悲鳴
「これなきゃ吸えないじゃん。どうしたんだろ」
堀井ユリはまるで最悪の事態を想定するような顔で周囲を見渡す。
「普通に落としただけじゃない?」
「いや、それは無いと思う。なんかあった気がする」
「そうかな……」
「そうだよ。だって電子落とすなんてありえなくない?」
半信半疑な福爲に堀井ユリは苛立ちを滲ませた。そこまで言われると、自分が悪者になったような気がして福爲は戸惑う。
「一旦ハヤトのところ戻ろう」
堀井ユリが踵を返し──福爲の後を見て、ざっと顔色を青くした。
堀井ユリは魅入られるように福爲の背後を見ている。
「キャァァアアッ」
空間を切り裂くような悲鳴が堀井ユリのものだと理解するまで、時間がかかった。目の前の人間が突然叫びだす異常事態に福爲は反射で後ずさるが、代わりに堀井ユリはまるで福爲から逃れるように後ずさり、血相を変え走り出す。追いかけたほうがいいのか追いかけたら怖い目に合うか分からない。福爲はおそるおそる後ろを振り返る。
ただの廊下が続いてるだけだ。なにも異変は無い。
突然、堀井ユリが何かに怯えて叫びだした。一人で行ってしまった彼女の身は確かに危ないと感じるが、助け出そうという正義感より、現状維持への自己保身が勝る。
「どうした!」
やがて辺見ハヤトが平野マナと共に駆けてきた。それまで息を押し殺していた福爲は、ほっと安堵する。
「堀井が、なんか、突然走り出して……」
「え、それでどこ行ったの」
「わ、分からない。突然、そんな感じになって……」
戸惑う福爲に平野マナは「それで福爲は⁉」と問い詰める。
「え?」
「追わなかったの?」
責めるような口調に喉が締まる。何を言っても不正解な気がして言葉を選んでいると、「どこに行った?」と平野マナが追い打ちをかけてきた。
「いや、で、出口のほう……?」
「……っ」
平野マナは福爲を睨みつけた。そして堀井ユリを探そうとしているのか、福爲の差したほうへ走っていく。
「ってかヒロキは?」
辺見ハヤトが落ち着いた調子で聞いてきた。感情的ではない聞き方に、福爲は「なんか……電子タバコの機器だけ、床に落ちてて……」と答える。
「煙草は」
「堀井がなんか、拾ってて、なんかあったって言ってる途中で……叫んで、走ってった」
「まじか……。なんだろ」
辺見ハヤトは考え込む。
「だから、色々分かんないって言うか……平野行っちゃったし」
自分は悪いことをしていないはず。なのにどことなく言い訳がましい気もする。福爲は自分の説明に不安を覚えつつ、平野マナが走っていった方向を見た。
「まぁ、俺も分かんないけど、平野は……なんだろ、あんな感じじゃん? いつも」
辺見ハヤトの言う通りだった。平野マナはあんな感じだ。何かにつけて憤りをみせる。自分の世界を持っている人間だからか、こだわりも強く、どことなく自分に迎合できないものを見下しているふしすらある。だから、ああいうふうな態度を取られたことに、自分の責任はないはずだ。それに堀井ユリは突然叫びだし、逃げて行った。そんな女を追うのは、男としてリスクがある。逃げる女を追うなんて犯罪者みたいだし。
だから、自分は悪くない。仕方ない。
「じゃあ、とりあえず追うかぁ」
しかし、福爲の結論とは正反対のことを辺見ハヤトは言う。
「え」
「だってヒロキもいないしさ、撮影できないし……ってかワンチャン映像に使えるかもしれないじゃん? 台本無い、リアルな映像……ありのまま、本編に使えなくてもさ、動画でフックとして流すのアリ寄りのアリでしょ」
そう言って辺見ハヤトはスマホのカメラアプリを起動する。
「だ、大丈夫かな、なんか、やばい気が……」
「堀ユリがなんか、オーバードーズとかしてたらあれだけど、普通に木とか陰の錯覚とかでビビってたら、何の問題もないし。そういうのは堀ユリちゃんとしてるでしょ、将来女子アナなるんだから」
辺見ハヤトは当然のように言い、スタスタ歩いていく。置いて行かれたくない福爲は、その後を渋々追った。
緊急事態の、撮影。よくある演出だ。ネットに流れる緊急で動画を回していますの表現は、今やありふれたもの。だから──こうした撮影もありふれたもの。いつか辺見ハヤトがアップして、再生数が稼げれば橋本ヒロキがはしゃぎ、芳しく無ければ平野マナが毒づく。
その想像は解像度の高さとは裏腹に、不思議なくらい、確信が持てなかった。




