身捨輪様の言い伝え
「聞いてみればいいじゃん」
「やだよ、あのお婆さん怖いんだもん。さっきもワーって大きい声出してたし、ちょっとボケてるでしょ、あれ。怖いよ」
堀井ユリが顔をしかめた。
老婆の言ってた、この村の習わし。
ひとつ、みしゃわ様に無礼が無いように。
ふたつ、鏡など、反射するものを使わないこと。
みっつ、これは女性のみとなりますが──煙草を吸わず、男にみだりに触れず、夜に屋外に出ない。
二つ目と三つ目は火災防止に害獣被害対策と、薫陶めいたようにも思うが、ひとつ目がよく分からない。
「ユリ!」
先頭のほうを歩いていた平野マナの声が響く。
福爲が顔を上げると、道の先を歩いていた平野マナ、そしてその前を歩いていた橋本ヒロキと老婆が立ち止まっていた。いつの間にか村の中央の開けた場所に出ていて、一軒家よりもやや大きな屋敷が建っていた。周りには赤い彼岸花がぽつぽつと咲いている。
「本日はこちらでお休みくださいませ」
老婆が慈母のような笑みを浮かべる。先ほど荒破に対しての態度はなんだったのかと思うほどの優しい笑顔だ。
「えっぐ! 絶対出んじゃんこんなん。夜やばくね?」
老婆の前だというのに橋本ヒロキは気にも留めずはしゃぐ。平野マナが「橋本先輩」と注意するが、話す内容ではなく声の音量だと勘違いしたらしい、「あの井戸のところでバケモン出たらヤバそう」と、屋敷傍の井戸を差した。
「あちらは、みしゃわ様の命の源に通ずる井戸でございます」
老婆は抑揚のない声で、井戸に身体を向けた。
「あの、みしゃわ様って神様なんですよね? この村に伝わる」
平野マナが問う。
「さようでございます」
「どういう神様なんですか」
「豊穣の神様になりますが──その源は水にございます」
老婆は井戸に近づき、井戸の水をくみ上げる釣瓶桶を手に持つと、縄を扱いながらそろりそろりと井戸の底へ落としていく。
「かつてこの此彼村は、酷い干ばつに悩まされておりました。しかし、ある時、村でいっとう清らかな娘が、秋の彼岸の七日のうちに、その身を捧げたのです」
「え、なんで⁉ 意味わからん! 生贄⁉」
橋本ヒロキが老婆の言葉にチャチをいれる。橋本ヒロキはいつもこうだった。バンドのノリがこういうものなのか、福爲は知らないが、橋本ヒロキは万物をネタにしてしまう。それを橋本ヒロキに近しい人間は軽くたしなめるが、本気で嫌がりはしない。元々、橋本ヒロキと辺見ハヤトが同じゼミであることや、辺見ハヤトに反論する人間がいると橋本ヒロキのほうが盛んに茶化すので、辺見ハヤトは橋本ヒロキがどんなに場の空気を壊そうと、軽く注意をする程度だった。今も「ヒロキ」と軽く名前を呼ぶだけだ。本気で注意はしない。
「……はぁ」
一方、平野マナはそんな橋本ヒロキの奔放さに苛立ちを隠さない。
「すみません、続けてください」
平野マナは一度橋本ヒロキを睨んでから、老婆に続きを促す。
「娘は、自分から、すすんで、身を捧げました。理由は、元々この此彼村の傍に流れる此彼川は、あの世とこの世を繋ぐ川と言われているからです。偉大なる先祖からどうにか力を得られないかと、その一心でした」
「やばぁ」
橋本ヒロキはわざわざリアクションを挟む。こういう面で、福爲は橋本ヒロキが苦手だった。サークルで物事を決める時、辺見ハヤトは福爲に話題を振ることがある。それは福爲が反論しないことを踏んでのことと、一年でも意見を取り入れるという外聞のためだ。実際、一年で積極的に辺見ハヤトに意見していた人間は、橋本ヒロキに悉く茶化され、最終的に「落ち着きなよ」と諭されるように散らされる。「異論はない」と言っても橋本ヒロキは「からの~」とか「なんかあるだろ~」という茶化しは入るが、そういう場合、自分の意見を通したい辺見ハヤトが「ないものはないから」「無理強いするな」と止めに入るのが常だった。
辺見ハヤトは福爲を味方しているのではないことは分かっていても、福爲はそんな流れに安心するし、安心する自分を情けなく思うが、それをばねに反論するにまでは至らない。
「娘が身を投げた後、まるでその死を弔うように彼岸花が咲きました。そしてその後、彼岸花が増えるとともに、雨が降り、樹木が活力を取り戻し、実りが増え、暗くふさぎ込んでいた村人たちの心は晴れやかなものとなったのです。その身を捨て、皆のための輪になる──ゆえに身捨輪様と呼ばれます」
「身捨輪様すげー」
「ええ、そうでございますとも。以後、秋の彼岸の七日は、先祖や故人を供養する従来通りの雑節に加え、身捨輪様に感謝を捧げる大切な日なのでございます」
「え、じゃあ秋の七日間って……今、ですよね。大丈夫なんですか? 撮影入っちゃって」
平野マナが問う。老婆は目を伏せた。
「祭祀をするにも、人がおりませぬゆえ。女は、私のような老いぼれのみ……」
「ああ、そうなんですね……確かに、駅のほうもお年寄りが多かったし、人口減少みたいな感じですもんね」
「ええ」
「ある意味丁度良かったって感じ? お祭りあったら邪魔じゃん?」
橋本ヒロキが「あはは」と歯を見せて笑う。それに平野マナが憤り、辺見ハヤトが「ヒロキ」と形だけの注意をする。それに堀井ユリが「もう」と適当な相槌をうつ。四人を俯瞰的に、まるで画面隔ててみているような気分で、福爲は眺める。
俯瞰的ではなく、ただ当事者になれないだけじゃないかという疑念に、知らないふりをしながら。
「確かに、丁度いい」
老婆は唇を舐めるようにゆっくりと言った。
その『丁度いい』が一体どういう意味なのか。福爲は分からない。
老婆の案内により、映像研究サークルの面々は此彼村中央に位置する屋敷へ案内された。
「くっさ‼」
古びた和室の大広間で、橋本ヒロキが叫ぶ。大人がいれば顔をしかめそうなものだが、老婆はこの部屋に訪れて早々、「男性はこちらで、何かあればお呼びくださいませ」と一言残し、女性陣の誘導に向かった。広縁の椅子にドカッと荷物を置きながら、藤の小机に膝を乗せ中庭に繋がる障子を開き、「木ばっかで景色何も見えねえじゃん‼」と無礼を更新し続ける。
「彼岸花あるじゃん」
そんな橋本ヒロキを、辺見ハヤトは適当にあしらいながら、部屋の中央にあるローテーブルに自分のリュックを置く。そして、すぐそばに胡坐をかいた。福爲は二人の荷物の場所が決まってから、自分の荷物を押し入れのすぐそばに置いた。棒立ちしていても目立つので、そっとその場に腰を下ろす。
臭いと声に出すほどでもないが、湿った土と、畳、線香の混じった、独特な臭いがあたりに漂っている。小学校の頃、三世代同居をしている友達の家や、学校の倉庫、あるいは親戚の法事で集まったときに、特定の誰かから発されるあの匂い。
老婆から案内されたこの和室は、およそ十畳ほどの広さ。男部屋として使っていいとのことで、平野マナと堀井ユリは別室に老婆と向かった。




