第110話 商売人の撤退と、北の港の温かい再会
タヌキ軍が誇る二大巨頭。
赤備えの猛将と、生涯無傷と謳われた豪傑が、たった一人の派手な女の「飴玉」と「説教」によって、戦意を完全に喪失し、泥の中で毒気を抜かれたようにへたり込んでいる。
その信じられない光景を目の当たりにした後続の精鋭部隊は、恐怖で完全に凍りついとった。
「あ、あの赤備えの隊長が……! あんな空飛ぶデカい石(水晶玉)で遊ばれるなんて……!?」
「ひぃぃッ! 妖術だ! もはや人間業ではない、あれは本物の化け物だ!」
「近づくな! あの女の言葉を聞いたら、骨の髄まで狂わされるぞ!」
最強の矛が折られたことによる、致命的なパニック。
それは、最前線から波紋のように広がり、数万のタヌキ軍の「追撃の意志」を、根元から完全にポキリとへし折ったんや。
その報告は、すぐさま後方の安全な高台に陣を敷いていた、タヌキ親父の本陣へと届けられた。
「……何だと。あの二人が、手も足も出ずに足止めされたと申すか」
タヌキ親父は、報告を聞いて床几から立ち上がり、手にした軍扇をギリッと強く握りしめた。
彼からすれば、関白の本城を奪い、疲弊した薩摩を背後から蹂躙するという、百パーセント勝てるはずの盤面やった。それが、たった一人の「規格外の異物」によって、最精鋭の部隊が機能不全に陥らされた。
「殿! このままでは、薩摩の主力も、あの妖女も北へ取り逃がしてしまいます! 関白の領地も奴らの手に……! 全軍をもって、力押しで蹂躙すべきです!」
血気盛んな家臣が声を荒げるが、タヌキ親父は深々と息を吐き、扇子をパチンと閉じた。
「……ならん。これ以上精鋭を無駄に失うのは、今後の天下運営に障る」
「し、しかし……!」
「我が軍の真の強さは、無傷の大軍を温存していることにあるのだ。あの得体の知れない女の狂気に付き合い、兵をすり減らすのは下策の極み。……深追いはやめよ」
それは武士としての意地ではなく、極めて冷徹な「商売人としての損得勘定」による撤退の判断やった。
タヌキ親父は、はるか北へと逃れていく薩摩の軍勢を、底知れぬ暗い瞳で見つめながらポツリとこぼした。
「……勝たせておけ。いずれ天下は、すべて私のものになる。……今は、な」
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背後から迫っていた地鳴りのような足音と殺気が、完全に消え去った。
険しい山道を抜け、北の冷たい海風が頬を撫でる場所まで駆け抜けたところで、ずっと先頭を走っていたアレンが、ふっと立ち止まって肩の力を抜いた。
「……静江さん。追っ手が、止まりました。完全に気配が消えています」
アレンは、泥と返り血でボロボロになりながらも、剣を鞘に納め、心底ホッとしたような……そして誇らしい爽やかな笑顔をうちに向けてきた。
「僕ら、たった六人で……数万の大軍相手に、本当にやり切ったんですね」
「せや! あんたの神速の剣と、おばちゃんの特売ダッシュのおかげやで! ……みんな、よう怪我せんと生き残った! 百点満点のタイムセール撤退戦や!」
うちは、一緒に走ってきた四人の鉄砲隊の肩をバシバシと叩き、ガハハと笑った。
そして、その先の坂を下りきった眼下。
北の海に面した良港『金ヶ崎』には、いつでも出航できるように帆を張った無数の船と、うちの帰りを今か今かと待ち構えていた薩摩軍の本隊が陣取っとった。
「あっ! 見ろ! 山から降りてきたぞ!」
「おばちゃーーーん!!」
港の入り口で、泥だらけになった佐吉と、若殿の久義が、遠くにうちのヒョウ柄のポンチョとアレンの銀髪を見つけるなり、喉がちぎれるような大声で叫んで、猛ダッシュで駆け寄ってきた。
「無事だったか! ずっとハラハラしてたんだぜ!」
佐吉が泣きそうな顔でうちのポンチョに縋り付いてくる。
「おばちゃーんっ! よかった、よかったよぉっ……!」
久義から預けられていたリリルも、短い足で一生懸命走ってきて、うちの足にダイブして大号泣しとる。
「よしよし。おばちゃんが、こんなところでくたばるわけないやろ。久義、リリルちゃんを無事に送り届けてくれて、おおきにな!」
「当然だ。我ら薩摩の誇りにかけて、指一本触れさせはしなかった!」
久義も泥だらけの顔で、ニカッと不敵に笑う。
その賑やかな再会の輪の後ろから、天才軍師の二人……黒戸と半月が、信じられないものを見るような顔でゆっくりと歩み寄ってきた。
「……我々が残した書き置きの通り、船の手配は完璧に済ませておきましたが。……まさか、本当に全員無傷で、あの数万のタヌキ軍を振り切ってくるとは」
黒戸が算盤を握りしめたまま、呆然と呟く。
「ええ。たった六人で数万を止めるとは。もはや軍略などという言葉では、到底説明がつきませんな」
半月が、苦笑いしながら深くため息をついた。
「せやろ? 軍略より、主婦の『生活の知恵』の方が強いんや。……ほら、二人とも。待たせたお詫びに、これ舐めなはれ」
うちはアイテムボックスから、オレンジ味とメロン味の飴ちゃんを取り出し、胃を痛めかけていた両兵衛の口にポイッと放り込んだ。
「んぐっ……。相変わらず、強引な甘さだ……」
「しかし、この甘みが……今の我らには、何よりの救いですね」
飴を舐めた天才軍師たちが、毒気を抜かれたようにふっと肩の力を抜いて微笑む。
関白を討ち倒し、タヌキ親父の裏切りという絶体絶命の危機を、泥臭い「前進退却」で見事に潜り抜けた薩摩の軍勢。
冷たい北の港に、おばちゃんの豪快な笑い声と、無事を喜ぶ仲間たちの温かい声が、いつまでも響き渡っとったんや。
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