第116話 耳鳴川の鎧洗いと、オカン流・泥汚れの落とし方
山の怪火を「焼き芋」で供養したうちらは、さらに北上し、かつて大和郷を二分する激戦が繰り広げられた国境の川、『耳鳴川』へと辿り着いた。
ここは、大伴家の五万の大軍が、おばちゃんの「特売ダッシュ戦術」に引っかかって泥沼に突っ込み、壊滅した因縁の古戦場や。
「……おばちゃん。この近くの村の人たち、みんな川に近づかないようにしてるよ」
街道沿いの茶屋で、リリルがお茶をすすりながら不思議そうに外を眺めとる。
茶屋の親父さんに話を聞くと、戦が終わってからというもの、この耳鳴川に奇妙な怪異が棲み着いてしもうたらしい。
「夜になると、川辺から『シャカ……シャカ……』と、何かを必死に洗うような音が聞こえてくるんでさぁ。気になって近づいた若い衆が、泥まみれの青白い手に川底へ引きずり込まれそうになってな。恐ろしくて、誰も川魚を獲りに行けねえんですよ」
「シャカシャカ、なぁ。小豆でも洗う妖怪かいな」
「いや、それが……『落ちない……私の銀の鎧から、泥が落ちない……』って、恨み言を言ってたそうで……」
それを聞いて、アレンが「あっ」と声を上げた。
「静江さん、それってあの時の……」
「せやな。泥水すすって死んだエリートたちの、厄介なプライドがこびりついとるみたいやわ。しゃあない、今日の宿代代わりに、おばちゃんが『洗濯』したるか」
その夜。
川のせせらぎだけが響く耳鳴川の土手に、うちはパイプ椅子を広げて座っとった。
やがて、親父さんの言った通り、川の浅瀬から『シャカ……シャカシャカ……』という、布や金属を水で擦り合わせるような音が聞こえてきた。
「……アレン、リリルちゃん。ちょっと視せてもらうで」
うちはアイテムボックスから特大の水晶玉を取り出し、両手でそっと触れた。
視界がカチッと切り替わる。
川辺には、数十体の青白い「亡霊」たちがうずくまっとった。
彼らは皆、かつて大伴軍の先陣として豪華な鎧を着ていたエリート武将たちや。あの若き猛将・田和の姿もある。彼らは泣きそうな顔で、自分たちの泥だらけになった鎧を、川の水で必死に洗い続けとった。
『……落ちない……。私の、輝く銀の鎧が……』
『……こんな泥まみれの無様な姿で、大伴の歴史に名を残すなど……。嫌だ、綺麗にしてくれ……』
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水晶を通じて、彼らの『プライドを泥にまみれさせられた屈辱感』が、うちの精神に直接流れ込んでくる。
途端に、激しい精神的疲労が押し寄せ、視界の端にザザッとノイズが走った。
一瞬だけ、前世の大阪で、おろしたての勝負服(ヒョウ柄のブラウス)を着て出かけた日に、通りすがりの車に泥水を思いっきり跳ねられた時の、あの「絶望と屈辱」の記憶が重なって見えたわ。
(……あー、わかる。わかるで。お気に入りの服が汚れるん、ほんまに腹立つよな……)
うちは、彼らの無念に強く共感しそうになる意識を、アイテムボックスから取り出した「ハチミツ味」の飴ちゃんを奥歯でガリッと噛み砕くことで、無理やり現在に引き戻した。
濃厚な甘さが脳を叩き起こし、幻覚のノイズを散らす。
「……静江さん。浄化しますか?」
アレンがモップ槍を構えるが、うちは水晶玉から手を離し、立ち上がった。
「浄化やない。『お洗濯』や。……あんたら! いつまでそんなとこでシャカシャカやっとんねん!」
うちが川辺に向かって怒鳴ると、亡霊たちがビクッと肩を震わせ、恨めしそうな目でこちらを睨んできた。
『……我らを泥に沈めた妖術使いの女……! 貴様のせいで、我らの誇りは……!』
「誇りがどうの言う前に、あんたら、洗濯の基本が全然なっとらんわ! 泥汚れっちゅうのはな、水だけで洗っても絶対に落ちへんのや!」
うちは川辺までズンズンと歩み寄り、彼らが洗っている霊的な鎧を指差した。
「泥はな、繊維や金属の隙間に入り込むんや! それを水で濡らして擦ったら、余計に奥まで泥が入り込んで落ちんようになるやろが! エリートのくせに、自分の服の洗い方も知らんのか!」
『な、なんだと……!?』
「ええか! 泥汚れを落とす鉄則は、まずは『完全に乾かす』こと! そして、乾いた泥をパンパン叩いて落としてから、固形石鹸で揉み洗いするんや!」
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うちはアイテムボックスから、前世から愛用している緑色の『特製洗濯石鹸』と、木製の『洗濯板』を取り出した。
さらに、アレンに向かって無茶振りの指示を飛ばす。
「アレン! あんたの槍を扇風機みたいに高速でグルグル回して、こいつらの鎧にまとわりついてる湿気と泥を、一気に『乾燥』させなはれ!」
「えっ? 槍で風を……!? わ、わかりました、やってみます! はあああッ!」
アレンがモップ槍をプロペラのように猛烈な勢いで回転させると、川辺に強風が吹き荒れ、亡霊たちの霊的な鎧にこびりついていた泥が、カラカラに乾いて砂のようにパラパラと落ちていく。
「よし、今や! その乾いた泥を、峰打ちでバンバン叩き落としなはれ!」
「任せてください! はああッ!」
アレンが絶妙な力加減で鎧を叩くと、頑固な泥が面白いように吹き飛んでいく。
「よし! 仕上げはこれや!」
うちは、洗濯板の上で「オレンジ味(精神安定)」の飴ちゃんを砕いて溶かした特製石鹸を泡立て、田和の鎧をゴシゴシと力強く洗い始めた。
「……あんたら、負けたんが悔しいんやない。最後の姿が『無様』やったのが許せんだけやろ。おばちゃんが、特売の洗剤でピカピカに磨き上げたるわ!」
飴ちゃんの魔力が溶け込んだ泡が、エリートたちの「泥にまみれた屈辱感」を優しく包み込み、分解していく。
『……あ、ああ……。私の……私の銀の鎧が……』
田和の鎧が、生前よりも眩いばかりの銀色の輝きを取り戻した。
彼らの顔から、怨念と屈辱がスゥッと消え去り、誇り高き武将としての凛とした表情が戻ってくる。
『……かたじけない、異国の占い師殿。我らの誇り、確かに取り戻した……。これで心置きなく、武士として天へ還れる……』
田和をはじめとする大伴軍の亡霊たちは、美しく磨き上げられた鎧を纏い、満足げな笑みを浮かべて、次々とキラキラとした光の粒になって夜空へと昇っていった。
「……消えましたね。川の澱みも、完全に晴れました」
アレンがモップ槍を下ろし、星空を見上げる。
「せや。プライドが高い奴ほど、汚れを引きずるもんや。綺麗にしてやれば、案外素直なもんやで」
うちは洗濯板と石鹸をボックスに仕舞い、腰をポンポンと叩いた。
「さてと! 明日は川魚がぎょうさん獲れるやろから、朝ごはんは塩焼きやな! ……それ食べたら、次は西の『泥田畷』に向かうで。あそこには、あのデカい熊さんの『未練の脂』がべっとり残っとるはずやからな!」




