、ルミナの朝陽を受けてギラリと街を威圧する。
酒場『黄金の樽亭』に戻ると、そこにはすでに「獲物」を待つ狩人のような顔をしたバネッサが、帳簿を広げて待ち構えていた。彼女の目は、地下でのしんみりした様子など微塵も感じさせない、冷徹な「商売人」の光を湛えている。
「静江、いい仕事をしたね。……侯爵領の主要な水路が完全に止まったことを確認したよ。……さぁ、バルトロが来る前に、うちらの『請求書』をまとめようじゃないか」
そこへ、案の定、馬の嘶きと共にバルトロが血相を変えて飛び込んできた。
昨日のような高慢な態度はどこへやら、その顔は土色に変色し、喉を鳴らしながら必死に言葉を絞り出している。
「……静江! 貴様、何をした! 侯爵領の水が……水が止まった! これは明らかな敵対行為、いや、テロだ! 今すぐ元に戻せ!」
うちはカウンターにどっかと座り、女将のマーサが淹れてくれた、わざと熱々のエール(この世界ではおなじみやが)をゆっくりと啜った。
「テロぉ? 人聞き悪いこと言いなはんな。うちはただ、街の『心臓』に詰まってたゴミを掃除しただけや。……結果として、おじいさんの代の『本来の契約』通りに水が流れるようになった。……あんたらのところに水が行かへんのは、あんたらの土地に流れるはずの権利を、あんたら自身が捨てたからやろ?」
「な、何を……!」
「バルトロさん。あんた、喉カラカラやろ。……これ、飲むか?」
うちは熱湯のようなエールを差し出した。バルトロが思わず手を伸ばそうとした時、バネッサがその手前に、さらに分厚い羊皮紙を叩きつけた。
「水が欲しければ、まずはこれにサインしな。……侯爵領によるルミナへの経済封鎖の即時解除。これまでの損害に対する倍額の賠償。そして――今後、ルミナの自治権に一切干渉しないという永久契約だ」
バネッサの提示した条件は、侯爵家にとって「敗戦国」並みの屈辱的な内容やった。バルトロの手が震える。
「……ふざけるな! そんな条件、私が飲めるはずが――」
「飲めへんのなら、ええよ。……あんたらの領地の小麦、あと三日で全部枯れるで。……『塔』の正位置。……あんたのプライドと一緒に、侯爵家の威信もバラバラに崩れ落ちる。……それがカードの告げてる運命や」
うちはタロットの一枚を、バルトロの目の前に突きつけた。
ギャルギャルしい派手なネイルが、彼の焦燥感をさらに煽る。
「……それにカイル。あんたからも、お兄ちゃんに何か言うことあるんちゃうか?」
背後で影に徹していたカイルが、ふらりと前に出た。彼はバルトロの首筋に顔を寄せ、凍りつくような冷笑を浮かべた。
「……バルトロ。兄上に伝えろ。『余り物』の私は、泥水でもすすって生き延びる術を知っている。……だが、王都の貴族たちを招いて来月開かれるはずの『収穫祭』。……水のない枯れ果てた庭で、泥だらけの小麦を出しても、彼らは喜んでくれるかな?」
バルトロの膝が、ガクガクと音を立てて崩れた。
権力、名声、そして法。
それら全てを積み上げても、たった一粒の「水」の重みには勝たれへん。
「……わ、分かった。……契約だ。……全ての条件を飲む。……だから、今すぐ水を……!」
「商談成立や。……バネッサさん、きっちり回収頼むで」
バルトロが震える手で署名した瞬間、うちはアイテムボックスから、真っ赤な「イチゴ味」の飴を一粒、彼の口に放り込んだ。
「……商売繁盛や。……これ舐めて、大急ぎで本家まで報告に走りなはれ。……あ、カイル。あんたももう、その酒場の隅っこで暗い顔して酒飲むんはおしまい。……これからは、この街の『新しい流れ』を作る手伝い、してもらうで」
「……はは。君の使い走りにされる方が、侯爵家を継ぐよりよっぽど刺激的そうだ」
ルミナの街に、勝利を祝う鐘の音が鳴り響く。
経済封鎖は解かれ、水は流れ、街に活気が戻ってきた。
うちは、店の外で待っていたエルゼと目が合った。
領主として、そして一人の女として立ち上がった彼女は、深い礼を持ってうちに頭を下げた。
「静江さん。……あなたは、この街の真の守護者です。……何とお礼を言えば良いか……」
「お礼なんてええって。……うちはただの、おせっかいな占い師や。……お礼は、マーサさんの酒場で一番高いエールと、アレンへの新しい剣。……あと、飴ちゃん一袋でええよ」
うちはガハハと笑い、ヒョウ柄のブルゾンを翻した。
見た目はギャル、中身は最強のオカン。
大阪のおばちゃんを敵に回した権力者の末路は、いつだって「喉の渇き」と「大赤字」に決まっとるんやから。
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