幽霊
「なにそれ」
平野マナの声にハッとする。福爲が顔を上げると、平野マナが福爲の膝の傍に視線を向けていた。そこには荒破から貰った札とお神酒がある。
「それね編集者から貰ったらしいよ。スピ系。御朱印みたいなのついててさ、かなりガチっぽくない? なんか隅々までバーッて文字書いてあるし」
堀井ユリが馬鹿にしたように紹介する。確かに札には、四隅に至るまで空白を塗りつぶすかの如く、筆文字で何書かれていた。
「それにさ、変な壺まで渡されてて」
変な壺──というのはお神酒だった。陶器の小鬢であり、映画やアニメなど、神社や神棚の場面で出てくるような一般的なお神酒の陶器。しかし堀井ユリはあまり見慣れないのだろう。ホラー映画も見ないと言っていたし、映像研究サークルに入った理由も映画ではなく動画としての映像だったと語っていた。
一方、平野マナは月に映画を三十本見るようにしている、という正真正銘映画の人間だが、エンタメと現実の区別をはっきり持っているのか、「キモ、こわ」と嫌悪感を露にした。
「何でそんなキモいの受けとってんの」
「えっと」
福爲は言いよどむ。
受け取るときは突然だったこと、怖いとは思ったが気持ち悪いとは思わなかったのが理由だった。そもそも福爲は何かを受け取ることが苦手だ。どう見られているか分からないので、何が正しいのか分からなくなる。
福爲の長い沈黙に呆れたらしい堀井ユリが「あれじゃん。バスに怖いおじさんいたじゃん。あのパターンあるくない?」と目を細めた。
「あ~なんだっけ、なんとかきのちゃんを探してますだっけ」
「そうそう。怖かったもんね。いらないって言っただけで普通あんな怒る? っていう。おじさんにも絡んでたじゃん。うちらみたいなのだから狙ってんのかなと思ったら、普通に平等に絡んでる」
平野マナと堀井ユリが盛り上がる。辺見ハヤトがすかさず「平等とかじゃなくて区別できなくなってんじゃない」と呟いた。
「余計怖くな~い?」
「だから怖いでしょ。ってか普通にバス停で物配って受け取らなかったら追いかけるってもう、都市伝説の亜種みたいになってんじゃん」
「やだ~」
堀井ユリは露骨に嫌そうな顔をする。平野マナは「都市伝説の亜種は言い過ぎでしょ」と、少し冷静に指摘する。
「まぁまぁ、はは」
事の発端であろう辺見ハヤトが宥めに入る。しっくりこない。普段はこの役回りは橋本ヒロキが担う。そういう役回りだから。
福爲は三人に気付かれないように注意を払いながら、お札をポケットに入れ、お神酒もそのままリュックにしまおうとするが、駄目だった。入らない。自分のリュックにしまう。後からお札もリュックで良かったと思うが、もうそれ以上動きたくなかった。いじられたり、ネタにされたくなかった。荒破を守るためというより、注目を浴びたくない。
そうして、福爲は息を殺し、自分を極限まで薄くして、三人を観察する。
ありのまま。
そのまま。
飾らない。
福爲にとってはそのほうが遠い。自分らしさの「らしさが」分からない。それを求められた瞬間、酸素が薄くなって窮屈な気分になる。かといって今のままも苦しい。
幽霊みたいだ。
三人の輪に入ることなく、それどころか三人の目を盗むように、福爲はお神酒の入ったリュックのジッパーを閉じた。
◇◇◇
部屋を出た橋本ヒロキは、廊下を歩いていた。
入ってくるとき、この屋敷を正面から見たが、やくざ映画に出てきそう、古い、としか思わなかった。中の様子は、平野マナに進められ、ギリギリ五分程度シークバーを飛ばし飛ばし見た古い、ジャンルすら定かではない日本の映画でも見た気がするが、タイトルも登場人物の顔もおぼろげだ。
ただ、見る映画に対して「あれで感動できる人って人生浅そう」「見ごたえがないんだよね。素人向けっていうか」と、難しいことを言う平野マナが褒めていた映画に似ている景色なら、多分いいものだろう。
橋本ヒロキは一応あたりを見渡すが、あくまで「一応」だった。撮影は辺見ハヤトの指示に従い、ノリでささっと済ませるものだ。どちらかといえばそれが終わった後の飲みがメイン。そもそも橋本ヒロキは本格的な撮影なんて求めていないし、周りも橋本ヒロキに求めてない。これで自分が知識があったら、こだわりの強そうな平野マナと揉めていたので丁度良かったとも思う。
元々、橋本ヒロキは中学と高校とバスケ部だった。理由はバスケが得意だから以外にない。大学に入り、バスケサークルは将来プロ選手を目指す、既にプロのチームに所属しているような人間がいたので、そういうのじゃないんだよなと温度差を感じ、バンドサークルを選んだ。その後、バンドでPV撮影をするため、機材を借りようと同じゼミの辺見ハヤトに接触したところ、ノリで入ることになった。バンドサークルと映像研究サークルへの参加率は半々。特に何も考えず辺見ハヤトにすすめられるままサークルに入ったが、就職の時にバンドサークルだと不利そうな気がするので、都合が良かった。
この世界には持ってる側と持ってない側がいる。自分は持ってる側になれた。だから、流れに沿って、適当に、ノリで生きていくのが一番。
「すーいすい、すーいすい、はーあ、だる」
靴は玄関で脱ぎ、そのまま置いていていいと老婆に言われたので、橋本ヒロキはその通りにした。結果、長い廊下を歩き玄関まで戻って靴を履き外で煙草を吸わねばならなくなった。
「めんどくせえなあ」
辺見ハヤトは煙草を吸わない。そのため、橋本ヒロキは外で吸うのが常だった。いちいち喫煙所に行くのが面倒なので、サークルの室内を全面喫煙可能にすべく何度かすすめたが駄目だった。
橋本ヒロキは障子が並ぶ廊下を進むが、その中に一つ木造りの扉を見つけた。手洗いでもない。
ただ、扉の上部がわずかに煙っているように見える。
「ワンチャン喫煙所では……持ってるう」
橋本ヒロキはドアノブに手をかける。幸い扉はすんなり開いた。入って駄目な扉なら閉まってる。開いたなら入ってもいい場所。心躍らせて室内に入るが、橋本ヒロキが目にしたのは、想像とは全く異なるものだった。
八畳ほどの薄暗い部屋。
光源は部屋の四隅に置かれた燭台のみ。
入って突き当りの壁には視たことも無いサイズの大きな仏間がある。
天井近くの壁には、年齢も雰囲気も異なる女の笑顔の遺影が、何枚も何枚も何枚も並んでいた。
「なにこれ、グロ」
寒気がして、橋本ヒロキは後ずさる。ぐしゃ、と何かを踏み足が滑った。乾いた──何かの紙だ。レシートか何かだろうか。自分が落としたかも定かではないが、ここは入ってはいけない部屋な気がして、証拠隠滅のためとにかく拾い、すぐに出た。
心なしか、温かく感じる。いや、仏壇のあった部屋の中が寒すぎた。エアコンを設置できるようなスペースは、遺影が埋め尽くしていたというのに。
「あ~スマホ、置いてきたんだ……」
写真の一つでも撮っておけばネタになった。すぐに戻ってくるつもりだったのと、通信も遮断されているのでいらないと置いてきてしまった。
橋本ヒロキは後悔しつつ、煙草を吸いに廊下を歩く。
「どちへ」
「うわっ」
廊下の分かれ道に、老婆が棒立ちしていた。一瞬、あの仏壇の部屋に入ってるところを見られたのではと焦るが、場所的にもそれはないだろうと思いなおす。




