第17話 審判の逆位置と、闇を照らすヒョウ柄
地下水路への潜入を数時間後に控えた、深夜の『黄金の樽亭』。
昼間の喧騒が嘘のように静まり返った酒場のテーブルで、うちは独り、タロットを繰っていた。アレンは厨房の奥で松明や予備の油の用意をし、カイルは窓際で、魔法灯の淡い光に照らされた夜の街を無言で眺めている。
静寂の中で、厚手のカードが弾けるバシッ、バシッという乾いた音だけが、夜の空気に溶けていく。
ふと、うちは指先に、氷を押し当てられたような刺す冷気を感じた。
「……何だい。不敗の占い師様が、珍しく顔を強張らせているじゃないか。星の並びでもお気に召さないのかな?」
カイルが振り返り、面白そうに目を細めてグラスを傾ける。その軽薄な口調とは裏腹に、その瞳にはどこか鋭い観察者の色が混じっていた。
うちは、テーブルに叩きつけられた最後の一枚――逆さまに描かれた、天使がラッパを吹き鳴らす図案をじっと見つめていた。
「『審判』の逆位置。……過去のツケが回ってくる、あるいは……逃れられへん再会や。あの子らへの占いとは別に、うち自身の運命に『不確定な影』が混じり込んどるわ」
不老不死として、この世界で数十年の時をやり過ごしてきた。大抵のことは想定内、適当なハッタリとおばちゃんの知恵で乗り切れると思ってた。けど、このカードが指し示すのは、うちがこの世界に来た「根源」に関わる何かが、地下の暗闇に眠っているという不吉な予感やった。
「……静江さん。準備、整いました」
アレンが革の防具の紐をギュッと締め、腰の剣の重みを確かめながら戻ってきた。その表情は、かつての路地裏で震えていたひ弱な青年とは別人のように、鋼のような強さを宿している。
「よし、行こか。バネッサさん、あんたも『現場』を見届けてもらうで。……商人なら、自分の投資先がどないな地獄になっとるか、その目で確かめるのが筋やろ?」
酒場の裏手、影のように潜んでいたバネッサが、苦虫を三匹くらい噛み潰したような顔で現れた。彼女は豪華な毛皮を羽織りつつも、その下には動きやすそうな旅装束を纏っている。
「……フン、当たり前だよ。もしあんたたちが地下で野垂れ死んだら、ギルドが被る損害は計り知れないからね。……これを持っていきな。ギルドの秘密倉庫から出してきた、『消えない灯火』だ。光量も持続も普通のものとは格が違う。あんたたちの命と同じくらい高いんだよ」
バネッサが手渡してきたのは、魔力結晶を精巧な銀の細工で埋め込んだ棒やった。
単に怯えるだけやない。最悪の事態を想定して、最高級の備品を無償で供出する。それが彼女なりの「おばちゃん連盟」への誠実さ、あるいは執念やった。
「助かるわ。……さぁ、ルミナの『心臓』を覗きにいくで」
市場の広場。昼間の賑わいが嘘のように静まり返った噴水の裏に、古びた鉄格子の入り口があった。カイルが持ってきた、本家の奥深くに秘蔵されていた「秘密鍵」が重々しい音を立てて回り、うちらは未知の闇の中へと一歩を踏み出した。
地下水路の空気は、重く、粘りつくように湿っていた。
特注のサテン生地で作られたヒョウ柄ブルゾンが、狭い通路を歩くたびにシャカシャカと異質な音を立て、この世界に馴染まない異物感を主張する。マジック・トーチが放つ青白い光が照らし出すのは、幾百年もの間、街の排泄物と生活の全てを見守り続けてきた巨大な石造りの迷宮や。
「……静江さん、止まって!」
アレンが鋭い声を上げ、うちの前に腕を突き出した。
彼が足元の石床を剣の先で慎重に叩くと、カチリと乾いた小さな金属音が響き、直後、頭上の隙間から錆びた鉄の針が雨のように降ってきた。
「侯爵家の仕掛けた罠か……? いや、もっと古い。……この水路自体が、招かれざる客を拒絶しているようだ。……あるいは、何かを閉じ込めているのか」
カイルが壁の刻印を指でなぞる。そこには、侯爵家の紋章ではなく、さらに古い時代の、尾を噛む「蛇」の図案が刻まれていた。
「『隠者』の正位置。……右や。アレン、罠は右の壁の裏、三歩先の継ぎ目にある。……この水路、ただのドブやない。……誰かの『意志』が、この底なしの闇を守っとるわ」
うちはカードの導きに従い、迷いなく闇の深部へと進む。マジック・トーチの光を反射する水面が、ときおり生き物のようにうねるのが見える。
やがて、うちらの前に巨大な円形の貯水槽が現れた。ルミナ全域の水が集まり、そして運命の分岐点のように分かれていく「心臓の弁」が、そこにはあった。
だが、その中心――水を分岐させる巨大な石のレバーの前に、一人の『先客』がいた。
ボロボロの法衣を纏い、もはや人かどうかも判別できないほど干らびた老人が、虚空を見つめて座り込んでいる。その姿は、時が止まった石像のようやった。
「……あれは。……侯爵家の、数代前に行方不明になった記録官……? なぜこんな場所に」
カイルの声が、初めて震えた。老人の首には、カイルが持っていたものと同じ、侯爵家次男の印章が刻まれた銀のペンダントが、虚しく揺れていた。
「……カイル。あんたの探してた『誰か』のルーツは、ここにあったんやな」
老人がゆっくりと頭を上げた。その瞳には光はなく、ただ「契約」という名の呪縛に縛られた亡霊のような執念だけが宿っている。
「……水を、渡さぬ。……契約は、永遠だ。……侯爵の土地、侯爵の血、侯爵の、水……」
老人が杖をドォンと叩くと、水路の水が牙を剥くように盛り上がり、巨大な水の蛇となってうちらに襲いかかった。
「アレン! 下がって! 飴ちゃん食べなはれ!」
うちはアイテムボックスから、鮮やかな赤色の飴と、爽やかなオレンジ色の飴をアレンに放り投げた。アレンはそれを空中で受け取ると、迷わず同時に噛み砕いた。
「……静江さん、ここは任せてください。……僕が、あなたの占う『未来』への道、こじ開けて見せます!」
アレンの身体が、一瞬、虹色の光を帯びたように輝いた。
彼は猛烈な勢いで迫る水の蛇の「核」を――静江のカードが示した一瞬の淀みを見抜き、電光石火の速さで一閃した。
激しい飛沫が舞い、ヒョウ柄のブルゾンがぐっしょりと濡れる。
だが、うちが見つめていたのは、水の蛇やない。……崩れ落ちる老人の背後の空間に、ゆらりと浮かび上がった十八番目のカード――**『月(The Moon)』**の図案やった。
そのカードの表面は、まるで鏡のように、うちの「隠された真実」を映し出そうとしとる。
「……『審判』に続いて、『月』か。……カイル、あんたの復讐も、うちの正体も、このドブ川の底で決着をつけなあかんみたいやな」
地下の暗闇で、マジック・トーチの青白い光とヒョウ柄のサテンが、不敵な、そしてどこか哀しい光を放っていた。
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